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イラン核合意の存続を揺るがす脅威の先制攻撃論~イスラエルの核抑止戦略「ベギン・ドクトリン」は三たび発動するか?

熊谷徹(ジャーナリスト)

 さらにオバマは同年3月にネタニヤフとワシントンで会談した際にも、同様のことを述べている。これらの発言の狙いは、「対イラン政策では米国が主導権を握る。必要とあれば武力も使う」と強調することで、イスラエルが単独でイラン攻撃に踏み切らないようにすることだった。オバマはこの年の11月に大統領選挙を控え、選挙前にイスラエルがイランを攻撃し、中東に戦火が拡大することを避けようとしたのだ。それどころか、オバマはその年の夏にイランとの間で核合意をまとめあげ、同国の核開発にブレーキをかけようとした。これによりイスラエルにとっては、予防攻撃のための理由づけが更に難しくなった。国際世論は、合意を受け入れたイランに対する同情が強まり、逆にイランへの警戒心を煽るイスラエルのイメージが悪化した。ネタニヤフがオバマを蛇蝎のように嫌うのは、そのためだ。

ベギン・ドクトリンは放棄されたわけではない

 しかしオバマが退いた後、トランプは2018年、核合意からの撤退を表明。イランの態度も硬化し、IAEAは今年(2019年)7月8日、「イランが濃縮度を引き上げ、核合意で定められたウラン235の濃縮度の上限である3.67%を突破した」と発表した。イラン原子力機関のスポークスマンは、「我々は20%の濃縮度をめざしているわけではない。しかし必要となれば、さらに濃縮度を引き上げるし、我々を妨げるものはない」と述べ、もはや核合意には拘束されていないという態度を打ち出した。2015年の核合意は、死に体となったも同然である。

 核兵器の製造にはウラン235の濃縮度を90%に高めることが必要であり、現在の濃縮度はそれよりもはるかに低い。しかしイランが米国の核合意撤退や経済制裁の強化に反発して、濃縮度に関する核合意の内容に違反しはじめたことは大きな問題である。イスラエル政府の危機感を高めることにもなり、現在ネタニヤフ政権は、様々なオプションの長所と短所を必死で検討しているはずだ。

 ただし、トランプ政権はイスラエルを守るために自国から遠く離れたイランと戦争状態に入ることについては、躊躇するだろう。2020年に大統領選挙を控え、トランプもオバマ同様、選挙前に中東の火薬庫に火がつき、米軍が介入せざるを得なくなるような事態は避けようとするに違いない。つまりトランプは、ネタニヤフに対してベギン・ドクトリンの3度目の発動を見合わせるよう働きかけているものと見られる。
 イスラエルがイランに対して直ちにベギン・ドクトリンを発動する可能性は低い。しかし同国はこのドクトリンを捨て去ったわけではない。イランが核兵器製造の道を本格的に歩み始めた場合、イスラエルが高い代償を覚悟で軍事行動に踏み切る可能性はゼロとは言い切れない。(文中敬称略) 

著者情報

ジャーナリスト

熊谷徹

くまがい とおる

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局在勤中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツのミュンヘン市に在住。統一後のドイツの変化、ヨーロッパの政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材・執筆を続けている。著書に『新生ドイツの挑戦』(1993年、丸善)、『びっくり先進国ドイツ』(2004年、新潮社)、『顔のない男―東ドイツ最強スパイの栄光と挫折』(2007年、新潮社)、『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争の真実』(2012年、日経BP社)、『日本とドイツ―ふたつの「戦後」』(2015年、集英社)、『偽りの帝国―緊急報告・フォルクスワーゲン排ガス不正の闇』(2016年、文藝春秋)、『イスラエルがすごい―マネーを呼ぶイノベーション大国』(2018年、新潮社)、『ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか』(2019年、青春出版社) など多数。『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』(2007年、高文研)で第13回平和・協同ジャーナリスト奨励賞受賞。ホームページはhttp://www.tkumagai.de/

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