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特集

なぜ、司馬遼太郎はサラリーマンに人気だったのか?   ――〝歴史ブーム〟と大衆教養主義

福間良明(社会学者)

 とはいえ、大学キャンパスや勤労青年たちのあいだで教養主義が衰退していたのは、前述のとおりである。にもかかわらず、なぜ、「歴史という教養」への関心が高まったのか。そこには、中年文化の存在があった。
 ビジネス誌である『プレジデント』はもちろんのこと、『歴史読本』や『歴史と旅』といった大衆歴史雑誌も、主たる読者層は、サラリーマンをはじめとする中年層だった。司馬遼太郎の歴史小説は、若い読者も少なくはなかったものの、一般の文学作品に比べれば、サラリーマン層の読者が多かったことは、前述の諸井薫の回想のとおりである。若者層のあいだでは教養主義は明らかに退潮傾向にあったが、中年層のあいだでは、むしろそれに親和的な読書文化が見られたのである。
 奇しくも、当時の中年層は、かつて教養主義の高潮期に青春期を過ごした世代だった。中年期は、仕事や家庭生活で一定の見通しや割り切りが生まれ、若い頃よりは落ち着きを得やすい年代である。かつて関心を抱いた「教養」を懐かしく思い返し、再び書物を手にしようと考えることもあっただろう。そうしたなかで見出されたのが、司馬作品や大衆歴史雑誌等ににじむ「歴史という教養」だった。
 それにしても、なぜ「歴史」だったのか。そこには、参入障壁の低さがあった。抽象的な思想・哲学・文学に触れようとすれば、表現や論理を丁寧に追いかけることが避けられず、必然的に精神的な忍耐力を要する。それに比べれば、歴史上の人物の軌跡を跡付けたり、その史的背景に触れることは、まだしも心理的な負担が小さかった。
 もちろん、実際の実証史学は専門的なトレーニングを経ていなければ、決して入っていきやすいものではない。古文書を探し出し、それを読み解き、緻密な史料批判を重ねたうえで、史実を導き出す。こうした根気を要する作業から逃れられないのが、歴史学である。だが、歴史読み物に触れるだけであれば、そのような手間をかけることなく、時代の流れや歴史人物の思考(と思われるもの)を味読できる。司馬作品や大衆歴史雑誌を手に取ることは、知的な愉しみに触れることを可能にしつつ、哲学・思想や実証史学に比べて、そのハードルは明らかに低かった。

日本的経営と「組織人としての人格陶冶」

「歴史ブーム」は、当時の労働環境にも親和的だった。
 かつてであれば、ブルーカラーとホワイトカラーの昇進ルートはまったく異なっていた。大卒ホワイトカラーが入社早々に「職員」の身分を獲得できるのに対し、中卒ブルーカラーは35年以上の気の遠くなる期間を要することもあった。三井三池争議(1959‐60年)に代表されるように、景気変動や産業構造の変化に伴う工員の大量解雇も珍しくなかった。
 しかし、1970年代になると、企業は高度成長の終焉やオイルショックに苦しみながらも、労働争議の痛手を被る大量解雇を避け、従業員の配置転換でしのごうとした。それを可能にすべく、ホワイトカラーとブルーカラーの昇進・給与体系が一本化された(小熊英二『日本社会のしくみ』講談社現代新書、2019年)。
 そうなると、さまざまな部署や勤務地を渡り歩きながら一つの会社のなかで昇進していくことが、就業者の労働モデルとなる。必然的に、特定の職業技術を磨き上げていくことよりも、さまざまな部署で汎用性のある「組織人としての人格陶冶」「将来的なリーダーとしての行動規範」が重んじられるようになった。
 「歴史」に学ぶことは、そうした思考の延長線上にあった。たしかに「歴史」への理解を深めたところで、目先の業務に直結することはない。だが、それはサラリーマンたちの「生き方」「行動規範」を考えるうえでの参照項となった。「歴史という教養」は、いわば「日本的経営」の成立とも結び付きながら、サラリーマンたちに希求されたのである。
 そこに浮かび上がるのは、人文知と一般の人々が相互に支え合うような文化である。司馬作品や大衆歴史雑誌の「歴史という教養」は、実証史学のような精緻さを備えていたわけではない。だが、それでも近現代史や古代史・中世史、比較文明論への興味関心を、サラリーマンをはじめとする一般の人々にかきたてた。読者のなかには、その延長で専門研究者の手による新書や選書を手に取り、さらに興味関心を広げた者も少なくはないだろう。司馬作品や大衆歴史雑誌は、一面では、アカデミズムと一般の人々を媒介するものであった。人文知がアカデミズムの枠を超えて、少なからぬ人々の知的関心をかきたて、また、その読者たちは彼らなりにあるべき文化や社会を構想する。こうした状況がかすかに垣間見えたのが、「司馬遼太郎の時代」「歴史ブームの時代」とも言うべき「昭和50年代」だった。

「歴史という教養」の現在

 それから40年近くを経た今日、状況は少なからず変化しているように思われる。終身雇用や安定的な昇進の見通しが揺らぎ、「ジョブ型雇用」が言われるなか、「組織人としての人格陶冶」よりも特定の職業知識・技術の習得に重きが置かれるようになりつつある。だとすれば、中年サラリーマン層における「歴史という教養」の比重低下は避けられない。
 アカデミズムも、一般の読者との乖離がゆるやかに進んでいるようにも思える。世界大学ランキングや国際卓越研究大学制度(大学ファンド)を意識して、評価の高い学術誌、なかでも英文ジャーナルへの成果発表が、理系のみならず文系の学問でも重視されつつある。それはそれで、有益なことではあるし、学問的な「国威発揚」にも資するだろう。だが、これらの学術誌を一般の人々が手にすることはまずない。そのことを考えれば、人文系の学問が一般社会から遠ざかり、アカデミズムの世界のみに自閉しているようにも見える。「歴史という教養」による一般の人々と人文知の架橋は、過去のものになりつつあるのかもしれない。
 もっとも、教養本や関連動画サイトにアクセスする人々は、さほど少ないわけではない。だが、ともすれば、手軽さや効率、短期実利との結びつき求められたり、他人を出し抜くことが潜在的な目的になっていることもあるのではないだろうか。それは、自己の直接的なメリットを超えて、あるべき文化や社会を粘り強く、長期的な視野で思考することとは、いささか異なっているようにも思える。
 かといって、往時の「歴史という教養」がバラ色だったのかというと、決してそうではない。司馬遼太郎の代表作と目される『坂の上の雲』は、日露戦争に勝利した明治日本の「明るさ」を人々に印象付けた。そのことは、戦後後期の大衆ナショナリズムを下支えし、ときに旧日本軍の暴力を不問に付すかのような態度と結び付くこともあった。「歴史ブーム」の危うさも、そこにある。
 だが、そもそも司馬の歴史小説では、「明治の明るさ」のみが描かれたわけではない。司馬は、明治期のさまざまな桎梏(しっこく)に言及しただけではなく、昭和戦前期の政治・軍の不合理や組織病理についても、「余談」のなかで苛烈に問いただしていた。そこには、学徒兵として戦車部隊に動員された司馬自身の戦争体験も投影されていた。しかし、これらは総じて、「明治の明るさ」の影にかすみ、さほど読者の注目するところとはならなかった。
 苦い歴史から目を背けることなく、また、自らの実利や効率ばかりにとらわれることなく、あるべき文化や社会を長期的な視野に立って、いかに粘り強く構想するか。それは、アカデミズムのみに向けられた問いではなく、「民主主義」を生きる人々すべてに向けられた問いでもある。往時の「歴史という教養」は、その問いの重さを今日に訴えている。

著者情報

社会学者

福間良明

ふくま よしあき

1969年、熊本生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。立命館大学産業社会学部教授。専門は歴史社会学・メディア史。著書に、『「反戦」のメディア史―戦後日本における世論と輿論の拮抗』(世界思想社、2006年、第1回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞)、『「戦争体験」の戦後史』(中公新書、2009年)、『「働く青年」と教養の戦後史―「人生雑誌」と読者のゆくえ』(筑摩選書、2017年、第39回サントリー学芸賞受賞)、『「勤労青年」と教養の文化史』(岩波新書、2020年)、『司馬遼太郎の時代―歴史と大衆教養主義』(中公新書、2022年)などがある。

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