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作家・目取真俊が語る。教科書には書かれない沖縄戦の“実相”

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

目取真 「集団自決」(強制集団死)があった慶良間(けらま)諸島には、海上の特攻隊(海上挺身戦隊)が配置されていました。ベニヤ板で作った一人乗りの特攻艇で、通称は「マルレ」(四式連絡艇)です。沖縄島西海岸に上陸する米艦隊に対し、背後から攻撃する作戦で、渡嘉敷島(とかしきじま)、座間味島(ざまみじま)、阿嘉島(あかじま)にマルレを100艇ずつ置いていた。100艇が一斉に出撃すれば、仮に9割が撃沈されても1割は当たるだろうという発想です。島には朝鮮半島から強制的に連れてこられた軍夫や慰安婦もいました。
 しかし、米軍の攻撃を受けて1艇も出撃できないままマルレは破壊され、日本軍は山に立てこもります。その過程で、渡嘉敷島や座間味島、慶留間島(げるまじま)で「集団自決」が起こりました。「集団自決」は戦後になって使われた用語で、沖縄戦当時は「玉砕」と言っていました。本来は部隊の全滅を美化した「玉砕」が、沖縄戦では軍民一体化のもと住民も巻き込んでいきます。住民は陣地構築に駆り出され、兵隊との交流もあったし、慶良間諸島の住民は那覇にも行き来していた。日本軍からすれば、軍の状況を知っている住民が生き残って、米軍の捕虜になると困るんです。だから住民にも「玉砕」が強制された。米軍に対する恐怖心を植え付け、米軍に残虐な形で殺されるよりは、自分の手で家族を殺した方がいい、という心情を作っていった。これは軍だけの問題ではなく、当時の教育やメディアもそういう方向へ住民を洗脳したわけです。
 沖縄戦で日本軍と行動を共にした30代、40代の沖縄の男たちは、初年兵教育を受け、中国で戦って除隊した在郷軍人も多かったのです。「集団自決」について軍の関与を否定する者が、「一部の住民が手榴弾を軍から持ち出して勝手に配って自決した」という主張をしています。そんなことはあり得ないんです。軍隊経験のある男たちは、上官の命令に背く抗命罪や部隊を離脱する敵前逃亡が、陸軍刑法で死刑だということを知っています。米軍の攻撃を受けているなか、赤松隊長(※8)の命令や指示がないのに、彼らが勝手に手榴弾を持ち出して部隊を離れ、住民に配るでしょうか。住民を含めて島は軍の統制下にあったんです。赤松隊長は住民の動向を把握していて、自らの意に反した住民を何人も虐殺しています。
 令和書籍の教科書の「逃げ場を失って自決した民間人もいました」という記述は、「集団自決」(強制集団死)と日本軍の関係を切り離す作為的なものです。軍が住民に手榴弾を配った事実も記されていません。慶良間諸島で起こったのは、日本軍が進めた「特攻」と「玉砕」の最悪の結果だったのです。

沖縄の人が歴史教科書に望むこと

目取真 沖縄の人が求めてきたのは、日本軍による住民虐殺や壕追い出し(※9)、食料強奪、「集団自決」の命令・強制など、日本軍がやった事実を教科書に記述することです。家永教科書裁判(※10)を含めて、これを主張してきた。その結果、ある程度記述されてきたのに、2007年の教科書検定で「集団自決」の軍による強制を示す記述を削除させました。

 ――文科省と教科用図書検定調査審議会によるこの検定意見の撤回を求めて、2007年9月には11万6000人が宜野湾(ぎのわん)海浜公園に集って抗議しています。抗議集会の後、文科省は再修正を求めますが、検定意見の撤回はしなかった。文科省は各教科書会社に指示は出さないが、「自主的に」意図に沿う記述になるように誘導したと聞いています。

2007年9月29日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に集まる人々(沖縄県宜野湾市)

目取真 文科省の検定はさらに後退しています。令和書籍の教科書に一貫しているのは、戦争の悲惨な側面は切り捨て、天皇が治める国のために戦った若者、沖縄の住民という構図を作って賛美することです。昭和天皇が「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを」っていう句を残したという文章もある。昭和天皇が沖縄を思い続けていたと美化しています。
 しかし『遅すぎた聖断』(琉球放送、1988年)というドキュメンタリー番組で描かれていますが、近衛文麿(このえ・ふみまろ)が戦争の早期終結を訴えた上奏文を昭和天皇は受け入れませんでした。もはや勝ち目がないのは明白なのに、戦争を長びかせて沖縄戦に突き進んだ。さらに、敗戦後も国体護持を最優先し、沖縄を25~50年あるいはそれ以上統治していいというメッセージをマッカーサーに送った。そんなことをやっておきながら、よく恥ずかしげもなくあんな歌を作れるな、と思いますよ。
 私の父は、日本が戦争に負けたとき、天皇は「自決」すると思っていたそうです。自分たちは天皇のために死んでもいいと思って戦い、多くの仲間が死んでいった。にもかかわらず、天皇は自決しなかった。そのことへの怒りを何度も口にしていました。昭和天皇がテレビで国民に「ありがとう」と言うと、「ございます」と言え、と毒づいていました。誰のために生きていられるのか、国民に対し敬語を使え、という思いだったんでしょう。

 ――期せずしてこの6月に判明しましたが、牛島満司令官の辞世の句が2018年から自衛隊のHPに掲載されていました。

目取真 沖縄戦体験者は、自衛隊の背後に旧日本軍の姿を重ねている人が多かった。その自衛隊が自ら正体を露わにしたということでしょう。旧日本軍と同じように自衛隊も沖縄の住民を守りません。一方で、住民の協力なくして自衛隊のみで戦争はできません。沖縄と日本の関係、そして沖縄人の意識、心情は79年前と大きく変わりました。自衛隊の南西シフト(※11)は砂上の楼閣にすぎません。

(了)

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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