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家族の日常から歴史が見える~映画『スープとイデオロギー』が描く「済州島四・三事件」をめぐって1【対談】金石範×ヤン ヨンヒ

金石範(小説家)

ヤン ヨンヒ(映画監督)

(構成・文/木村元彦)

 四・三事件の影響で北に帰った在日もいたと思います。私は1953年に四・三事件によって済州から対馬に逃げてきた女の人のことを「乳房のない女」(1981年)という短編に書いています。そのモデルとなった女性は四・三で捕まって乳房を拷問で抉(えぐ)り取られたのです。密航してきた彼女には息子がいました。その息子も母が来たあとに、密航で日本に逃げてきたけど捕まってしまい、大村収容所に入れられました。彼はその後、放免されて、母親のいる大阪へ帰ってきた。日本の大学に行っていましたが、のちに親子で帰国船に乗って北へ行くんです。あの虐殺の土地から日本へ逃れて来たけれど、彼らからすると、日本は植民地の宗主国でしょう? 日本の差別もひどいので、彼らは北に向かったわけだけど……。その後は、どうなったかわからない。

ヤン 日本のメディアの方々、映画を観た評論家やライターの人がこの映画を紹介してくださるときに、「済州島での四・三事件のようなつらい体験があったから、ヨンヒさんのオモニは北を信じて息子さんを帰国させたんですね。悲劇ですね」と言うんですね。でも、そこでいつも私が思うのは、オモニが生まれ育った日本のことを自分の国やともう少し本心から思えたり、日本社会がもう少し、在日にとって人間らしく扱ってもらえる場所であったならば、あんなにたくさんの在日の人たちが北に向かわなかっただろうと思うんです。その視点がいつも日本のメディアから抜けている。NHKの、帰国事業を扱った特別番組でさえ「日本も北朝鮮を地上の楽園と美化しました」の説明で終わりです。もっと日本のことも考えなきゃいけない。
 うちの家庭の中でも、イデオロギーが対立していつもけんかが起こっていたんです。北に洗脳されたまま生きていこうという両親と、洗脳から抜け出したい私とのけんかですよ。でも、両親は私以外の子供たちをもう北に行かせてしまったから、単純に「日本で幸せに暮らせたらいいね」というようにはならない。つまり、多くの在日の帰国者を出した家庭には、「日本」が抜けている。生まれ育った場所である日本がどうだったかについて、日本人と在日の人が一緒になって議論してほしいですね。

 四・三事件の影響で、かなりの数の人が日本に密航してきたことは事実です。ただ、帰国事業では約9万人以上の在日が北へ帰ったというわけだから、単に四・三事件に遭った人が日本を介して北に向かったわけではないでしょう。日本に住めない事情があった。昔は日本国籍を取るというのは大変なことだったし、やはり在日は邪魔者扱い、されていたからね。日本における在日朝鮮人に対する差別は、そんなやさしいものではなかった。それを、当事者たちみなが肌で感じているわけです。戦後、南朝鮮へ強制的に送還するという話もあったほどです。在日朝鮮人に対する政策、戦争責任に関する検証や清算を日本政府はしていないでしょう。日本政府はいわば歴史健忘症にかかっているんです。

ヤン でも対立してケンカするわけにはいかないから、一緒にスープを作ってご飯を食べましょうというのが今回の映画なんです。さっきも言ったように私の家はいつもケンカが絶えなかったわけですよ。そこに笑って、ご飯が食べられるようになる人が現れたわけです。

――それが、ヤンさんの夫である荒井さんだったんですね。石範さんは、荒井さんの存在はどういうふうにご覧になりましたか?

映画『スープとイデオロギー』より

 荒井さんが出てくる場面は、タイトルの「スープ」に象徴されるような日常を切り取っているところですね。彼が日本人であることが面白い。人間はご飯を食べるときは誰しも平穏な日常を過ごす存在であることを表現していると思う。日常も描いていながら、隠れた「イデオロギー」の部分も描く。そういうところを、私は非常に高く評価しています。

ヤン 彼がいることで、すごく家の雰囲気がよくなりました。私のドキュメンタリー映画の中で初めて、日本人が重要な存在として登場するんです。そこは、日本の観客のみなさんにも映画に入りこみやすいかもしれません。

娘も知らなかった母の過去

ヤン 実を言うと荒井がいなければ、この映画を撮ろうと思わなかったんです。私はこれまでオモニが四・三事件に関わっていたこと、済州島に婚約者がいたこと、密航船で逃げてきたことも知らなかった。私は済州島で生まれたアボジと、日本で生まれたオモニとの間の子だと思っていたんです。オモニが四・三の体験者であったことをぽつぽつと語り始めたのは10年前ですね。最初から饒舌に語り始めたわけではなかった。少しずつ四・三について話しているところをビデオカメラで撮影しはじめたけど、映画にしようとは思わなかったです。
 〝いまになって母が四・三の話をし始めました〟というテーマでは、作品としては1時間半にもなれへんなと(笑)。むしろオモニの証言を基に、短編映画にして記録として残るものにしようかなという程度でした。そう考えていたときに、荒井と知り合った。
  荒井はライターで、人にインタビューをして書くのが仕事なので聞き上手なんです。私が聞いても「もういい聞かんとき!」とかなるんだけど、荒井がオモニに質問をすると、すごく丁寧に話す。オモニはこの何も知らないであろう新しく現れた日本人に、「私の経験を全部教えてあげよう」という感じで具体的に語り始めたんです。日本人である荒井が金日成の肖像画を飾っているような家に通って、オモニに話を聞いている感じが面白くて(笑)。これは一本の映画が撮れそう、というところから始まりました。

――四・三事件のことをテーマにして映画を作りたいということもなかったんですか?

ヤン そうですね。テーマを決めて撮るという意識はなかったです。オモニが四・三のことを話し始めてびっくりしたという感じです。そこから、資料を集めて勉強したところもあります。オモニは、荒井に本当にたくさんの話をしているんです。これは映画に入れることができなかったんですけど、オモニには、日本兵として戦争に行った兄がいたんです。オモニはウエハルモニ(母方の祖母)と一緒に、自分のお兄さんを「天皇陛下万歳!」と言って見送りに大阪から東京まで行ったそうなんです。それで当時、10代のお兄さんが、冬なのに、南方の島に行くからといって半袖の軍服しか着せてもらえない姿を見て、オモニはすごいつらかったと。

 お兄さん帰ってきたの?

ヤン いえ、戦死の知らせもないままです。オモニは10代の頃にお兄さんと離ればなれになった。私も北朝鮮に帰国させられた兄がいるわけで、同じ境遇なんです。オモニみたいに生きたくないと思っていたけど、実は私たち親子はとても似ているのかなと最近思うようになりましたね。
   前にオモニが『かぞくのくに』(2012年)を観たときに、兄を北に帰国させたことについて「あんたはほんまに腹が立っていたんやな」と言ってきた。映画を作るぐらい長いあいだ腹立っていたのかと。それは嬉しい感想ではあったんですけどね。
   以前は、「こんな怒ってばかりだと、朝鮮総連ににらまれるし、北朝鮮にいるお兄ちゃんたちにも会いに行けなくなるよ。そんなしんどい生き方するの、やめとき」とオモニは私に言っていた。でも、だんだん「いつでもサムゲタン炊いたるから、映画作るのがんばりや」と言ってくれるようになったんです。その変化の背景には、オモニ自身がお兄さんを亡くしていることがあるんじゃないかなと。どんな人の人生も一筋縄ではいかないというのか、様々な歴史や社会の出来事と繋がっているんだなと改めて理解しましたね。

 すべてを語ったあとに

――石範さんも、映画を観てまたいろんなイメージが湧いてきたんじゃないですか。

 映画から小さいエピソードを引っ張ってきていくらでも短編小説が書けますよ。たくさん印象的な場面があったけど、映画の中で大阪に済州島の「四・三研究所」の人たちが来るじゃないですか。オモニはあのとき、四・三についての過去を彼らに話しますね。そのあと、オモニはアルツハイマーになったの?

著者情報

小説家

金石範

キム・ソクポム

  1925年生まれ。「鴉の死」(1957)以来、済州島四・三事件を書きつづけ、1万1000枚の大長編『火山島』(1976~97年〉を完成。小説集に、『鴉の死』(新装版1971年)、『万徳幽霊奇譚』(1971年)、『1945年夏』(1974年)、『幽冥の肖像』(1982年)、『夢、草探し』(1995年)、『海の底から、地の底から』(2000年)、『満月』(2001年)、『地底の太陽』(2006年)、『海の底から』(2020年)、『満月の下の赤い海』(2022年7月刊行予定)など。評論集に『在日の思想』、『金石範評論集1 文学・言語論』(2019年)などがある。四・三事件に関して詩人の金時鐘氏と対談した『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』(増補版2015年)がある。

映画監督

ヤン ヨンヒ

やんよんひ/Yang Yonghi

 大阪出身のコリアン2世。父親を主人公に自身の家族を描いたドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』(05)は、ベルリン国際映画祭・最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)、サンダンス映画祭・審査員特別賞ほか、各国の映画祭で多数受賞し、日本と韓国で劇場公開。自身の姪の成長を描いた『愛しきソナ』(09)は、ベルリン国際映画祭、Hot Docs カナディアン国際ドキュメンタリー映画祭ほか多くの招待を受け、日本と韓国で劇場公開。脚本・監督した初の劇映画『かぞくのくに』(2012)はベルリン国際映画祭・国際アートシアター連盟賞(CICAE賞)ほか海外映画祭で多数受賞。さらに、読売文学賞戯曲・シナリオ賞等、国内でも多くの賞に輝いた。著書にノンフィクション『兄 かぞくのくに』(12/小学館)、小説『朝鮮大学校物語』(18/KADOKAWA)ほか。

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