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障害のある子もない子も、ともに学ぶ「インクルーシブ教育」は日本でも実現できる? ~国連障害者権利委員会の勧告を受けて

一木玲子(東洋大学人間科学総合研究所客員研究員)

(構成・文/仲藤里美)

 たとえば、以前私が訪れたカナダの学校では、その日決められた授業のテーマについて、子どもたちがそれぞれ自分のペースで課題に取り組むという形の授業が行われていました。教材も、障害のある子向けのもの、英語の話せない子向けのものなども含めて多種多様に用意されていて、どれを使って学んでもいい。取り組み方も、1人でじっくり考えてもいいし、友達と協力してやってもいい。みんなで同じことをするのではなく、それぞれがそれぞれのやり方で課題に取り組み、授業の最後にみんなで集まって「このテーマについて自分が学んだことは何か」を発表し合うのです。もちろん、その子の状況によっては、特別支援教育で行われているような内容を、サポートを受けながら学ぶことも考えられます。
 つまり、日本の一般的な学校のように、みんなが教室に並んで座って、先生の話を一緒に聞くという形の授業方法自体が、インクルーシブ教育においては否定されていると言えます。「学ぶ」主体はあくまで子どもたちであって、先生はそれを支える役割に過ぎない。そして、学校には当然多様な子どもたちが通うのだから、その子どもたちが一緒に学べる環境をつくらなくてはならない。そういう発想から授業の組み立てがスタートしているわけです。
 日本において、これと非常に近いことが行われているのは、一部のフリースクールかもしれません。近年、不登校になってフリースクールに移る子が増えているのは、普通学校が多くの子どもたちにとって楽しく過ごせる場ではなくなっているから。つまりは、多様な子どもたちを包摂できる「インクルーシブ」な場になっていないからとも言えるのではないでしょうか。このことからも、インクルーシブ教育が決して「障害のある子どもだけの問題」ではないことが分かると思います。
 また、こうした授業のあり方の改革は、当然ながら「教育」というもの全体のとらえ直しにもつながります。カナダをはじめとするインクルーシブ教育の先進国では、暗記中心の教育から「どう考えるか」「どう思うか」を重視する教育への転換が進んだことで、知的障害のある人が大学に進学するケースも増えてきていることも、申し添えておきたいと思います。

「日本ではまだ無理」ではない

 では、日本でインクルーシブ教育を実現していくためには、何が必要なのか。
 現状ではまだまだ条件が整っていないし、取り入れるのは難しいでしょう、と言われることもよくあります。でも「条件が揃ってから」と言っていては、何も始まりません。まずは手を付けてみて、問題に直面したら「ではどうすればいいか」「どこを変えれば進めていけるか」を考える。そうしたゆるやかな形でいいから、とにかく「スタートさせる」ことが重要だというのが私の考えです。

 ユネスコが2005年に発行した文書「インクルージョンへのガイドライン」 では、多様な子どもたちが同じ場で学べる環境をつくっていくために学校を改革していく、その「プロセス」がインクルーシブ教育だと定義されています。「どうすれば実現できるか」を考え、試行錯誤していく過程そのものが重要なのです。
 制度面でいえば、まず手を付けるべきは、勧告でも指摘された「障害があっても普通学校に通いたいという子どもを拒否しない」ことではないでしょうか。文科省は「学校選択にあたっては、本人や保護者の意向を最大限尊重している」 と言っていますが、実際には教育委員会が決定権を持っていて、特別支援学校への進学を事実上強制されるケースも多くあります。「普通学校に通うという選択肢があること自体を知らなかった」とおっしゃる保護者の方も少なくありません。これは、法律を変える必要もなく、文科省が教育委員会に通達を出せば解決する問題ですから、すぐにでも実行すべきだと思います。
 それと並行して、特別支援教育から普通教育への予算配分の移行などを進めながら、普通学校に多様な子どもを包摂できるようにするための法制度の見直しを進めていく。たとえば、障害のある子が普通学級に通う場合に、追加で教員を配置できるようにする、あるいは特別支援学級や特別支援学校で障害のある子の教育に携わった経験を持つ教員を普通学級に配置していくなどの工夫も必要でしょう。

インクルーシブ教育の在り方を研究している一木玲子さん

 「日本ではまだまだ無理」と思われがちなインクルーシブ教育ですが、実は全国を見回せば、先行事例もたくさんあります。中には、大阪府豊中市や兵庫県芦屋市など、障害のある子が普通学級で一緒に学ぶための取り組みを、40年以上前から続けてきている地域もあるのです。
 そうした学校に通う子どもたちを見ていると、子どもたち同士が非常にいい関係をつくっていると感じます。たとえば車椅子を使っている友達がいる、運動会の徒競走をどうするか――となったときに、みんなが真剣に話し合って「どうすれば一緒に楽しめるか」を考える。そうした経験の積み重ねが、大人になったとき、障害のある人と一緒に社会の中で生きていくための知恵を出し合うことにつながっていくのではないでしょうか。
 さらに、インクルーシブ教育に長い歴史のある地域では、すでにそこで育った子どもたちが教員になって地元に戻ってくるケースも出てきています。彼ら、彼女らは、小さいころから障害のある子と一緒に育っているから、それが当たり前だという感覚を持っている。むしろ、障害のある子がクラスに1人もいないと「あれ、うちのクラスにはいないんですか?」と意外な顔をするほどです。
 そうした感覚を持った人材は、すでに育ち始めているのです。

 今回の権利委員会による勧告では、2016年に神奈川県相模原市で起こった「やまゆり園事件」にも触れられていました。障害のある人たちがなぜ、地域社会から切り離された入所施設で暮らさなくてはならなかったのか。その背景には、能力主義と優生思想が蔓延する日本社会の現状がある。そしてそのことがこの事件を生んだのではないかと指摘されているのです。
 もし、本当に日本社会に「能力主義と優生思想が蔓延している」のだとしたら、それを生んだのは学校であり教育にほかなりません。そして、そうした状況を変えていけるのもやはり教育でしかないと思います。
 障害のある子もない子も、多様な子どもたちが一緒に学べる場を、当たり前のものに──。今回の勧告を受けて、今こそインクルーシブ教育の実現に向けた取り組みを本格化させるべきだと考えます。

著者情報

東洋大学人間科学総合研究所客員研究員

一木玲子

いちき れいこ

東洋大学人間科学総合研究所客員研究員。1968年京都府生まれ。大学時代から障害のある人の介助など自立生活を共にする中で、分離教育制度の差別性に気づき、インクルーシブ教育研究の道へ。共著に『分けないから普通学級のない学校――カナダBC州のインクルーシブ教育』(アドバンテージサーバー、2014年)などがある。

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