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連載

ギフチョウの春

第22回

今森光彦(写真家/切り絵作家)

 庭に出ると甘い香りがそこかしこから漂ってきます。タンポポ、レンギョウ、菜の花、雑木林ではヤマザクラの花も咲いています。気温が上昇すると、体が軽くなって気持ちも晴れやかになるのはどうしてでしょうか。

アトリエの近くでは、菜の花が満開。

 私の場合、この季節になると心が落ち着かなくなるのは、ある蝶のことが脳裏から離れなくなるからです。その蝶とは、ギフチョウ。アゲハチョウを二回りほど小さくした蝶で、桜の咲く頃だけに姿を現します。翅(はね)に薄黄色の地に黒いしま模様があります。後翅(こうし)には青色の小さな斑点があり、先端の尾状突起(びじょうとっき)の付け根には、鮮やかな紅色の紋様が備わっています。
 この蝶はアゲハチョウのようにどこででも見られるわけではなく、出会える範囲はかなり限定されます。ただ、生息場所を知っていて、時期を間違えず、天候に恵まれれば、出会うことはそれほど難しくありません。
 ギフチョウは、雑木林に針葉樹の林が交ざっているような典型的な里山環境を好みます。このような場所は人が管理しているので、区画を決めて定期的に伐採されることがあります。明るさと暗さが絶えず変化する環境が大好きで、こういう所にはスミレやカタクリ、ショウジョウバカマなどの春の花が咲いているため、ギフチョウはそれらの蜜を求めて飛び回ります。

カタクリの花に来たギフチョウ。「萌木の国」で撮影。

 私はこれまでに日本各地でギフチョウと出会い、観察したり撮影したりしました。一番近い所では、アトリエのすぐ裏手の比叡山山麓です。この界隈では、40年くらい前まではそれほど珍しい蝶ではありませんでしたが、残念なことに最近は激減しました。
 もう一つ、ギフチョウを求めて私がよく通った場所に、「萌木(もえぎ)の国」と名付けた雑木林があります。ここは琵琶湖の北部地方に位置し、明るい雑木林が多いのでギフチョウの生息環境としては有利です。「萌木の国」周辺には、ギフチョウがいるポイントが点々とあり、20年くらい前まではよく見られました。でも、こんなに環境が良い所ですら、ギフチョウは減少しました。
 ギフチョウが減っているのは、雑木林や針葉樹の林が放置されて薄暗くなったことが原因だと考えられます。また、もう一つの理由として、ギフチョウの幼虫の食草であるカンアオイの葉を鹿が食べてしまうからだとも言われています。カンアオイの葉は、触れると薬草のような癖のある匂いがするので動物は食べないと思っていたのですが、鹿の方も食糧不足で背に腹は替えられない、ということなのでしょう。
 ところで、アトリエの敷地内にもカンアオイを発見しています。葉に雲形の紋様を持つミヤコカンアオイという種類です。比叡山山麓のギフチョウもこのカンアオイを食べているので、アトリエにギフチョウがやってくる日がくるかもしれません。
 ただし、ギフチョウはとても気難しい蝶で、仮にたくさんのカンアオイを植栽しても、やすやすとやってきてはくれないのです。このように、すごく頑固で古風な生き方をしているところが、ギフチョウの最大の魅力なのかもしれません。

アトリエの雑木林で咲いたカタクリ。

春の庭には、アネモネなどの園芸種の花も顔をそろえる。

著者情報

写真家/切り絵作家

今森光彦

いまもり みつひこ

1954年滋賀県生まれ。幼い頃から昆虫少年で、大学卒業後に独学で写真を学び、1980年よりフリーランスとなる。以後、琵琶湖をとりまくすべての自然と人びとのかかわりをテーマに撮影している。また、熱帯雨林から砂漠まで昆虫写真を追求し、広く世界の辺境の地まで取材し続けている。木村伊兵衛写真賞(1995年)、土門拳賞(2009年)などを受賞。NHKスペシャルで「里山」をテーマにした番組を多数放映、現在もNHKBSプレミアムにて「オーレリアンの庭 今森光彦の四季を楽しむ里山暮らし」を不定期放映中。主な書籍に、『昆虫記』(福音館書店、1988年)、『里山物語』(新潮社、1995年)、『NHK ニッポンの里山』(NHK出版、2014年)、『今森光彦の心地いい里山暮らし12か月』(世界文化社、2015年)ほか多数。

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