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迫りくる「蚊の感染症」に備える

熱帯の病気が日本で拡大する

葛西真治(国立感染症研究所 昆虫医科学部第三室 室長)

 昨年(2014年)、日本で約70年ぶりにデング熱の国内感染が起きたことは記憶に新しいところだと思います。ヒトスジシマカによって媒介されるこの病気は、(1)病原体であるデングウイルスに感染した人を刺したヒトスジシマカが、(2)その体内でウイルスを増殖させ、(3)さらに他の人を刺すことで他者への感染が成立します。昨年の流行では、首都圏を中心に162人のデング熱患者(確定診断)が報告されましたが、うち161人は同じ遺伝子配列をもったウイルスに感染していたことから、「海外でウイルスに感染して国内に入った、たった1人の感染者」をきっかけに大きな流行が起こったと考えられています。

デング熱を媒介する蚊が、あなたを探し出す

 ヒトスジシマカはテレビや新聞で紹介され、すっかり有名になりました。成虫の胸部背面にある1本の白い筋状の鱗粉(りんぷん)がその名の由来で、脚は白黒の縞模様が特徴です。夜に人が寝静まってから吸血にやってくる単色茶褐色のイエカの仲間とは異なり昼間活動するタイプで、庭先や竹やぶ、林でしつこく吸血にやってきます。
 では、蚊という昆虫が何を頼りに「あなた」を探すのかと言えば、二酸化炭素、におい、熱、色です。中でも特に重要なのは二酸化炭素で、筆者らが蚊の成虫調査に使うトラップは、二酸化炭素の固体であるドライアイスで、これだけで多くの蚊を誘引し、捕獲することができます。また、汗などに含まれる乳酸、酢酸、アンモニア、吉草酸(きっそうさん)といった体臭吸血源動物を探るうえで重要です。
 蚊はこれらの嗅覚を頼りに、ある程度動物に近づくと、次に視覚が働き、色の濃い物体に特に引き寄せられます。そして、最終的に吸血部位を特定するうえで頼りにするのが「熱」です。吸血するのはメスだけですが、蚊を入れたケージの中に40℃ほどのお湯を入れた容器を置くと、そこに血液が入っていなくても、蚊はしきりにガラス容器から血を吸おうとします。

蚊に刺されやすい人は?

 代謝量が多く、二酸化炭素を多く排出する人、体温が高めな人、黒い衣服を着ている人には、蚊が寄ってきやすいと考えられます。汗のにおいに引き寄せられますが、たくさん汗をかいて皮膚の温度が下がると、逆に刺されにくくもなります。
 ときどき、「お酒の影響」について聞かれますが、特にビールなどは二酸化炭素が溶けている状態ですし、体内で代謝されたアルコールは二酸化炭素にもなります。さらに、飲酒後は一時的に体温が上昇することが知られていますので、蚊を誘引しやすい状態になっていると言えるでしょう。
 血液型との関係もよく質問されますが、肯定するにも否定するにも科学的根拠がないというのが実情です。一つ言えることは、ABO式の血液型を決める「赤血球上の糖鎖」は揮発性ではないため、それ自体を蚊がにおい物質として認識することはできないということです。そもそも、蚊にとって血液型を判別することのメリットが科学的に見あたりませんので、筆者としては懐疑的です。
 ただし、血液型によってかかりやすい病気があったりすることは事実のようですので、蚊がその病気を微妙に感じ取って血液型を判別できている可能性も、現段階では否定できません。

蚊からどう身を守ればよいか?

 一つは虫よけ剤の使用です。現在日本で売られている虫よけ剤の唯一の有効成分はディート(deet)です。生後6カ月未満の子に使用しないことや、12歳未満に使用回数の制限がありますが、用法通り使用すれば効果は高く、吸血の被害を防ぐことができます。
 また、住環境で蚊を増やさないためには、何よりも発生源を除去することが大事です。ヒトスジシマカは行動範囲が比較的狭いので、個々の生活空間にある発生源、つまりどんなに小さくても水たまりをつくるものを除去することで、吸血される機会は減るでしょう。たとえば、バケツ、古タイヤ、レジャーシート、植木鉢の受け皿、岩のくぼみ、雨水マス、空き缶などをはじめ、墓地の花立てなども、蚊にとっては理想的な発生源となります。
 成虫の場合は直射日光と風を嫌いますので、雑草を刈りとり、木は適宜剪定(せんてい)して風通りをよくすることも重要です。
 昨14年、デング熱患者が多く感染したと思われる東京・渋谷の代々木公園周辺では、急きょ、感染蚊対策として殺虫剤が散布されました。使われたのは、蚊取り線香の成分の仲間で比較的人間への毒性が低いピレスロイド系殺虫剤です。散布前後に行われた捕獲調査の結果、ヒトスジシマカへの高い防除効果が確認されましたので、適切に薬剤を用いれば感染蚊が駆除できることがわかりました。また、雨水マスに発生した幼虫に対しては、脱皮や羽化を阻害する薬剤を入れることで、成虫になるのを防ぐことができます。

殺虫剤が効かない蚊の出現

 今のところ、殺虫剤はヒトスジシマカに対して効果的ですが、安心はできません。なぜなら今後、デング熱対策で多くの殺虫剤が使われ続けると、やがて「殺虫剤抵抗性」の問題にぶち当たると予想されるからです。年間で6~7世代に及ぶ繁殖サイクルの中で、抵抗性遺伝子をもった、ほんのわずかな数の「殺虫剤の効かないヒトスジシマカ」が徐々に選抜され、やがて集団の大部分を占めるようになるのです。
 筆者らは現在、おもに首都圏でヒトスジシマカを採集し、殺虫剤感受性のモニタリングを行っています。殺虫剤が効かなくなる前に対策を立てるためです。また、昨14年の経験をもとに、東京都や埼玉県では複数箇所の公園内で定期的にヒトスジシマカの調査を行い、その結果をホームページ上で公開しています。
 困った問題は、抵抗性集団の出現だけではありません。日本の温暖化は年々進行し、本来亜熱帯性のヒトスジシマカが生息できる環境が広がりつつあります。国立感染症研究所の調べでは、1950年に栃木県北部までしか確認されなかったのが、どんどん北上を続け、今では秋田県や岩手県まで生息地を拡大しています。年平均気温11℃が定着の境界となると見られ、将来的には2035年には本州の北端まで、2100年には北海道まで分布を拡大すると予想されています。

デング熱は今年も流行するか?

 正直「可能性は結構あります」という答えにならざるを得ません。理由の一つに、近年の輸入症例、つまり海外で感染し、帰国後に発症する例の多さが挙げられます。最近の円安と観光立国政策にともない、海外からの旅行者も増え、ウイルスが国内に持ち込まれる可能性が増大しています。
 また、一昨年の2013年に日本を訪れたドイツ人観光客が帰国後デング熱を発症した例が報告され、日本国内での感染が強く疑われました。つまり、実は2年連続でデング熱の国内感染は起こっていたようなのです。
 さらに、今回の流行をきっかけに、国民や医療機関でデング熱に対する意識が格段に高まり、デング熱が、実は日本国内のみで生活していても感染しうる病気であると認識されるようになりました。保険適用された簡易診断キットを備える機関も増え、デング熱が疑われた場合には、素早く診断できる環境が整いつつあります。このような状況下であれば、これまで単なる夏風邪として見過ごされてきたかもしれない病気がデング熱として疑われ、再び新たな国内感染例として発見されやすくなっていることは間違いありません。

70年ぶりの流行か?

 70年前のデング熱の流行は、東南アジアの戦地から戻られた人々をきっかけに起こったものでした。しかしその後70年の間でも、実は近年になって、海外で感染し、帰国後に発症する輸入症例が頻繁に確認されています。2000年にわずか18人であった輸入症例は、13年には249人にまで至っています。症状が出なかった人を考えると、実際にはもっと多くの感染者がいたことでしょう。
 たった1人の感染者をきっかけに160人を超える人々に被害が拡大する恐れがある感染症ですから、今回のような流行は、実は輸入症例が増えてきた最近では、いつ起きてもおかしくなかったのです。

シンガポールの事例

 シンガポールは面積が琵琶湖ほどの小さな国ですが、2014年には1万8000人ほどのデング熱患者が報告されています。観光立国であるにもかかわらず、これだけの感染者数は大問題で、政府も強い危機感をもっています。
 そこでこの国では、700人を超える数の環境省職員が約90チームの蚊監視団を結成し、幼虫の発生源を徹底的にチェックする体制を整えています。また、個人の庭や工事現場などで幼虫の発生が認められた場合は、所有者に高額の罰金を科すことも法律で定められています。
 それでも流行が収まらないのは、(1)媒介蚊の幼虫が本当に小さな水たまりでも発生するため、発生源を完全になくすことが非常に困難なこと、(2)熱帯で1年中蚊が発生するため、日本のように冬の到来とともにウイルスがリセットされることがないこと、(3)さらに毎日4万人以上の労働者が隣国マレーシアから出入りしているため、ウイルスの国内侵入を防ぐことが容易ではないことが挙げられます。

世界を脅かす蚊媒介性感染症

著者情報

国立感染症研究所 昆虫医科学部第三室 室長

葛西真治

かさい しんじ

1970年生まれ。筑波大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。アメリカ・コーネル大学博士研究員を経て2000年から国立感染症研究所研究員となり、主任研究官を経てコーネル大学客員研究員を務めたのち、現職。蚊、ハエ、ゴキブリ、シラミのように病気を媒介する衛生害虫の防除対策や、殺虫剤抵抗性分子機構の解明と抵抗性のモニタリング、殺虫剤の新規作用点の探索などを研究。著書に『分子昆虫学 ポストゲノムの昆虫研究』(共著、共立出版、2009年)、『招かれない虫たちの話』(共著、東海大学出版部、2017年)などがある。

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