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香山リカ×森岡正博「反出生主義」対談(前編)~私たちは「生まれてこないほうがよかった」のだろうか?

香山リカ(医師)

森岡正博(早稲田大学人間科学部教授)

(構成・文/仲藤里美)

香山リカさん(左)、森岡正博さん

「自分なんて生まれてこなければよかった」……一度は考えたことがある人は多いのではないでしょうか。長く続くコロナ禍において、これまで推奨されてきた「出勤して働くこと」「人と交流すること」などがどんどん制限されていくなか、精神科医の香山リカさんは臨床の現場で「生まれてきた意味」を問われたり、「死んでしまいたい」気持ちを語られたりすることが増えてきたといいます。
 近年話題の「反出生主義」と、何か関係があるのでは? これを深掘りすることで、何か見えてくるものがあるのでは? 反出生主義を扱った書籍『生まれてこないほうが良かったのか?』の著者である哲学者・森岡正博さんと、「生と死」について、「自分と他者」について、「私」について、とことん語り合います。

 

反出生主義とは何か

森岡正博(以下「森岡」) ここ1~2年、「反出生主義」というものがメディアなどでも取り上げられたりと、注目を集めています。では、その反出生主義とはいったい何かというところから話を始めたいと思います。
 反出生主義の定義は世界的にもまだ定まっていないのですが、私の考えでは、大きく分けて二つの視点があります。一つは「私は生まれてこなければよかった」。そしてもう一つが「我々は子どもを産まないほうがいい」、あるいは「産むべきではない」ということ。つまり、「生まれてきたこと」の否定と「産むこと」の否定、この二つが合わさって反出生主義と呼ばれる考え方が成り立っているといえます。前者は古代ギリシアからあったもので、後者は最近現れました。
 そして、どちらの主張も、出生の否定、すなわち「そもそも人が生まれてくること自体が良くないことである」という考えに基づくものです。2006年に出版されて話題になった反出生主義の書、『生まれてこないほうが良かった』(邦訳はすずさわ書店、2017年)の著者である哲学者のデイヴィッド・ベネターは、どんな人にとっても、この世に生まれてくることは生まれてこないことよりも必ず悪い、と言っています。
 なぜか。ある人が生まれてきてこの世に存在する場合には、必ず何らかの苦痛と快楽が存在します。逆に、その人が生まれてきていない場合には、その人自体が存在しないのだから、苦痛も快楽も存在し得ない。その二つの状況を比較したときに、前者のほうが「悪い」というのがベネターの主張です。「苦痛が存在する」ことは確実に悪いことだけれど、「快楽が存在しない」というのは、悪いこととまでは言い切れない。その「快苦の非対称性」ゆえに、生まれてきて「苦痛も快楽も存在する」よりも、そもそも生まれてこずに「苦痛も快楽も存在しない」ほうが絶対に善いんだ、というわけです。

森岡正博著『生まれてこないほうが良かったのか?』(筑摩選書、2020年)

香山リカ(以下「香山」) その反出生主義が、なぜ今多くの人の関心を呼んでいるのでしょうか。

森岡 一つは、反出生主義という考え方が「母親が子どもを産む」という、これまで絶対に否定してはいけないと思われてきた部分に切り込んでいることに、非常に大きなインパクトがあったからではないかと思います。
 出産について私たちが触れる言説というのは、結局のところは「素晴らしいことだ」というものばかりです。「子どもができて初めて生きる意味を知った」とか「自分より大事な存在ができた」とか、さまざまな形で出産というものが肯定されていく。ある種のアンタッチャブルな、聖域ともいうべき状況になっているんですね。いいか悪いかは別にして、反出生主義がそこへ切り込んでいっていることが大きな衝撃を与えるのだと思います。
 たとえば、原爆詩人・栗原貞子さん(1913~2005年)の「生ましめんかな」(1946年)という詩があります。広島の被爆者であるご本人の体験をもとに書かれた詩で、原爆が落ちた後、大けがをした人たちが大勢、真っ暗なビルの地下室にうごめいている。その中で一人の妊婦が「赤ん坊が生れる」と声をあげた……という内容です。
 そうしたら、「私が産婆です。私が生ませましょう」と言った人があった。この人もまた、さっきまでうめいていた重傷者だった。そして〈かくてくらがりの地獄の底で/新しい生命は生まれた。/かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。/生ましめんかな/生ましめんかな/己が命捨つとも〉といって詩は終わります。
 産婆が自らの命と引き替えにして赤ちゃんを世に送り出した。非常に感動的な詩で、私自身もとても感動します。この感動を否定できる人は、特に日本人にはほとんどいないと思うのですが、その場面で「この赤ん坊は生まれてこないほうがよかった」という主張をするのが反出生主義なわけです。
 現代において、私たちは「産むこと、生まれることは素晴らしい」聖域化して、そこに土足で上がり込むことを避けてきたきらいがある。そのことが、反出生主義という光が当たることで改めて浮き彫りになった面はあると思います。

香山 「聖域化」という点では、いわゆるリプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の観点に立って、フェミニズムの視点から「産まないという生き方もある」と主張する声もありますね。「母親になることは何よりも素晴らしい」という風潮へのアンチテーゼとして「産まない」という選択をするという……。それと反出生主義との関連はどう考えればよいのでしょう。

森岡 女性が子どもを産むということを、長い間男性中心の体制が管理してきた。そのなかでの「出産強制主義」への抵抗として、「産まない」という選択を認めようというのは、フェミニズムやウーマンリブの出発点にあるものですね。確かに、それも広い意味での反出生主義ということになるのかもしれません。ただ、今注目されているコアな意味での反出生主義、ベネターなどが主張する内容とはかなりずれているような気がします。
 というのは、どんな子どもであれ生まれないほうがいいという反出生主義の主張は、「産む・産まないは女が決める」というフェミニズムの主張と対立するからです。反出生主義では、女性の「産まない自由」は認めても、「産む自由」は認めないので、そこで折り合うことができないのだと思います。基本的には、反出生主義とフェミニズムには関連性はあまりなくて、むしろ対立する面が強いと考えるべきではないでしょうか。

「誰が産めと頼んだ」という怒りの意味

香山 さて少し前に、「反出生主義の作品ではないか」としてネット上で話題になったアニメ映画があります。『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』(2019年公開。1998年『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』のリメイク作品)。遺伝子操作で人工的に作られたポケモン「ミュウツー」が、自身の存在意義に悩み、「誰が産めと頼んだ」と、自分をこの世に送り出したものへの恨みを口にする。そこが反出生主義と重なると言われたわけですが、森岡さんはこの作品はご覧になりましたか。

森岡 見ました。ただ、これもやはり反出生主義とは少し違うのではないかというのが感想です。
 なぜなら「誰が産めと頼んだ」という言葉自体は、自分が生まれてこないほうがよかったとは思わない人でも口にすることがあるだろう、と思うからです。自分が今ここにいること自体は否定しないけれど、産んでくれと頼んだわけではないのに勝手に存在を与えられたことへの疑問や不満を抱くということは、十分あり得るのではないでしょうか。「誰が産めと頼んだ」というのは、反出生主義的な怒りというよりは、別の怒りをそういう言い方で表しているだけではないか、という気がするのです。

香山 多くは、自分を産んだ親への怒りですよね。その言葉を口にすることで、親から「何おかしなこと言ってるの、あなたはお父さんとお母さんが『欲しい』と願って、やっと生まれた子どもなのよ」と言われたい、という欲求があるようにも思います。「かけがえのなさ」を保証してほしい、「生まれてよかったと思わせてくれよ」ということですね。その期待が満たされないと、一気に出生への怒りに転じる。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

早稲田大学人間科学部教授

森岡正博

もりおか まさひろ

1958年、高知県生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学、大阪府立大学にて博士号取得。哲学、倫理学、生命学を中心に著述活動を行う。著書に『生命学に何ができるか』(勁草書房)、『無痛文明論』(トランスビュー)、『草食系男子の恋愛学』(MF文庫ダ・ヴィンチ)、『まんが 哲学入門』(講談社現代新書)、『生まれてこないほうが良かったのか?』(筑摩書房)など多数。

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