押し寄せる難民とEUの選択(1)
熊谷徹(ジャーナリスト)
2015年の欧州は、第二次世界大戦後最も深刻な難民危機を経験しつつある。大半の難民は、社会保障大国で、難民受け入れに寛容なドイツに亡命することを希望している。
中東から西欧への「民族の大移動」が起きつつある。この難民危機は、ドイツだけではなく欧州連合(EU)にとって、戦後最大の試練である。
空前規模の難民流入とドイツの決断
ドイツ連邦政府は、15年に100万~150万人の難民が同国に流入すると推定している。これは、14年にドイツで亡命を申請した難民数(20万2834人)の5倍から7倍に達する数字である。
ドイツ連邦移住難民局(BAMF)によると、15年1月から9月に、この国で初めて亡命を申請した難民の数は27万4923人。前年同期(11万6659人)に比べて136%の増加である。
ドイツのアンゲラ・メルケル首相は15年9月5日に、ハンガリーに足止めされていた多数のシリア難民に対し、オーストリア経由でドイツに入国して亡命を申請することを許可した。この人道的措置は、「欧州の良心」を体現するものとして、全世界で高く評価された。
メルケルの決定は、「超法規的措置」だった。EUには、亡命申請者の受け入れに関する国際規定(ダブリン協定)がある。この協定によると、EU圏内に入った難民は、最初の入国地で登録され、亡命を申請しなくてはならない。つまりハンガリーに到着した難民は、そこで亡命申請を行わなくてはならない。だがハンガリー政府は難民の宿泊施設を十分に用意せず、ブダペスト駅の周辺で野宿させるなど、彼らを冷たく扱った。そして大半の難民がドイツへの亡命を希望したことから、メルケルは難民たちのドイツでの亡命申請を許したのだ。
わずか3日間で2万8000人が到着
当時メルケルは、難民受け入れを「ハンガリーで立ち往生している難民を助けるための一時的な緊急措置」として決定した。だが連邦政府は、この決定について発表する時に、ダブリン協定に違反する難民受け入れが一時的な緊急手段であることを十分に強調しなかった。このため、国内外の多くの市民に対し、メルケルがドイツの門戸をシリア難民に対して、永続的に開放したかのような印象を与えた。実際メルケルの発表以降、ドイツを目指す難民の数が一段と増え、国内では市民が難民急増について不安を募らせることになった。
ドイツ政府の歴史的な決定以降、毎日数千人、時には1万人近い難民が列車でミュンヘン中央駅に到着した。9月5日からの3日間で、ミュンヘンに着いた難民の数は、約2万8000人。これは、08年の1年間にドイツで亡命を申請した難民の数とほぼ同じである。
ミュンヘン中央駅では、多くのドイツ市民が到着した難民を拍手で迎え、食べ物や飲料水、防寒具などを手渡した。この町だけでも約2000人の市民がボランティアとして難民を助けた。
ドイツにおける亡命者の権利
メルケル政権は、16年度の難民対応のための予算を、100億ユーロ(1兆4000億円、1ユーロ=140円換算)増やすことを決定している。
ドイツでは、亡命権が憲法の基本的人権の一つとして保障されている。ナチスが外国人などを迫害したことに対する反省から、難民に対する扱いは、欧州で最も手厚かった。ドイツに着いた外国人が亡命の意思を明らかにした最初の日から、市町村は宿泊施設や食事などを提供しなくてはならない。1人の難民の亡命申請の審査には、平均5カ月かかるが、彼らはこの間衣服や電車・バスの切符、携帯電話のSIMカードの支給を受けられるほか、病気になった場合は無料で診察も受けられる。以前は1月300ユーロ(4万2000円)の小遣いも支給されていた。
ミュンヘン中央駅などに着いた難民は、全国各地の市町村に割り当てられたが、地方自治体の首長からは「到着する難民の数が多すぎ、宿泊施設が見つからない」といった苦情が州政府や連邦政府に寄せられている。旧兵営や学校の体育館、閉鎖された空港の建物などに簡易ベッドが設置され、難民の仮の宿泊施設として使われている。建設現場などで使われるコンテナを購入して難民を住まわせる市町村も多いので、コンテナの価格は、通常の3倍に高騰した。ベルリン市やハンブルク市は条例を改正して、面積が300平方メートルを超え、人が住んでいないアパートを建物ごと、または部屋の一部を強制的に借り上げて、難民を住まわせることができるようにしたほどだ。
難民の受け入れ数が最も多いドイツ西部のノルトライン・ヴェストファーレン州政府や、南部のバイエルン州政府からは、難民の受け入れ数を制限するべきだという声が強まっている。
毎日数千人から1万人の難民が到着することから、亡命申請者としての登録すら遅れており、ドイツに到着したのに、関係省庁に把握されていない難民の数は20万~30万人にのぼると推定されている。
ドイツ国内からの反発
このため、保守勢力からはメルケルに対する批判の声が高まった。キリスト教社会同盟(CSU)は、メルケルが率いるキリスト教民主同盟(CDU)の姉妹政党で、大連立政権にも加わっている。CSU党首で、バイエルン州政府の首相でもあるホルスト・ゼーホーファーは、「多数の難民をノーチェックで受け入れるという決定は間違っている。この決定は、ドイツに長年にわたり悪影響を及ぼす」と述べ、メルケルを公に批判した。ゼーホーファーは、「憲法の中の亡命権を見直して、ドイツにやってくる難民の数を制限するべきだ」と主張している。
これに対しメルケルは「Wir schaffen das(我々は成功する)」というスローガンを繰り返し、「憲法が認める亡命権には上限はない。困っている人に手を差し伸べたことについて、私が謝罪しなければならないとしたら、ドイツは私の国ではない」と反論した。
だがメルケルのこの反論は、市民の間の不安感を増幅した。彼らは「メルケルの発言によって、中東からより多くの難民がドイツに押し寄せるのではないか」という不安を抱いているのだ。「01年の同時多発テロを実行した犯人たちは、ハンブルクに潜伏していた。今ドイツにやってくる難民の中にテロリストが混ざっているかもしれない」という声もよく耳にする。
有権者のメルケルに対する風当たりも強くなっている。公共放送ARDが15年9月末に行った世論調査によると、回答者の51%が「難民急増に不安を抱いている」と答えた。1カ月前の調査に比べると、不安を抱いている回答者の比率が13ポイントも上昇した。
メルケルへの支持率は、難民受け入れが宣言された後の1カ月間で9ポイント下落して、54%となった。逆に、メルケルの難民受け入れの決定を批判したゼーホーファーに対する支持率が、11ポイントも伸びた。
極右勢力の台頭
ドイツの極右勢力も、難民急増を契機に過激化しつつある。旧東ドイツに多くの支持者を持つ右派市民団体「欧州のイスラム化に反対する愛国的な欧州人たち(PEGIDA)」が15年10月に行ったデモでは、一部の参加者が絞首台の模型を掲げ、メルケルの名前を書いた紙片を吊るした。10月19日にドレスデンで行われたPEGIDAのデモには、1万5000人の市民が参加した。ケルンの市長選挙の投票日前日(10月17日)には、難民受け入れを支持していた候補者が、極右団体の関係者にナイフで刺されて重傷を負った。
ドイツの治安当局は、ネオナチなど暴力的傾向のある極右勢力の数を約1万人と推定している。ドイツの人口の0.13%にすぎない。数は少ないが、彼らは外国人にとっては危険な存在である。外国人排撃を動機とする犯罪は、15年1月から6月までは毎月200件のペースで発生していた。しかしその数は7月には423件、8月には628件と大幅に増加している。
連邦政府のトーマス・デメジエール内務大臣によると、14年には難民宿泊施設に対する放火や落書きなどの犯罪行為は153件だったが、15年10月初めの時点で490件に増えている。220%もの増加だ。
またフランスの極右政党「フロン・ナショナール(FN、国民戦線)」のマリーヌ・ルペン党首は、「メルケルが西欧に難民を引き寄せている」と述べ、ドイツの難民政策を批判している。
難民政策の転換
メルケル政権は、特に国内の有権者からの批判を考慮し、難民受け入れについて、慎重な態度を取り始めている。たとえば政府は、15年9月13日にオーストリアから入国する外国人に対する国境検査を始めた。一時はオーストリアからドイツへ向かう列車も運休させた。
10月15日にはドイツ連邦議会が亡命申請に関連する法律を改正し、紛争が起きていないアルバニア、コソボ、モンテネグロからの難民を直ちに強制送還することを可能にした。さらに、難民に対する亡命審査期間中の小遣いの支給を極力制限し、金目当てでドイツにやってくる「経済難民」の数を減らそうとした。
またCSUは、ドイツと他国の国境付近に「トランジット・ゾーン」を設置することを提案しているが、メルケルも前向きの姿勢を示している。この提案によると、ドイツに到着した難民は、まずこのトランジット・ゾーンに収容される。紛争が起きていない国から来た難民は、トランジット・ゾーンから直ちに強制送還される。これは、紛争地域以外の国から来た難民を48時間以内に送還するスイスの手法を踏襲するものだ。
またドイツ連邦政府は、EUの政府に相当する欧州委員会に対し、「難民危機は、EU全体の問題。他の加盟国も受け入れ数を増やしてほしい」と訴えている。確かに、難民受け入れの負担は、ドイツなど一部の国に偏っている。
イギリス、フランスのためらい
著者情報
ジャーナリスト
熊谷徹
くまがい とおる
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局在勤中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツのミュンヘン市に在住。統一後のドイツの変化、ヨーロッパの政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材・執筆を続けている。著書に『新生ドイツの挑戦』(1993年、丸善)、『びっくり先進国ドイツ』(2004年、新潮社)、『顔のない男―東ドイツ最強スパイの栄光と挫折』(2007年、新潮社)、『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争の真実』(2012年、日経BP社)、『日本とドイツ―ふたつの「戦後」』(2015年、集英社)、『偽りの帝国―緊急報告・フォルクスワーゲン排ガス不正の闇』(2016年、文藝春秋)、『イスラエルがすごい―マネーを呼ぶイノベーション大国』(2018年、新潮社)、『ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか』(2019年、青春出版社) など多数。『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』(2007年、高文研)で第13回平和・協同ジャーナリスト奨励賞受賞。ホームページはhttp://www.tkumagai.de/