「満州」とは何だったのか――安彦良和×三浦英之
ノモンハンは意味深な事件だった
三浦 『虹色のトロツキー』では、1939年にソ連軍と戦って敗北したノモンハンの戦いで物語が終わります。日本の歴史としては、ノモンハンから1945年までのほうが大きく動いていると思うのですが、その前に終わるというのはどのようなお考えだったんでしょうか?
安彦 1945年8月15日で「戦争に負けた」っていう終わり方は、あまりに無責任だからやめようと思っていました。すでに連載が長くなっていたのですが、もっと長くして戦後の国共内戦まで描くか、あるいはノモンハンでやめておくか、どちらにするかでけっこう悩んだんです。ノモンハンというのは、逐次投入がおかしいとか、関東軍が陸軍中央の言うことを聞かなかったとか言われますが、もっと意味深な事件だったんじゃないか。ノモンハンで満州国軍も崩壊するし、そこでいろんなものが実質的に終わるということが大きな問題だと思ったんです。
ノモンハンの前線で戦った第23師団というのは、最後まで増援がなかったんです。荻洲立兵という軍団長は、反攻のために(ノモンハンから約200キロ離れた)ハイラルに兵隊を集めているわけです。休戦になってボロボロになった第23師団の兵隊がノモンハンからハイラルへ引き揚げてくると、武器も食料も速射砲も山ほどある。「こんなにあるのに、なぜ支援してくれなかったんだ」と。問題なのは、逐次投入すらしないで第23師団を見殺しにしたことなんです。大酒飲みの荻洲立兵軍団長は酒を食らって、「(第23師団長の)小松原(道太郎)には腹切らせなきゃいかんな」とか言ってたらしいですよ。
ソ連軍のBT戦車というのは速射砲で、戦車も撃てるような大砲が付いてる。ところが日本軍の八九式というのは、塹壕を撃つためのもので大砲が下を向いてるんです。それをノモンハンに持っていったって役に立たない。むしろ有効なのは肉弾攻撃だった。火炎瓶攻撃で、BT戦車はよく燃えたといいます。
孤立無援だった第23師団は、けっこう善戦していたんですよね。ソ連の崩壊後に統計が出てわかったのですが、ノモンハンでの死者数は、日本軍よりソ連軍のほうが多かったんです。

悪評高き「辻政信」という人間
三浦 『1945』に出てくる建国大学1期生の先川祐次さんは、満州国の諜報機関にいて、戦後は西日本新聞のワシントン支局長などでケネディ暗殺とかを見てきたなかで、よくこんな話をしてくれました。「物事を頭から決めつけて見てはダメだよ」と。先ほどのお話もありましたけど、「満州国とはこういうものだ」というのは愚論で、一個一個の事実を押さえて、自分なりに善悪などを判別した上で理解しなければいけない。先川さんは辻政信と結構仲がいいんですよね。「三浦君、当時の日本や満州国で、悪い国家をつくろう、悪い世の中をつくろうと思って活動した政治家なんて一人もいないよ。みんながいい国家、強い日本、いい世の中をつくろうとして、その中で間違えていった結果が、いまある歴史なんだから」といつも言っていました。
安彦 辻政信というのは、いまはもう、あしき軍人の筆頭で、必ず悪役で出てくるんですけども、『虹トロ』を描いた頃はいまほど有名じゃなかった。辻政信という名前を僕が初めて知ったのは、中学校の社会科の教科書か何かに載っていた参議院議員選挙の開票風景の写真でした。そのときの選挙は、辻が2番で当選していて、名前がけっこう目立っていたんです。ちょうどその頃、辻がラオスで行方不明になったとニュースになっていて、辻ってそんな人だったのか、と。それで、建国大学の話で辻が出てくるから、この人を絶対使おうと思ったんです。辻についての資料を読んでいくと、当時から悪評高かったんですが、なんか面白いところもある人なんじゃないかという気がしてきた。だから、悪いところは悪く、面白いところは面白く、かなり誇張して描きました。当時は髭生やしていないんですけど、口髭を生やしたり、寮のシェフに化けてたりっていう遊びもやって(笑)。僕は、わりと辻政信はうまく描けたと思っているんです。
三浦 戦場から帰還した兵士に現地の情報だけを聞き、拳銃を渡して自殺させたりとか……。
安彦 ええ、有名な話ですね。とんでもない話ですけどね。
三浦 あと、『虹トロ』で印象的なのは、辻政信が死体の上を歩いていくシーン……あれも、辻っぽいですね。
安彦 辻っぽいと思いますよ。ただ、非人間的なやつかというとそうではなくて、けっこう人間的なところがあるんです。
三浦 すごい勉強家なのは事実ですものね。
安彦 ええ。建大の坂東さんに「辻さんはどういう人でしたか?」って聞いたら、「とにかく声が大きかった」と。あと、まだノモンハンの戦争がおさまっていないときに、「昨日、ノモンハンに行って、今朝帰ってきた。明日は上海に行く」と、そういう調子の人だったと。とにかく身のこなしが素早くて、声がでかくて、やることが強引だったと言っていました。
三浦 参謀である辻自らが戦車に乗り込んで、前線へ行ったりしていたという逸話も聞いたことがあります……。
安彦 ノモンハンについて、どういうことを言っていたかってことを聞いたら、「惜しいことをした。もうちょっとでこっちが攻勢に出るところだったのに、止めやがった」と言って怒ってたっていうんですよね。それは負け惜しみだと僕は思ったんだけど、いろいろ資料を見ると、まんざら負け惜しみでもないんですね。

著者情報
漫画家
安彦良和
やすひこ よしかず
1947年、北海道生まれ。弘前大学在学中の学生運動で除籍になり、上京後、虫プロダクションに入社。その後フリーとなってアニメ「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」などに携わり、漫画家に転身。『ナムジ 大國主』『虹色のトロツキー』『王道の狗』『天の血脈』『乾と巽』など、古代から近現代まで歴史を題材にした作品を精力的に描いている。
新聞記者、ルポライター
三浦英之
みうら ひでゆき
1974年、神奈川県生まれ。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞、『南三陸日記』で第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』で2021年LINEジャーナリズム賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で第10回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第22回新潮ドキュメント賞を受賞。