「満州」とは何だったのか――安彦良和×三浦英之
三浦 『1945』に出てくる建国大学1期生の先川祐次さんは、満州国の諜報機関にいて、戦後は西日本新聞のワシントン支局長などでケネディ暗殺とかを見てきたなかで、よくこんな話をしてくれました。「物事を頭から決めつけて見てはダメだよ」と。先ほどのお話もありましたけど、「満州国とはこういうものだ」というのは愚論で、一個一個の事実を押さえて、自分なりに善悪などを判別した上で理解しなければいけない。先川さんは辻政信と結構仲がいいんですよね。「三浦君、当時の日本や満州国で、悪い国家をつくろう、悪い世の中をつくろうと思って活動した政治家なんて一人もいないよ。みんながいい国家、強い日本、いい世の中をつくろうとして、その中で間違えていった結果が、いまある歴史なんだから」といつも言っていました。
安彦 辻政信というのは、いまはもう、あしき軍人の筆頭で、必ず悪役で出てくるんですけども、『虹トロ』を描いた頃はいまほど有名じゃなかった。辻政信という名前を僕が初めて知ったのは、中学校の社会科の教科書か何かに載っていた参議院議員選挙の開票風景の写真でした。そのときの選挙は、辻が2番で当選していて、名前がけっこう目立っていたんです。ちょうどその頃、辻がラオスで行方不明になったとニュースになっていて、辻ってそんな人だったのか、と。それで、建国大学の話で辻が出てくるから、この人を絶対使おうと思ったんです。辻についての資料を読んでいくと、当時から悪評高かったんですが、なんか面白いところもある人なんじゃないかという気がしてきた。だから、悪いところは悪く、面白いところは面白く、かなり誇張して描きました。当時は髭生やしていないんですけど、口髭を生やしたり、寮のシェフに化けてたりっていう遊びもやって(笑)。僕は、わりと辻政信はうまく描けたと思っているんです。
三浦 戦場から帰還した兵士に現地の情報だけを聞き、拳銃を渡して自殺させたりとか……。
安彦 ええ、有名な話ですね。とんでもない話ですけどね。
三浦 あと、『虹トロ』で印象的なのは、辻政信が死体の上を歩いていくシーン……あれも、辻っぽいですね。
安彦 辻っぽいと思いますよ。ただ、非人間的なやつかというとそうではなくて、けっこう人間的なところがあるんです。
三浦 すごい勉強家なのは事実ですものね。
安彦 ええ。建大の坂東さんに「辻さんはどういう人でしたか?」って聞いたら、「とにかく声が大きかった」と。あと、まだノモンハンの戦争がおさまっていないときに、「昨日、ノモンハンに行って、今朝帰ってきた。明日は上海に行く」と、そういう調子の人だったと。とにかく身のこなしが素早くて、声がでかくて、やることが強引だったと言っていました。
三浦 参謀である辻自らが戦車に乗り込んで、前線へ行ったりしていたという逸話も聞いたことがあります……。
安彦 ノモンハンについて、どういうことを言っていたかってことを聞いたら、「惜しいことをした。もうちょっとでこっちが攻勢に出るところだったのに、止めやがった」と言って怒ってたっていうんですよね。それは負け惜しみだと僕は思ったんだけど、いろいろ資料を見ると、まんざら負け惜しみでもないんですね。

新作『銀色の路―半田銀山異聞―』で描く五代友厚の哲学
三浦 いま「ヤングジャンプ」で連載されている『銀色の路―半田銀山異聞―』では、明治以降の福島桑折町の鉱山の話を描かれていますね。
安彦 僕のひいじいさんが福島の半田(はんだ)銀山にいて、絵図面書きをやっていたんです。福島市で原画展をやったときにその半田銀山のある桑折町(こおりまち)が近くだったので行ってみたら、町長以下役場の人たちが歓迎してくれて、「そういうご縁だったら、町の紹介になる漫画を描いてください」と言われたんです。それが集英社の「週刊ヤングジャンプ」という雑誌の耳に入って、「それだったら、うちで描きませんか?」と。喜寿で「集英社デビュー」したんです(笑)。
半田銀山というのは、五代友厚(ごだいともあつ)が関係していて、なかなか一筋縄でいかないんですね。五代友厚というのは、教科書で悪い政商の筆頭でしたが、『五代友厚 名誉回復の記録』(八木孝昌)という分厚い本を読んでみると、なかなか面白いキャラクターだったことがわかります。その彼があの半田銀山を買い取って再建して、一時期、日本一の銀山にしてしまう。いろいろ調べると明治政府との関わりが出てきて、五代というのはなかなかの人だなと。五代は薩摩閥で、もともと「東の渋沢、西の五代」と言われたぐらいらしいんですね。常に五代が一歩先を行って、あとを渋沢が一歩遅れて行く。そのぐらい先見性があった。五代は、明治になったばかりの頃なのに、稲作で水を使うときには鉱山の作業はやらないっていう、公害協定なんかも結んでいるんです。
三浦 漫画でも描かれていましたね。
安彦 全部うまくいっていたわけではないでしょうけども、そのバランスを明治10年代にとっている。それから20年もあとの足尾銅山では何もやっていなかったわけですから、やっぱり五代というのは只者(ただもの)じゃない。しかも、ついこのあいだまで戊辰戦争をやっていた福島に、薩摩閥の五代が乗り込んでいくわけですからね。だから、彼は対立抗争をやってる場合じゃないという哲学を持った人だったんです。

対立を超えて
三浦 私は福島に住んで原発事故の取材もしていましたが、原発の作業員というのは、昔炭鉱などで働いていた鉱夫も多いんですよね。石炭から石油にエネルギーが変わり、鉱山が閉鎖されて人員が原発に流れていった。そういう中で、原発事故が起きてしまった。明治の福島を描いていらっしゃる安彦さんに聞いてみたいのですが、いまの福島から見る日本の国家のありようについて、どのように感じていらっしゃいますか?
安彦 国家とか階級とか歴史とかっていう、大きな視点から入っていくと、どうしても色分けして、対立抗争になってしまう。でも、そういうものじゃないと思います。「総資本」対「総労働」というふうな捉え方自体が間違ってるんだと、いまならはっきり言える。石炭から原子力に行き、原発では廃棄物はどうするんだとか、事故はどうするんだっていう問題がある。そうした問題を一つひとつ考えていくのが正解であって、最初から「根本的な対立構造はこれだ」っていうふうな大命題の立て方は根本的に間違っていると思いますね。
三浦 私もその考え方に共感します。大切なのは、イデオロギーの前に事実を見ていくということですかね。
安彦 ええ、昔は真逆でイデオロギー先行だったんです。五代なんかでも、「薩摩閥で、資本の側で、政商だ」といって人間を分けてしまうと、面白くない。そうやって色分けしてしまうと、結局、その人間がわからないという気がします。もっと人間的に見ていかないと、人物に近づけないんじゃないかと思いますね。
三浦 安彦さんの作品を読んでいると、どれも細部の事実や時代の背景描写がしっかりと描きこまれているので、読んでいてとても面白いし、読み終わったあとにとても勉強になった、自分の中の世界が広がった感じがするんですよね。これこそが、マンガやノンフィクションを含めた「物語」の最大の魅力なんだと思うんです。面白く、世界が広がるような物語を書き続けるために、まずは先入観を持たずに事実を丹念に調べ上げること、そしてその事実に立脚して魅力ある登場人物の像を描きあげること。次にどんな安彦作品が生まれてくるのか楽しみにしながら、私もその姿勢を見習っていきたいと思います。
