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連載

第24回 総社の夜

前野健太(シンガーソングライター/俳優/エッセイスト)

 翌朝、体調は少し戻っていた。チェックアウトすると宿のすぐそばにパン屋があった。電車の時間を考えると喫茶店を探す余裕はない。こういう時はパンやおにぎりを買って車内でモーニングだ。これを「車窓喫茶」と呼んでいる。勝手に。パン屋は惣菜パンが山ほどあり、夢のようだった。そんなに沢山は食べられないので、厳選して買い、あとはあまり見かけないパッケージのパックの牛乳を買った。
 牛乳は駅のホームで飲み、車内ではコーヒーを飲んだ。車窓には秋の岡山の風景が広がっていた。井原鉄道。驚いたのが、柿の木の大きさ。その大きな木に、これでもかと真っ赤な柿の実がぶらさがっていた。知らない街の風景を眺めながら、惣菜パンを頬張る。コーヒーを飲む。車窓喫茶の贅沢を超えるものはなかなかない。子供の頃は乗り物酔いがひどかったので、移動するのが億劫だった。バスや電車、なかなか好きになれなかった。しかし大人になって、いつからか、平気になった。それは「旅」という言葉を知ったからかもしれない。きっかけは沢木耕太郎の『深夜特急』か。あるいは星野道夫の『旅をする木』か。それとも、原付バイクの免許を取ってからか。自分の存在が重くなり始めて、どうにもならなくなった時、「旅」という言葉、存在は自分を救ってくれたように思う。まあ今でも長距離の時は酔い止め薬を飲むのだが……。これはお守りのようなものだ。
 そういえば初めての一人旅は、原付旅だった。高校卒業あたりに、どこかへ旅したような記憶がある。それは現実逃避だった。あの頃、旅は逃避だった。今はどうだろう。今もそう変わりはないのかもしれない。旅先で出会う人たち、お店は日常の中にあるが、こちらからすれば、旅の者からすれば、夢の中のようでもある。あの大将も、カウンターにいた女性も、あのお店自体も、ふわっと夢の中のように。
 自転車で夜の総社を彷徨っていた時、月だけがじっとこちらを見ているような感覚になった。あっちに行ってもこっちに行っても、店にありつくことができず、月がずっと、それを見ていた。あくせくしている自分を見られていると思うと、なんだか恥ずかしかった。そんな風に月に対して、思ったことは今までなかった。

 ライブは葡萄畑に囲まれた場所で、行われた。

月だけがじっとこちらを見ていた

著者情報

シンガーソングライター/俳優/エッセイスト

前野健太

まえの けんた

1979年2月6日生まれ、埼玉県入間市出身。2007年『ロマンスカー』によりデビュー。ライヴ活動を精力的に行い、「FUJI ROCK FESTIVAL」「SUMMER SONIC」など音楽フェスへの出演を重ねる。俳優活動においては、主演映画『ライブテープ』が第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」作品賞を受賞。NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』他、TVドラマ、CM、映画、舞台に出演。エッセイ集『百年後』を刊行するなど、文筆活動にもファンが多く、他アーティストへの楽曲・歌詞提供も行う。最新アルバムは『営業中』(2024年)。文芸誌『すばる』ではエッセイ「グラサン便り」を2014年から2022年まで約8年にわたり連載。

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