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連載

ポーランドがいま直視する加害の歴史~「3月事件」とユダヤ排斥という過去

第13回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

 このユダヤ人への迫害は、民主化後も長きにわたってタブーとされていた。ポーランドにおいてアンタッチャブルな事件と言えば、アンジェイ・ワイダ監督(1926~2016年)が2007年に映画化した「カチンの森事件」(注4)があったのだが、口を閉ざすという意味ではそれ以上であった。
 貴重な証言がある。現在、ワルシャワ大学で教鞭を執るアンナ・オミ教授は1980年代の社会主義政権下、ワルシャワのレイタン高校に在籍している頃から民主化闘争に身を投じていた。1772年の第一次ポーランド分割(注5)に命がけで反対した愛国者タデウシュ・レイタンの名を冠したこの高校は、反政府運動の拠点でもあったのだ。アンナは言った。
「当時の歴史教育では国内外の反社会主義的な運動はなかったことにされていて、1956年の『ハンガリー動乱』、68年の『プラハの春』もまったく教わることはなかった。でもレイタン高校は地下出版が盛んだったので、そこで発行された書物で公の歴史教育以外のことも学ぶことが可能だった。だから、『カチンの森』のことも知ることができた。ただ、『3月事件』については、英雄譚のように自由を求める運動があったことは書かれていても、その後に起こったユダヤ人迫害については一切、記されていなかった。理由? そうですね。『カチンの森』事件では、ポーランド人はソ連の被害者だった。しかし、『3月事件』の後のポーランド人は、ユダヤ人に対する加害者になってしまったのだから」

アンナ・オミ教授(左)とレフ・ワレサ(右)

 ナチスドイツ侵略後、アウシュビッツ強制収容所などで国内300万人ともいわれるユダヤ人を虐殺されたポーランドは、あくまでナチスの被害者で、その加害者性について触れられることは少なかった。しかし、第2次世界大戦後も家を追い出したり、商売をしている店を襲ったりするユダヤ人迫害は、幾度もあったという。
「一部ではあっても、ポーランド人もユダヤ人を差別していた。ポーランド語には、『絨毯の下に隠す』という言い回しがあるのですが、まさにポーランド社会は絨毯を被せて、ユダヤ人を排斥した過去を封印していたのです」(アンナ)
 民主化を進める「連帯」の地下出版においても反ユダヤ的な出版物は多くあったという。ヤツェック・クーロンをはじめとする「連帯」の幹部や、その支持者にはユダヤ人も多かったにもかかわらず、ユダヤ差別は根強く残り、そしてそれを認めようとしてこなかった。

右傾化と不寛容の再来か…

 そして世界的な潮流なのか、不寛容な時代がポーランドにもまた来ようとしている。2018年2月1日、ポーランド議会は、ナチスドイツが行ったホロコーストに関する表現について罰則を設けるという新法を可決したのである。これは、ポーランド人がこの戦争犯罪に加担したことを指摘して批判したり、アウシュビッツなどの強制収容所を「ポーランドの死の収容所」と表したりすることを禁止し、違反者には最高で禁固3年が科されるというものである。この法律は、与党である右派民族主義政党「法と正義」が中心となって成立させた。噛み砕いて言えば、ナチスの犯罪は我々には無関係だという主張であった。しかしそれに加担したポーランド人がいたことも事実である。この立法に対してイスラエル政府が激怒。
 一方、ポーランド国内では、極右勢力の影響を受けて、反ユダヤデモがまたじわじわと巻き起こっている。
 アンナは生粋のポーランド人であるが、ヘブライ語をはじめとするユダヤ文化の研究もしており、関わりのあるユダヤ人コミュニティが危機感を持っていることを指摘した。
「今、ワルシャワのユダヤ人は排斥されることを怖がって、勉強会や講演会もなかなかオープンに開催できない。これはポーランド社会にとっても不利益なことだけれど、今までユダヤ人問題を公にしてこなかったことのツケが回っている」
「連帯」のワレサや、それを戒厳令で潰したヤルゼルスキ将軍など、1980年代の民主化変革期から現在まで、主な政治家たちの通訳をほとんど務めてきたアンナは、旧労働者党も「連帯」も置き去りにしてきた問題を鋭意に見つめていた。

国家にとって不都合な過去を検証する

 しかし、不寛容な法律が作られても、自由を愛するポーランドの精神はまだ健在でもあった。18年5月、アンナがすばらしい展示会があるというので観に行った。「3月事件」からちょうど50年が経過した2018年、ポーランド文化・国家遺産省などによって設立されたワルシャワのユダヤ人歴史博物館で、この一連の事件を自国の歴史として徹底的に検証した特別展示会が催されたのである。

「OBCY W DOMU」展開催中のユダヤ人歴史博物館

 タイトルは「OBCY W DOMU」(家の中のよそ者)。「家族」として共存すべき同じ「家」の中にいながら、排斥してしまったユダヤ人のことを指しているのは言うまでもない。展示は情緒的なものを一切交えずに粛々と事実を伝えていた。発端となったミツケヴィッチの「父祖の土地」がどのような演劇であったのか。ナロドヴィ劇場の写真。そして今で言うところの、国家のトップによる「ヘイトスピーチ」であるゴムルカの演説の映像。ユダヤ排斥のビラやポスター。国を追われるユダヤ人たちの残した手紙……。
 多くのユダヤ人を受け入れた国がアメリカ、そして北欧の国々であったのだが、興味深かったのが、実際に政治亡命者が使用したスカンジナビア航空の航空券までもが展示されていたことである。映画にもなったタチアナ・ド・ロネの小説『サラの鍵』(2006年)は、ナチスドイツに降伏した後、フランスのヴィシー政権とフランス人が、ユダヤ人迫害に大きく加担したことをフランス人作家がしっかりと見つめ直した作品である。事実のディテールにまでこだわった展示はまさに『サラの鍵』を思い出した。

 これまで、「3月事件」についてはユダヤ系のシャロン財団が3月8日にワルシャワのグダニスク駅で細々と祈念集会を行うだけで、ここまで大規模な展示が行われたのは初めてであった。
 民主化運動への弾圧も、「3月事件」も、その後のユダヤ人迫害も実際に目撃し、それらが歴史の闇に葬られていくさまを見ていた工藤さんが、もしもこの特別展を観ていればどれだけ喜んだことか、思いを巡らした。ポーランドを心底愛した工藤さんは生前、「3月事件」とユダヤ排斥事件の検証がない限り、ポーランドの真の民主化、自由化は訪れないと語っていた。
 近年、排外的な施策を用いて内政における求心力を得るという傾向が各国に広がっている。一方で、それに対するカウンターのような動きもつぶさに見てとれる。例えば同じく2018年には、韓国政府が、長く国家的タブーとしてきたジェノサイド、済州島四・三事件を「我が国の歴史の一部」であると総括した(連載第6回)
 どんなに隠したい過去があっても、国家として自国の歴史を相対化して検証している姿勢に遭遇すると、励まされる気がする。そこに、ナショナリズムに依存しない政治家の良心と、真の愛国心を感じるからだ。

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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