夢を“無理”だと決め付けなくていい
百地裕子(プロゲーマー)
最近〈チョコブランカ〉こと百地裕子が、ある人からこんなことを言われたという。――どうしてチョコさんは無謀なプロゲーマーという職業に飛び込めたのですか? 私にはやりたいことがないです。チョコさんの行動力がうらやましいです――。やりたいこと、将来の夢は誰もが持つものだろうけど、中にはうまく見つけられない人、やってみる前に諦めてしまう人も少なくない。今回はそんな悩めるみなさんにも呼んでもらいたいエピソード。
小学生の私がなりたかった職業は?
私は小学生の頃、同級生の友達とカセットテープレコーダーにマイクを繋ぎ、マンガ本のセリフを読み上げて吹き込んだドラマCDならぬ「ドラマカセット」を作るのにハマった時期がありました。家では教育熱心な母が厳しかったので、「アニメやマンガは勉強してから!」と制限され、同年代のアニメ・マンガ好きの子ほどは見たり読んだりできませんでした。そこでお気に入りのマンガ本1冊を大事に何度も読み込み、音声ドラマにして遊ぶ「アテレコごっこ」に夢中になっていたのです。
私と友達の二人で何役も担当していたので、ドラマカセットはお世辞にも良い出来とは言えないものでした。でも声優のように演技しながらの収録や、それを家族にばれないよう小さな音で聴くのが格別の楽しみでした。家族に聴かれるのはなんだか恥ずかしくて、こっそり隠し持っていたのです。そんなアテレコごっこをしていくうちに、将来は声優になりたいな、と思ったことがありました。声優になるために――みたいなハウツー本を小遣いで買い、「あえいうえおあお」「かけきくけこかこ」「生麦生米生卵」と発声練習遊びもしていたほどでした。
ですが、私は「声優になりたい」と思っていたと同時に「なれるわけないよな」とも思っていました。なぜなら「自分が住んでいる場所は東京からとても遠い田舎だから、そんなチャンスは絶対にない」と、その当時は感じていたのです。他にも、自分の活舌の悪さに気付いたなどの理由もありますが、やはり一番の理由は「住んでいる環境」でした。
私の故郷である兵庫県の某町は、山に囲まれて田んぼがたくさんあり、家の近くの用水路でザリガニ採りや小魚釣りができるほど自然に恵まれています。小学校に入るまでは虫採り網と魚採り網の2本を引っ提げ、自転車に虫かごや飼育用のプラケースを積んで、近所の友達と全力で昆虫や水辺の生き物を採って遊んでいました。
捕まえたおたまじゃくしを家で飼い、だんだんと手足が生え尻尾がなくなっていく様を観察して、カエルになったところで野に放したこともありました。ドジョウをたくさん採ってきた時は、「この子はマキバオー」「この子はカスケード」とテレビアニメ『みどりのマキバオー』から拝借した名前を付けて可愛がったり、やはり採ってきたザリガニに庭で捕まえたミミズを与えて「おおおー! ハサミでつかんで食べてる!」と興奮したり……。とにかく幼少期は、自然の中で遊び回った記憶しかありません。

田舎にいるとチャンスがないと思っていた
当時、私が住んでいた町にはゲームセンターもありませんでした。唯一、今は閉店してしまったダイエーのおもちゃ売り場に、UFOキャッチャーやキャラクターものの乗り物遊具、じゃんけんゲーム機、球を打ち出してゴジラの口に入れるゲーム機、消しゴムやお菓子をすくうゲーム機、トレーディングカード自販機、ガチャガチャ(お金を入れてレバーを回すとカプセルが出てくるアレ)があったぐらい。でも、そこさえもとても自転車で行ける距離ではありませんでした。
世間で電子ゲーム「たまごっち」(1996年にバンダイから発売)が流行した時も、私の地元で買えるようになるまでにはタイムラグがありました。「たまごっち」が一向に入荷されないので、恐竜や犬などのキャラクターを育てる類似品が飛ぶように売れていました。私も親に頼んで買ってもらった類似品で恐竜を育てていました。
発売から半年ぐらい経ち、大阪に住む親戚の叔父さんがお土産に「たまごっち」を買ってきてくれた頃でさえ、うちの地元では売っていませんでした。あの時は嬉しくて嬉しくて、「やっぱ都会は凄いな!」なんて思っていました。当時はインターネットもなく、情報源は雑誌かテレビのみだったので、そのように考えたのかもしれません。ゲーム情報を仕入れるのも『コロコロコミック』(小学館)や『ファミ通』(当時はアスキー)が精一杯でした。
私は自然が大好きで、生まれ育った町も好きです。家から駅まで遠いし、夜は街灯がなくて真っ暗だし、ゲーム店もおもちゃ屋さんも自転車で行ける距離にはなかったけど、特に不便だとは思っていませんでした。でも、夢を語る際には「人生の選択肢が少ない」と決め付けていました。声優とか、歌手とか、タレントなんて、東京や大阪に住んでいる人じゃなければなれない職業なんだ、と。
なので私は小学校の学年末に書く文集では、なりたい職業として「学校の先生」といつも書いていました。学校の先生は「大変そうだけど素晴らしい仕事だな」と感じたのでそう書いていたのですが、実はそれほどなりたい職業ではありませんでした。だって私、性格がずぼらなんですもの!
小学生の頃から忘れ物が多くて、先生に何度も怒られていました。勉強や運動は頑張っていたので成績は良かったのですが、給食袋(配膳当番の時に着る白衣が入っている)を一週間連続で忘れた時は、自分でも「とんでもなく抜けているな」と笑っちゃうくらいでした。月曜から毎日先生に注意され続け、金曜日にはどえらく怒られて泣きました。自分でも理解できなかったんですが、怒られた後、学校を出るまでは「給食袋、給食袋」と頭の中で唱え続けていても家に帰った瞬間吹き飛んでいるんですよね。
一週間忘れ物をし続けたのはその時だけでしたが、衝撃過ぎて今でもよく覚えています。本当、自分で自分を笑っちゃいます。とまぁそんな私なので、真面目でしっかりした人がなる職業に見えた教師は「きっと私には向いてないだろうなー」と思っていました。

将来に悩んで占いコーナーへ駆け込む
じゃあ一体、私は将来何になりたいんだろう? 何がしたいんだろう? と、この頃はずっと悩んでいました。目立つことが好きだったので、学級委員長や生徒会長を務めていましたが、「目立つ職業」なんてものは自分にはとても就けないと思ってただひたすら悩みました。結局、大学生くらいになれば、何か見つかっているだろう――そう思うことにしていました。
でも実際に大学生になって、目指す職業が見つかったかというと……そんなことはありませんでした。結局やりたいこと、なりたいものが見つからないまま時間だけが過ぎ、そして焦る。そんな時、私は占いを試してみました。
JR姫路駅から近いおみぞ筋商店街の中に姫路フォーラス(2016年閉店)というファッションビルがあり、大学生の頃にそこの占いコーナーへ行ったのです。占いを信じているわけじゃなかったのですが、ものは試しだと思い、70歳くらいのおばあちゃん占い師に占ってもらいました。
名前や生年月日を伝えると、おばあちゃん占い師は「ふむふむ、あなたはパワーがあふれる人だねぇ」と言ってきました。「はぁ」と半信半疑で話を聞いていると、「あなた今年の夏に交通事故に遭うよ。注意しても車が寄ってくるから避けられない、気を付けるんだよ」と言われ、「ええー!?」とびっくり。将来についてちょっと聞いてみようと思っただけなのに、いきなり差し迫った身の危険を予言されるとは……。
私は「占いだし、まさかそんな。避けられないのにどう気を付けるのさ?」と心の中で思いつつ、一番聞きたかった質問をしてみました。
「ねぇおばあちゃん、私にはどんな仕事が向いていますか?」
するとおばあちゃん占い師はこう言いました。
「あなたは人前に出る仕事に就くよ。芸能活動なのか、タレント活動っていうのか、とにかくそういう仕事が向いているよ。あとは起業するのも向いているよ。あなたをいろんな人が助けてくれると思うよ。だから人を大切にするんだよ」
これまた私は「まさかそんなことあるわけないわ。おばあちゃん適当やなぁ。あり得ない。だって私は東京とか大阪とかに住んでいないから、そんなチャンスないわ!」と一笑に付しました。
30分ほどの占いが終わり、料金2000円を支払っておばあちゃん占い師にお礼を伝えました。後から聞いたら他の占いの相場よりも時間が長くて安い、かなり良心的な占い師だったそうです。でも、その時の私の感想は、「占いってこんなものなのかー。まーさすがに当たらないでしょう」でした。そう思ってすぐに占いのことは忘れてしまいました。
素直に目指したら良かったじゃん
ところが数カ月後、このおばあちゃん占い師の予言を思い返すことになります。
その年の夏、私は大学近くの道で原付バイクに乗っていたところ、横から突っ込んできた車にはねられました。幸いスピードは出ていなかったので1週間入院しただけで退院できましたが、入院中のベッドの上で「あーそういえばおばあちゃんの占い、当たったやん」と、ふと思い出したのです。
「占いって、当たることもあるのかー」なんて考えながらも、でもやっぱり向いている職業に関する予言は信じられなかったので、「これは、たまたまだね」と自分に言い聞かせることにしました。ただ、おばあちゃん占い師が言っていた「人を大切にするんだよ」については心掛けてみることにしました。
そして今、私は人を大切にできているのでしょうか――?