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政治・経済

青天井で増える原発コスト

東京電力と原発を延命し、そのツケは国民へ

大島堅一(立命館大学国際関係学部教授)

(構成・文/川喜田研)

 そもそも、東電委員会の資料で示された「廃炉・汚染水費用」約8兆円という数字自体に、具体的な根拠など何もない(そのため、この有識者会議を開いた経産省も、これらの数字を『経産省として評価したものではない』としている)。1979年に起きたアメリカ、スリーマイル島原発の事故(ちなみに、スリーマイル島原発の事故ではメルトスルーは起きていない)の処理にかかった廃炉費用「約1000億円」の約25~30倍との想定で、最大3兆円、それに当時からの物価上昇率を2倍と計算して約6兆円、これまでの想定が2兆円だから合わせて8兆円……という、何ともアバウトな算出方法を知れば、驚く人も多いのではないだろうか?
 だが、それも当然である。何しろ、メルトダウン事故を起こした福島第一原発の原子炉では、廃炉に向けた技術的な見通しが立っているどころか、未だに溶け落ちた「燃料デブリ」の正確な位置すら確認できておらず、汚染水の処理や放射性廃棄物の中間貯蔵に関する見通しも立っていないのだ。そんな状態で今後の廃炉や汚染水処理費用を具体的な根拠によって算定することなどできるわけがない。
 つまり、本当は「廃炉にいくらかかるのか分からない」のに、「東電を絶対につぶさない」という前提の上で議論が進み、「それを支払う仕組み」だけが作られようとしているのだ。しかも、その負担を、事故を起こした東京電力や他の原子力事業者だけでなく、「託送料金」を通じて他の電力事業者や末端の消費者、つまり、すべての国民に転嫁しようとしている。これは、「電力自由化」の考え方に反しているだけでなく「原発事業のリスク」が市場で判断されるための要素を著しく歪めてしまうのである。
 福島の事故が証明しているように、原発という事業に経営上の重大なリスクが存在することは明らかだ。そのリスクを前提で事業を行っている以上、事故を起こせば、まずは事業者が全資産を吐き出してつぶれるのが「本当の責任の取り方」であり、「事故を起こしても絶対につぶれない」「責任を取らなくてよい」というのでは、まともな市場原理など成り立たない。
 私はこれまで一貫して原発の是非を論じるために「原発のコスト」を正しく評価することが何よりも重要だと訴えてきた。これまで「原発の推進・維持」を前提に、大きく歪められてきた「原発のコスト」を正しく評価し直せば、長年、「原発は安いエネルギーである」という主張を支えてきた「経済的な合理性」が否定されることは明らかだからだ。
 そして、「原発のコスト」を正しく評価するためには「原発事業のリスク」を正しく評価することが欠かせない。「原子力は高くて危ないけれども、それでも絶対に必要だ」と訴えて、原発の維持・推進を主張するのなら(その是非はともかく)まだ筋は通っている。しかし、意図的に歪められた「原発のコスト」の評価で「原発は安い」と主張し続け、福島の事故の損害賠償や廃炉費用に対する責任までを国民に転嫁して「原発事業のリスク」に関する評価も歪めようとするのなら、原発の是非に関する「まともな議論」を期待することなど、到底不可能である。

著者情報

立命館大学国際関係学部教授

大島堅一

おおしま けんいち

1967年生まれ。92年一橋大学社会学部卒業、97年同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。経済学博士。高崎経済大学経済学部専任講師、助教授、立命館大学国際関係学部准教授、教授を経て17年より現職。専門は環境経済学、環境・エネルギー政策論。著書に『再生可能エネルギーの政治経済学』(10年、東洋経済新報社)、『原発のコスト』(11年、岩波書店)、『原発はやっぱり割に合わない』(13年、東洋経済新報社)、『地域分散型エネルギーシステム』(16年、日本評論社)など。

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