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イラン核合意の存続を揺るがす脅威の先制攻撃論~イスラエルの核抑止戦略「ベギン・ドクトリン」は三たび発動するか?

熊谷徹(ジャーナリスト)

 オシラク原子炉の破壊から26年後、イスラエル政府は再びベギン・ドクトリンを発動する。2007年9月6日にイスラエルは、シリア東部にあったアル・キバール原子炉を攻撃し、ほぼ完全に破壊した。
 イスラエルのエフード・オルメルト首相は、諜報機関モサドの情報から、シリア政府が北朝鮮の援助を受けて核兵器開発を進めているという疑いを強めた。オルメルトは米国のジョージ・W・ブッシュ大統領(息子)にこの情報を与えて、シリアの核開発計画を武力を使ってでも阻止するよう求めた。しかし米国は当時イラクとアフガニスタンで戦争を続けていたために、シリアへの軍事攻撃に難色を示した。
 このためイスラエルは単独でアル・キバール原子炉爆撃に踏み切った。「オーチャード(果樹)作戦」と呼ばれたこの奇襲攻撃には、F16型戦闘爆撃機など8機と電子作戦機が参加。シリア軍の防空部隊に気付かれないように、電子作戦機がシリア軍のレーダーに偽の画像を送り続けた。攻撃部隊は、米国製のAGM65型誘導ミサイルを使用。前もってシリアに侵入したイスラエル軍特殊部隊の兵士たちが、地上から原子炉のある建物にレーザーを照射して、ミサイルを誘導し命中させた。
 欧米メディアはこの爆撃について「イスラエルによる攻撃か」という報道を行ったが、26年前の「オペラ作戦」とは異なり、イスラエル政府は沈黙を守った。このため国連安全保障理事会も原子炉攻撃を非難する決議を行わなかった。シリア政府もこの攻撃を無視し、イスラエルに対する報復を行わなかった。
 イスラエル国防軍は攻撃から11年後の2018年3月22日に、アル・キバール原子炉爆撃を正式に認めた。IAEAは、破壊された原子炉跡を視察した結果、周辺地域でウランを検出。シリア政府がIAEAに報告せずに、この場所で原子炉を建設していた疑いが強いとする報告書を2018年11月に発表している。
 オルメルトはベギン・ドクトリンを重視する政治家だった。彼も若い頃ベギン同様にシオニズム組織「べタール」に参加していた。

イスラエルの核兵器保有疑惑

 欧米では、ベギン・ドクトリンに対する意見が二分されている。大半の政治家は、他国の核開発疑惑を外交手段ではなく武力で解決しようとするイスラエルの姿勢に批判的だ。 
 その理由の一つは、イスラエル自身が核保有国と見られているからだ。同国は決して認めていないが、欧米の政治家や軍事専門家の間では、イスラエルが核兵器を持っているという意見が有力だ。同国南部、ネゲブ砂漠の核技術研究センターで核兵器の開発が行われていると見られており、同国が保有する核爆弾・核弾頭の数は数百発に達すると推定されている。
 1986年に、核技術研究センターで働いていた技師が、英国の新聞に「イスラエルの核兵器開発」に関する情報をリークしたことがある。しかしイスラエルはこの「内部告発」以後も、核兵器の保有について沈黙している。核兵器の存在を否定も肯定もしないことが、敵国に対する「無言の抑止力」になると考えているからだ。イスラエルには、敵国の核兵器、生物化学兵器や通常兵器によって甚大な被害を受けた場合には、核兵器を大量投入して報復する「サムソン・オプション」という最終戦略があると伝えられる(サムソンは旧約聖書に登場するユダヤ人の英雄の名前で、命と引き換えに敵国の神殿を崩壊させたと言われる)。
 イスラエルが実際に核兵器を持っているとすれば、ベギン・ドクトリンは同国が中東において核兵器を独占する一方で、周辺諸国・敵国に対しては核兵器の保有を禁じるという、優越性の保障のための国防戦略の一環なのである。イスラエルを敵視する周囲のアラブ諸国の目には、「なんと身勝手な戦略だ」と映るに違いない。
 しかし「中東地域のその後の不安定な情勢を考えると、原子炉が破壊されたことは西側にとって幸いだった」という見方もある。21世紀に入ってイラクとシリアでは内戦が悪化。特に2011年3月に勃発したシリア内戦では、アル・キバール原子炉があった地域は一時テロ民兵組織イスラム国(IS)によって制圧された。このため欧米の安全保障専門家の間では、「もしもアル・キバール原子炉が破壊されずに稼働していたら、ISが放射性物質や核兵器を入手し、西側諸国に対するテロ攻撃に使う恐れもあった」と指摘されている。

イスラエルはイランを攻撃するか?

 さて問題は、イランが核兵器開発を行っているという疑惑が深まる中、イスラエルが再びベギン・ドクトリンを発動するかである。イスラエルのネタニヤフ政権は、米(オバマ政権)、英、仏、独、中、露の6カ国が2015年7月14日にイラン政府との間で締結した核合意を強く批判してきた。
 この合意はイランに対してウランを濃縮するための遠心分離機の数を大幅に削減することを義務付けるなど、同国の核技術開発を大幅に遅らせることを目的とするものだ。しかしイスラエルは「イランは核合意の裏で、核兵器の開発を続けている」と主張してきた。このためトランプ大統領が核合意からの撤退とイランへの経済制裁の強化を発表したことを、ネタニヤフ政権は高く評価している。
 ネタニヤフは2005年に野党指導者だった時、「イランに関しては、かつてベギンがイラクに対して取った大胆で勇気のある行動を見習うつもりだ」と発言したことがある。だが彼は首相に就任して以降、ベギン・ドクトリンを直ちに発動することには慎重な構えを見せて、むしろイランに対する圧力は、米国が先頭に立って高めるべきだという立場を打ち出している。
 このためイスラエルは直接的な軍事攻撃ではなく、諜報機関を使った「非軍事的手段」でイランの核開発計画を遅らせようとしてきた。たとえば、2010年から2012年にイランの核科学者4人が暗殺されているが、イラン政府はこの背景にイスラエルの諜報機関モサドがいると推測している。
 また2010年6月にはイランの核施設で使われているコンピューターがウイルスに汚染されたことで、ウラン濃縮施設や原子力発電所の操業に一時大きな支障が出た。ニューヨークタイムズは2010年9月30日の紙面で、このウイルスは、イスラエルの電子諜報部隊である「8200部隊」と米国の諜報機関が共同で開発し、イランの核開発計画を遅らせるために投入したものであると報じた。

はるかに困難なイラン空爆

 ロイター通信は、2011年11月7日の記事で「イランは、イラクやシリアよりもイスラエルから遠い上に国土も広大なので、攻撃するのは難しい。さらにイランは、イスラエルによるイラクとシリアの原子炉攻撃から教訓を得て、核施設を多くの地域に分散させ、堅固な防御態勢を取っている。イスラエル空軍はピンポイント的な奇襲攻撃は得意だが、イランの核施設を使用不能にするには、長期間にわたる空爆が必要となる」として、イスラエルがイランにベギン・ドクトリンをそのまま適用するのは難しいという見方を打ち出している。また、イスラエル国防省の高官の談話としてこの見方を裏付ける言葉も掲載している。

 さらにイランの革命防衛隊は、シリアやレバノンなどイスラエルの周辺国に軍事拠点を設けている。
 特にイランに支援されているシーア派民兵組織「ヒズボラ(神の党)」は、レバノン南部に10万発を超えるミサイルを備蓄し、イスラエルの主要都市に照準を合わせている。イスラエルがイランの核施設への攻撃を始めた場合、イランの指令を受けたヒズボラがイスラエル攻撃を断行するかもしれない。イスラエルはテルアビブやエルサレムの周辺に独自に開発した迎撃ミサイルシステム「アイアン・ドーム」を配備しているが、隣国レバノンから多数の弾道ミサイルが発射された場合、着弾を完全に防ぐことは困難と見られている。このためベギン・ドクトリンが発動された場合、相当の犠牲を強いられる恐れがある
 イスラエル空軍の元少将で、テルアビブ大学安全保障研究センター(INSS)のアモス・ヤドリン所長は2018年3月にベギン・ドクトリンに関する論文を発表イラク、シリアへの過去の先制攻撃を支持。そのうえで、イラン攻撃は過去の奇襲攻撃に比べてはるかに困難になると述べ、ベギン・ドクトリンがこの先、永遠に通用するわけではないと指摘している。
 ヤドリンは1973年のヨム・キップール戦争などで戦闘機を操縦し、合計5000時間の飛行を経験した他、米国駐在武官やイスラエル国防軍の軍事諜報機関の責任者も務めた。歴戦の元少将の警鐘は、ネタニヤフ政権の安全保障担当者の胸にも重く響いたに違いない。

イスラエルと米国の綱引き

 もう一つの重要なファクターは、米国政府の出方だ。ドイツ政府の外交・安全保障問題に関する諮問機関である「科学政治財団(SWP)」のペーター・ルドルフ研究員は、2012年6月に発表した論文の中で、「米国は原則としてイランの核武装を阻止したいという姿勢を持っている」と強調。彼はその証拠として、同年1月にオバマ大統領(当時)が行った演説を挙げる。オバマはこの中で「米国はイランが核兵器を保有することを絶対に阻む決意だ。そのためには、どのような選択肢も除外しない」と述べ、軍事行動というオプションもあり得るという姿勢を明らかにした。

著者情報

ジャーナリスト

熊谷徹

くまがい とおる

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局在勤中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツのミュンヘン市に在住。統一後のドイツの変化、ヨーロッパの政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材・執筆を続けている。著書に『新生ドイツの挑戦』(1993年、丸善)、『びっくり先進国ドイツ』(2004年、新潮社)、『顔のない男―東ドイツ最強スパイの栄光と挫折』(2007年、新潮社)、『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争の真実』(2012年、日経BP社)、『日本とドイツ―ふたつの「戦後」』(2015年、集英社)、『偽りの帝国―緊急報告・フォルクスワーゲン排ガス不正の闇』(2016年、文藝春秋)、『イスラエルがすごい―マネーを呼ぶイノベーション大国』(2018年、新潮社)、『ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか』(2019年、青春出版社) など多数。『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』(2007年、高文研)で第13回平和・協同ジャーナリスト奨励賞受賞。ホームページはhttp://www.tkumagai.de/

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