【対談:長有紀枝×木村元彦】ユーゴ紛争「終結」後に残されたものは何か?~民族間融和の希望を探る
(構成・文/イミダス編集部)
木村 だからセルビア人はICTYを信頼していません。ICTYでセルビア人以外が裁かれた例で言えば、クロアチア人のゴトビナ将軍。彼は、クロアチアから20万人ものセルビア人を追い出し、150人以上を殺害した軍事オペレーションの指揮官です。人道に反する罪で訴追され第一審で24年の懲役刑が科されましたが、控訴審でいきなり無罪になっています。これにはゴトビナ本人も驚いたと言われています。
長 ボスニアのムスリム軍関係者では、スレブレニツァを含む東ボスニア地域を管轄していたオリッチという司令官がいます。彼はボスニア紛争において東ボスニアのセルビア人への迫害や殺害の容疑で訴追されました。2006年の第一審では有罪にはなりましたが、刑期はたった2年。その後2008年の上訴審で無罪が確定しています。どう見ても、犯罪の重大さに比して、量刑がつりあっていません。
ICTYは戦争の全体像を見ていただろうか
長 ICTYの「スレブレニツァの虐殺」に関する一連の裁判のうち、ジェノサイド罪などで終身刑が確定した「トリミル事件」で、裁判官を務めたニャンベ氏というザンビアの女性判事がいます。彼女は、スレブレニツァ事件は戦争中に起きたのだから、戦争の全体像を見て判断しければいけないという理由で、ジェノサイド罪の適用に唯一反対意見を述べました。
ICTYは、自分たちは事実に基づいて歴史をつくっているという言い方をします。ですが、その事実というのは、裁判官が多数の、時に矛盾する証言・証拠の中から、「こっちが本物だよね」と選び取ったものです。それに基づいて歴史=判例をつくり、その上にさらに歴史が積み上がっていく。後からどんな証拠が出てきても、「スレブレニツァで8000人が虐殺された」というのは、もう覆りようのない「歴史」になっています。もっと詳細に調べれば、8000人の中には戦争に巻き込まれて亡くなった人が相当数いて、虐殺の犠牲者はその半数以下かもしれません。しかし、そういう疑問はもう消されてしまいました。
また、ICTYで有罪判決を受けたセルビア人の中には、冤罪の疑いが濃厚なケースもあります。その人は刑期を終えて地元に帰り、自分を陥れた、恐らくは同じセルビア人の真犯人を探していると言います。
木村 国連の名のもとに公正な司法が立ち上がったはずが、その実、安保理常任理事国の意向が強く反映され、反セルビアに偏っているんですね。
長 ICTYは国連安保理決議によってつくられたので、ICTYの所長が報告すべき相手も安保理です。司法機関が政治的組織に従属すること自体が本来はおかしいですよね。
ICTYは、セルビア人を厳しく裁いている限りは国連から何の重圧もかけられませんでした。ただし、アメリカが支援していたKLAの犯罪疑惑には甘かったと言わざるを得ません。デル・ポンテはこのダブルスタンダードを厳しく指弾しています。

『スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察』(2009年、東信堂)
映画に潜むバイアス
長 デル・ポンテと言えば、ICTY判事として戦争犯罪人を追跡する姿を記録したドキュメンタリー映画『カルラのリスト』(マルセル・シュプバッハ監督、2006年、スイス)の印象が強いですね。セルビア人を叩く側であるかのように描かれています。
木村 映画ではデル・ポンテがICTYでセルビア人被告を裁いていくところばかり取り上げているので、本人にとっても残念な描かれ方だと思います。
長 映画の影響力はとても強くて、しかも描かれないことは「なかったこと」になりますから、デル・ポンテがクロアチア人やKLAの訴追も手掛けていたことは広く知られていませんね。
スレブレニツァの虐殺を描いた映画『アイダよ、何処へ?』(ヤスミラ・ジュバニッチ監督、2020年、ボスニア・ヘルツェゴビナほか合作)も同様で、製作側が意図的に言わないことがいっぱいあるんです。でも、ユーゴ紛争の内実を知らずに映画を見た人は、そこに描かれたことが真実だと思ってしまうでしょう。
例えば映画では、冒頭でスレブレニツァのムスリム人の市長がセルビア軍に殺されてしまいます。このため、後々、市民とセルビア軍が交渉する際に、アイダ(映画の主人公。スレブレニツァに住んでいたムスリム人の女性で、国連軍の通訳を務める)の夫を含む民間人が駆り出されることになる、という筋書きです。
スレブレニツァの市長が早々に町からいなくなったのは史実の通りです。でも実はその理由が違う。市長は徒歩でスレブレニツァを脱出した1万数千人の人々の先頭集団にいて、軍人に守られながら逃げて、今でもスイスで実業家として生きています。そうと知らなければ、この映画で初めてスレブレニツァの虐殺に触れるという人は、「かわいそうな市長が残虐なセルビア人に殺された」とインプットされてしまうでしょう。これが「歴史の書き換え」です。
木村 映画の世界も、セルビアを叩いている分にはどこからもクレームを受けないという意味で、ICTYと似ているかもしれません。90年以降、そういう作品が多い印象です。
リチャード・ギアが主演した『ハンティング・パーティ』もそうでした。やはりセルビア人の描き方が一面的すぎて、デモナイゼーション(悪魔化)がひどい。そういうスタンスの映画が基本的には製作・公開されていて、これでは反セルビアのイメージはなかなか薄れません。
利用される「犠牲者意識ナショナリズム」
長 国際社会では反セルビアの印象がいまだに強いのですが、旧ユーゴの中では、互いが互いをデモナイゼーションしています。
紛争を通してそれぞれの民族が憎悪を煽りあった結果、人々のあいだには深い傷跡と、明確な分断が残りました。25年以上が経った今も被害者意識が支配的で、誰が、またはどの民族が最もひどい被害に遭ったかを競うようになっています。人々は直接的な被害者ではなくても被害感情を共有し、一丸となって加害者を非難します。この感情は、紛争を経験していないはずの下の世代にも受け継がれ、若い民族主義者、排外主義者が育ってしまっています。
旧ユーゴ諸国の政治家やメディアは、自国民の強烈な犠牲者としての意識やそれに起因するナショナリズムを放置、または煽動することで、さまざまに利用しています。政権を維持するためであり、戦争で自国民が犯した罪を認めることを防ぐためでもあるでしょう。また、自国の不都合な真実から目をそらすのにも好都合です。これに与(くみ)せずに自民族の不正や犯罪をただそうとする人や、加害側と融和しようと努力する人は、裏切り者として民衆が自発的に非難してくれますから。世界各地で起きているこうした一連の動きを、韓国の林志弦教授(西江大学)は「犠牲者意識ナショナリズム」と名付け、重要な研究をされています。
木村 セルビアで言うなら、やはり国連の承認を得ずに強行されたNATO空爆への被害感情が、民族的な屈辱として全身を支配しています。
ですから、彼らが今、ウクライナ侵攻を目にして、NATOとアメリカへの不信感のあまりロシアにシンパシーを抱いてしまうという心情も、わからないではないんです。ただ、そこだけ切り取って報道されて、「なんだ、セルビアは親ロシアなのか」と誤解されてしまうのは本意ではありません。また、私は『コソボ 苦闘する親米国家』でNATOやアメリカの欺瞞を追及していますが、その論理が切り取られ、ウクライナ侵攻正当化のプロパガンダに利用されるようなことは、やはり断じて許容できません。
長 NATO空爆は、国連安保理の承認を経ていないので、ロシアにとっても寝耳に水でした。NATOとロシアの溝を決定的にしたという点では、現在にまで影響を及ぼしています。
ウクライナ侵攻が始まったころに、ガルージン・在東京ロシア大使(当時)がテレビに出てロシア側の公式な見解を語っていました。彼が、「アメリカだって国連の承認を得ずに軍事行動をとったじゃないか」という例に出すのがNATO空爆です。さまざまな意味であの空爆が残した影響は計り知れないと思います。
著者情報
立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・社会学部教授、認定NPO法人難民を助ける会(AAR)会長
長 有紀枝
おさ ゆきえ
1963年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院政治学研究科修士課程修了。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。外資系企業勤務を経て、1991~2003年、難民を助ける会(AAR)に勤務。緊急人道支援、地雷対策、障害者支援、地雷禁止条約策定交渉などに携わる。2008年よりAAR理事長、2021年より会長。2009年より立教大学教授。著書に『スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察』(東信堂)、『入門 人間の安全保障』(中公新書)などがある。
ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト
木村元彦
きむら ゆきひこ
1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。