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横綱・稀勢の里はもう引退しなければならないのか

そもそも横綱とは何だろう?

和田靜香(音楽/相撲ライター)

相撲大好きの「スー女」でおなじみの、和田靜香さん(『スー女のみかた 相撲ってなんて面白い!』という著書もある)。引退の噂がささやかれる横綱・稀勢の里について、寄稿していただいた。横綱とはどうあるべきなのか? 負けたら引退なのか? 風雲急を告げる2019年初場所直前に、考えてみたい。

 

 巨人大鵬卵焼き。昭和の大衆が愛した三大人気ものとして、好んで使われる言葉だ。
今に置き換えたら何だろう? 卵焼きは玉子サンドかパンケーキかもしれない。野球はめったに地上波では見られなくなって、スター選手と言えば海の向こうの大リーガーだ。じゃ、大鵬に代わる人は? 大鵬亡き後も、大抵の人は白鵬や鶴竜、稀勢の里といった今の横綱の名前ぐらいは知っているし、大相撲中継は変わらず午後の人気番組だ。横綱という存在は「お茶の間」(……はもう過去のものでも、それに準じた空間)に今も生き続けている。

 そんな横綱はこの1年、ず~っと騒がれている。日馬富士に始まり、最近では稀勢の里まで。小結・貴景勝の優勝で終わった2018年11月の九州場所では、稀勢の里が初日から4連敗を喫した。横綱が初日から4連敗は87年振りで、稀勢の里は5日目に休場を決めた。稀勢の里の休場は横綱になって11場所中9場所目。ワイドショーやネットでは進退を巡って喧々囂々(けんけんごうごう)の論争になった。

 そういうニュースを横目で見ながら、みなさんが「横綱は負けたら引退」「横綱には品格が大事」などと横綱方程式を分かったつもりになっているとしたら――
 私はチコちゃんに代わって叫びたい。
ボーっと生きてんじゃねーよ! 
 そもそも横綱って何? どうして負けたら引退なの? よく言う横綱の品格って何? 誰が決めてるの? 今こそみなさんに問います。

 横綱って何なのか?

 

相撲の「家元」争いから「横綱」が生まれた

 今に続く「横綱」の誕生は1789(寛政元)年のこと。11月場所7日目に、当時の相撲ブームを牽引していた人気の関脇力士、谷風梶之助と小野川喜三郎によって「横綱土俵入り」が初めて行われた。2人へは「横綱」の免許が与えられ、聖域を示す「しめ縄」を腰に巻き、そこへご神体そのものである「幣(へい)」を垂らした姿で土俵入りをした。

 関脇力士が横綱土俵入り? 実は、横綱は最初は単なる称号で、横綱土俵入りもショーアップするためのセレモニーでしかなかった。それを考えたのは、13代吉田追風(よしだおいかぜ)という人物。吉田家は代々、相撲の行司を務め、相撲巡業もとりまとめる相撲興行の「家元」を名乗っていたが、同じく相撲興行の家元を名乗る五条家という、家柄としては吉田家より上の家系もあった。そこで追風は当時のスター力士2人に横綱という免許を与え、しめ縄を締めて幣を垂らし、現人神のような姿で土俵入りをさせることで、吉田家の地位をより確実なものにしようと画策したというわけだ。セレモニーとしての横綱土俵入りは、1791(寛政3)年に江戸城で行われた上覧相撲でも披露され、将軍様の覚えめでたきことになり、小野川が引退する1797(寛政9)年まで続く。

 しかし、「横綱」に全く根拠がないわけでもない。平安時代には神社仏閣等建立の地鎮祭を力士が行うことがあり、横綱とはその儀式作法の奥義を口授され、実施する事そのもの、または人を指した。その地鎮の際に「善土」と「凶土」を区別するために地面に綱を張り、力士には身体を清めるための「結神緒(むすびのかみのお)」と呼ばれる腹帯を巻いた。それらがミックスされて誕生したのだ。

 仕立て上げられたものでも、やがて意味を持ち、徐々に格を身につけていく。小野川の引退後に絶えていた横綱が1828(文政11)年3月に復活する。阿武松緑之助が39年ぶりに横綱免許を与えられ、続いて稲妻雷五郎にも横綱が伝授されたのだ。そこにどういう思惑があったのかは分からないが、横綱となった阿武松は講談「阿武松」として語られるほど人気と実力があり、人柄が評価されていた。また稲妻は「それ相撲は正直を旨とし、智仁勇の三つを志し」と始まる『相撲訓』という本を書いたことで知られる。思えばこの2人から「相撲道」や「横綱とはかくあるべし」という概念が育って行ったのではないだろうか。

1950年に横綱審議委員会が登場!

 称号だった横綱が、実際に大相撲の最高位として初めて番付表に載ったのは1890(明治23)年のこと。ちなみに番付表は江戸時代に、興行としての相撲が始まった最初の頃から存在していた。
さらに1909(明治42)年に相撲規約が改正されて横綱という称号が、大相撲の最高位の地位として正式に認められる。これによって「横綱は負け越しても地位が降下することはなく、横綱としての責任を果たせない場合は引退があるのみ」(『相撲大事典』日本相撲協会監修、現代書館、2015年)と定められたのだ。

 しかし、横綱という位(くらい)、なかなか迷走する。1950(昭和25)年初場所、東富士、照國、羽黒山の3人の横綱が3日目から相次いで休場。戦後まだGHQに両国国技館が接収される中で、大相撲は流浪の民のようにあちこちで開催されていた。なんとか資金を工面して、仮設館を蔵前に建てて行った本場所だったのに、頼みの横綱が全員休場となって、相撲協会は大慌て! 急きょ役員会が開かれ、「一同憂悶のあまり興奮し、いきりたち、会議は白熱して冷静を欠き」(『横綱伝』彦山光三著、ベースボール・マガジン社、1953年)、その結果、横綱も2場所を休場もしくは不成績であったら格下げすると決定して発表した。ところがこれが各方面から大ヒンシュクを買う。慌てた相撲協会はすぐに撤回し、「横綱の推薦および横綱に関する諸種の案件について、日本相撲協会の諮問に答申し、あるいは進言する機関」(『相撲大事典』)である横綱審議委員会(横審)を設置することを決めた(1950年設立)。相撲協会が自分たちだけで決めるといろいろあるので、第三者に考えて(矢面に立って)もらいましょうとしたわけだ。

 その後、横綱審議委員会による横綱推薦及び引退に関する内規が決まる。
〇横綱に推薦する力士は品格、力量が抜群な大関で2場所連続優勝。
〇この2項目に準ずる成績を上げた力士を推挙する場合は、委員会の2/3以上の賛成が必要。
〇品格については、日本相撲協会の確認に基づき審議する。
〇成績不振、または体面を汚す横綱に対しては順に「激励」 「注意」 「引退勧告」を行う。

「出た、品格!」なのだが、これに先立って明治に横綱の位が設置された頃も「気魄・体格・力量・伎倆・識見・度量、品位において群を抜いて」「信望・徳行においても非難のない大関であつて、二場所つづけて『全勝』するか、四場所つづけて『土つかず』の成績をあげ」、さらに「数年なお横綱力士としての面目を保持し得べきことはもちろん」(『横綱伝』)と、とんでもなく厳しい横綱資格を相撲協会内で認識していたんだとか。

 当然ながら「だがこの条件にかなつている力士ははなはだすくなかつた。とくに大正時代以降、かかる標準が大ぶん―どころではなく、はなはだしく低下したうらみがあつたことは、あらそい得ない事実である」(『横綱伝』)そうで、横綱という最高位への期待とか昇進資格は、当時から無理があり、その認識の上にまた作られた内規ってなんじゃろ? とJAROに聞いてみたくなる感じなのである。

横綱昇進の基準とは?

 後に協会理事長になる45代横綱の若乃花(初代)は最初、「品格の欠如」と横審に昇進を反対する意見を出された。その欠如する品格とは、「身体が小さい」「受け身の横綱相撲ではない」「大関・関脇時代のケレン相撲に品格の欠如を感じる」(『横綱の格式』秋場龍一著、主婦と生活社、2008年)と、体格や相撲スタイルにイチャモンを付けたものだった。

 品格が大事!とするが、その尺度は不明。品格とは? というのは、人間とは? と同じ永遠の問いかけにすぎないだろう。今では横綱の品格の見本として崇められる双葉山は横綱になってすぐのインタビューで、

記者:これからも一生懸命やるというわけだな
双葉山:やらねば飯が食えん
(昭和12年5月21日付朝日新聞)
と答えている(『一人さみしき双葉山』工藤美代子著、ちくま文庫、1991年)。横綱とは生活の為というこの答え、私は絶賛共感だが、今なら何と言われるだろう?

 また50代横綱の佐田の山は「休場して責任を果たせない部分もあったし、そういう自分にイライラしてしまって、一種のウツ状態」に近くなったことを告白し、49代横綱の栃ノ海も「勝てば勝ったで当然。負ければ負けたでいろいろ言われて、そういうことも気になってきます。/だから、ずっとつらかったです」(共に『横綱』武田葉月著、講談社文庫、2017年)と言っている。聞くも涙で、あまり責めてくれるなよ! と母心も起きるってもんじゃないか。

 一方で横審の内規に合致しなくても、横綱になった力士もいる。かつて大鵬と共に“柏鵬時代”を築いた47代横綱の柏戸は、直前の優勝がないままに「ライバル2人の横綱対決が見たい」という人気に押されて横綱となった。また60代横綱の双羽黒も千代の富士の一人横綱で、パリ巡業するのは心もとないという理由で、準優勝と、優勝決定戦で敗戦という成績で優勝することがないまま横綱に選ばれた。結局彼は相撲部屋でトラブルがあって失踪、廃業に追い込まれている。また「スイーツ親方」として知られる62代横綱の大乃国も横綱に昇進する3場所前に全勝優勝するも、その後の2場所は準優勝だったが横綱になった。

著者情報

音楽/相撲ライター

和田靜香

わだ しずか

1965年千葉県生まれ。音楽評論家・作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。著書に『スー女のみかた 相撲ってなんて面白い!』(シンコーミュージック)、『音楽に恋をして♪ 評伝・湯川れい子』(朝日新聞出版)、『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて~44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』(シンコーミュージック)などがある。近著『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』(左右社)が話題。

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