File002:『言ってはいけない』『もっと言ってはいけない』~”腑に落ちる”か、”モヤモヤ”か?
安田峰俊(紀実作家)
橘氏の著書などで示されている“リベラル”でロジカルな考え方は、情緒的な倫理やタブーの意識にとらわれない、人間の自由を肯定する思想にもとづいている。だが、こうした考え方が日本社会のメインストリームに定着することが多くの人を幸福にするかと言えば、私ははなはだ疑問でもある。
そう考える理由を、自分の専門に引きつけて述べておこう。実のところ、中国は権力体制こそ専制的かつ人権抑圧的だが、社会のなかで生きている個々の中国人――特に都市部の30~40代の人たちのマインドは、ある意味で極めて“リベラル”的、もっと言えばリバタリアン的だ。
あくまでマクロな傾向としてだが、中国の社会は過去の社会主義革命や文化大革命で伝統や倫理規範がいったん破壊され、さらに天安門事件によって中国共産党が従来提供してきた社会主義的な道徳規範も崩壊したこともあってか、非常に脱宗教的で合理主義的である。
当局による愛国主義宣伝は多いものの、中国人は社会でまともに働き資産を形成している人ほど、個人のレベルでは国家も社会もマスコミも企業もまったく信用していない。彼らが信用するのは、極端に言えば自分自身と親族と、親しい朋友(友人)だけである。
彼らは国家が税金を正しく使うとは考えていないので、税金は安いほどよく、その裏返しとして公的な社会福祉にも過度の期待は持っていない。中国において医療や教育の信頼性はカネと引き換えに個別に担保されるものであり、事実、国家が万人に対して等しく提供するようなものとはなっていない。
他方、特に都市部においては“他人に迷惑をかけない”(加えて“体制に反対しない”)限り、個人がよほどヘンなことをしていても放置してもらえる。ある行動が他人から“迷惑”だとして糾弾される基準はかなり甘い。
実は中国社会の都市部では、疑似的な“リベラル”社会がある意味で日本以上に実現しているとも言えるのだ。
合理性VS人道性
しかし、そんな中国において、近年顕著な社会問題がある。医療・保育・介護といった、労働従事者に金銭的な利益だけでなく道徳的な動機やホスピタリティの資質が求められる“魂の労働”、すなわち弱者をケアする福祉分野の極度の脆弱さだ。
中国において国民の医療不信は極めて根深い。また保育施設や障害者支援施設・介護施設などの現場における利用者への虐待や非人道的な対応を報じるニュースは多く、その深刻さは日本の比ではない。
合理主義的な人が多い中国の社会では、医療倫理や保育・介護倫理が説得力を持たず、“魂の労働”への従事も他の労働と同じく賃金と労働内容のみから判断されてしまうことが多いため、人材の質が非常に悪くなるのだ。
加えて、人権意識が弱い中国の社会では、親族のような近しい関係にある相手を除いて、障害者や知的能力が衰えた老人のような弱者(場合によっては子どもも含む)に対して、人格の尊厳を認めなかったり差別意識を隠さなかったりする人もいる。もちろん中国人には優しい人も大勢いるが、残念なことに人権意識は社会的な地位とある程度は比例する。
社会的地位が高く知的水準も高いエリート層でも、人権意識を疑わせる事例はある。
昨年11月、中国ではヒト胚の遺伝子情報を書き換え、ゲノム編集をおこなった赤ん坊が誕生しているのだ。こちらは国際社会の強い批判を受けたこともあって、中国政府は研究の中止を求めたうえ研究者の処罰も発表したのだが、そもそもこうした研究が実際に赤ん坊が出産される段階まで進んだのも、中国の医療業界に存在する倫理規範の弱さと合理主義精神ゆえだろう。
倫理なき社会とリバタリアニズム
北米や西欧において、“リベラル”やリバタリアニズムが一定の力を持ち得るようになったのは、社会のなかに宗教的な規範や道徳意識を持つ人が少なからずおり、加えて寄付やボランティアにも積極的な倫理観の文化が根付いていることが前提となっているからだ。これらがカウンターバランスとして機能し、合理主義によってデザインされる社会の弱い部分を補完し得る可能性を持っているとみなされているのである。
だが、こうしたバックグラウンドを持たない社会において、合理主義精神だけを突出させた“リベラル”な意識が定着すればどうなるのか。その実例を示すのが、同じ東アジアの中国社会における問題だろう。
日本は(特に“魂の労働”の分野で)職業的な倫理意識や情緒的な面での配慮は非常に質が高いものの、社会における宗教的な規範や道徳意識が本質的には薄い点では、中国とそれほど大きく変わらない。加えて、実は中国では寄付文化はかなり盛んなのだが、日本の場合は寄付やボランティアをうさんくさいものとして見る風潮がかなり根強い。
『言ってはいけない』シリーズが提唱する“リベラル”でスマートな社会の見方は、正直に言って魅力的な面がある。ただ、それが昨今の日本では実質的にどのように受け入れられ、どのような形で実践されていくかについては、私は悲観的な見方をせざるを得ない。
書中でもほのめかされているように、社会を担う少なからぬ人たちはそれほど“賢い”わけではない。ことに日本の場合、経済力や社会的地位の面で“劣った”性質を持つとみなされてしまう人たちや、障害者や老人や子どもといった弱者を軽視したり蔑視したりする価値観を保持し、民間主体の慈善的なセーフティーネットを設けることにも消極的なまま、合理性の面だけを突出させた“リベラル”(=中国式のリベラル)を実践しそうに思える。
ちなみに、私はもともと橘氏の著作が好きなほうだ。『言ってはいけない』シリーズの他にも『朝日ぎらい』や『臆病者のための株入門』『知的幸福の技術』、週刊プレイボーイの連載などなど、氏の文章をかなり多く読んでいる。
なにより私自身、政治・経済的志向を測定するポリティカル・コンパスをやってみるとリバタリアンだと診断されることが多い。自分の傾向に近い政党をネットで診断するボートマッチでも、国際的な基準では“リベラル”である維新系の政党との合致度が高くなりがちだ(実際に投票はしていないが)。現代日本の30代の自営業者としては、私はおそらく平均的な価値観を持っているようである。
ただ、それでも『言ってはいけない』シリーズにはなんだかモヤモヤする。橘氏自身が書中で述べているように、やっぱり、なぜかすごく不愉快な気持ちになる本なのだ。
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【『言ってはいけない』『もっと言ってはいけない』のちょかり指数】
しっくり度……★★★★
“リベラル”度……★★★★★
明るい未来を感じられる度……★
モヤモヤ度……★★★★★
(1)佐々木俊尚ツイッター(2019年4月13日)https://twitter.com/sasakitoshinao/status/1116917195408171014
(2)『言ってはいけない』3ページ
(3)『もっと言ってはいけない』3ページ
(4)『同上』3ページ
(5)『言ってはいけない』45ページ
(6)『同上』59ページ
(7)『同上』68ページ
(8)『同上』8ページ
(9)『同上』138ページ
(10)『同上』213ページ
(11)『同上』228ページ
(12)『もっと言ってはいけない』30ページ
(13)『同上』53ページ
(14)『同上』172ページ
(15)『同上』6ページ
(16)『同上』5ページ
(17)『同上』30ページ