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連載

第9回 平和ってなんだろう?(後編)

川口好美(文芸批評家)

なぜ、絶対に戦争をしてはいけないのか

 みなさん、こんにちは。
 何があっても、戦争だけは絶対しちゃいけない。みなさんも、こんなことばを聞いたことがあるかもしれません。でもほんとうに、戦争は絶対にダメなのでしょうか。〝絶対〟の根拠って、いったいなんなのでしょう。
 わたしは子どもの頃、それが疑問でした。場合によっては、やむをえない戦争もあるんじゃないか。何が何でも、自分の主張をゆずれない。これだけは守らなくちゃいけない。そう感じた時まで、争いを避けるべきなのだろうか。それって逃げるための卑怯な言い訳なんじゃないか。そのように思っていたのです。
 これを、幼稚な考えだ、とはねつけるのは簡単です。戦争が物事を解決したことなんてない。戦争はごくふつうの人々を幸せにしない、って。経験則にしたがえば、明らかにそのとおりです。わたしがまだ幼かったために、命の重さを理解していなかったことも、事実です。今この時にも、戦争に巻き込まれて苦しんでいる人々がいます。それを思えば、戦争のない世界、誰もが安心して生きられる世界になってほしいと、願わずにはいられません。
 それでも、〝絶対〟の根拠がわからない、という迷いは、わたしの中で完全には消えていません。みなさんはこの〝絶対〟について、どう考えますか?

 「非戦」を『新約聖書』から考える

 これまでの回で見たように、内村さんは最初、日本が清と戦争をすることに、賛成していました。〝西洋の列強から朝鮮を守ってあげるための戦争ですよ〟という明治政府の説明を、信じていたのです。当時の日本人にとって、外国にどう対応していくかは、リアルな悩みでした。だからこそ、この説明には説得力がありました。
『旧約聖書』からの影響が、そこに重なりました。内村さんは、『旧約聖書』のビジョンを発展させて、〝日本には、自由を世界中に広めるという使命が託されている〟という夢を描きました。日清戦争もその一つだ、というわけです。
 だから、それが「義戦」ではなく、利己的な戦争だったとわかった時のショックは、とても大きかったのです。内村さんは、そのショックから立ち直るためにも、キリスト教が戦争に真正面から反対する宗教だと、示そうとしました。そうすることで、間違った主張を広めた責任を取り、自分自身を納得させようとしたのです。
 そのため、『聖書』との付き合い方に、根本的な変化が生じました。
 かなりざっくりした説明ですが、『旧約聖書』は、イスラエルの民と神の関係の歴史をまとめた書物です。一方で『新約聖書』は、イエスという人が、なぜキリスト(救世主)であるかを、解説・解明する書物です。民族や国ではなく、個人の生涯に、光が当てられているのです。
 札幌農学校で、外国人の先生から世界史を教わり、その後単独でアメリカに留学した内村さんは、〝この広い世界に、日本という小さな島国が存在する意味って、なんだろう〟と、つねに考えていたに違いありません。そうして、この疑問は、〝この広い世界に、自分というちっぽけな人間が存在する意味って、なんだろう〟という疑問と、表裏一体でした。国の存在意義と、個人の存在意義が、心の中でなめらかにつながっていたのですね。だからこそ、民族の歴史が書かれた『旧約聖書』に、惹きつけられたのです。
 しかし、日清戦争によって、そのつながりが断ち切られました。そのため内村さんは、『新約聖書』に描き出されたイエスのことばと行動を参考にして、平和への道のりを考え直そうとしました。再出発にあたって、民族の歴史という大きなスケールではなく、個人の物語という小さな単位に、注目したのです。


 具体的に見ていきましょう。
「余が非戦論者となりし由来」という文章で、内村さんはこう言っています。
〝十字架の福音が、戦争を認める場合があるとは、わたしにはどうしても思えなくなったのです〟※1
 十字架とは、十字形に組み合わせた柱で、犯罪者をはりつけにする道具です。イエスが十字架刑によって殺されたことから、キリスト教では十字架が象徴的なアイテムとして扱われます。福音っていうのは、グッドニュース、良いしらせのことですね。〝十字架の福音〟という言い方には、ナザレという田舎町から始まり、ゴルゴタの丘の十字架で終わるイエスの生涯を、贈り物として捉えるニュアンスが込められています。では、いったい何が、グッドニュースなのでしょうか。別の文章で内村さんは、〝戦うことで、自由が守られる場合もあるのでは?〟という疑問に、こう答えています。わたしなりに短くかみ砕きます。
〝もしイエスが、敵(パリサイ人や祭司の長たち)に襲われた時、自衛の策を取り、敵を倒すよう弟子に命令していたら、人類の自由は、いったいどうなっていたでしょうか〟
〝自由は、自由の敵を倒すことで得られるものではありません。その敵に捕らわれ、侮辱されて、殺されて、その後、自由は復活するものなのです〟※2
 自由。それこそ、イエスがもたらしたグッドニュース、イエスからの贈り物だというのです。
 日清戦争の苦い経験から、自由が戦いの口実に使われることを批判したかったのは、わかります。でも、敵に自由を奪われ、生命が犠牲にされたその後で、やっと自由が復活するって、どういうことなんでしょう。簡単には理解できません。
 同じ文章には、「非戦」の根拠として、『新約聖書』に出てくるイエスのセリフが紹介されています。復讐を禁じるメッセージとして、有名なものですね。読んでみましょう。
〝目には目を、歯には歯を、ということばを聞いたことがありますよね。でも、わたしはあなたたちにこう伝えます。悪人に逆らってはいけません。あなたの右の頬を殴る人にたいしては、反対の頬も差し出しなさい〟※3

著者情報

文芸批評家

川口好美

かわぐち よしみ

1987年大阪生まれ。2016年、「不幸と共存──シモーヌ・ヴェイユ試論」(『群像』2016年12月号、第60回群像新人評論賞優秀作)でデビュー。2021年から、静岡県川根本町の小集落・沢間で「本とおもちゃ てんでんこ」を家族で営む。著書に『不幸と共存 魂的文芸批評』(法政大学出版局)がある。

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