ウルトラマンはどうして人類を助けるのか?~映画『シン・ウルトラマン』から考える
大澤真幸(社会学者)
しかし、この理由は、さまざまな意味で説得力を欠く。まず、ウルトラマンのような救世主に守られたいという切実な願いとの関係で見ると、理由があまりにも偶発的である。もし交通事故を起こさなかったら、ウルトラマンは、地球人を助けなかっただろう。もし別の星の人にぶつかっていたら、ウルトラマンは、そちらの星の救世主になっただろう。要するに、この経緯は、ウルトラマンが「われわれ」を助けてくれる内在的な理由はない、と言っているに等しい。
加えて、小学二年生だった私でさえ納得できなかったのは、次のようなことである。ウルトラマンは、地球人ではない。つまり彼は、宇宙人――『シン・ウルトラマン』で導入された語を使えば「外星人」――である。ということは、ウルトラマンから見ると、われわれ地球人は外星人である。そして、怪獣も、たいてい外星人だ。したがって、もともと、ウルトラマンにとっては、地球人も怪獣も外星人であって、彼には地球人の肩を持つ特段の動機はない。そして、怪獣が地球(東京近辺)に現れたことについて、われわれは怪獣の「侵略」と言うが、むしろ、怪獣は、地球にやってきた難民に近い。怪獣に関してならば、相手の事情をよく聞くこともなく、三分以内に殺してしまうほどに果断にふるまう者が、地球人に対してだけは、過失で死なせてしまったことについて、そんなに深い罪の意識を抱くだろうか。どうして、過失致死の罪に悩む者が、故意の「殺人」を平気で犯すことができるのか。どう考えても不自然である。
こうした問題について、『ウルトラマン』の製作者たちも、ほんとうは自覚していた。救世主の側にわれわれを助ける強い理由はないのだとすれば、そもそも、救世主を頼りにすること自体が問題だ。製作者たちもそう考えるようになったに違いない。その証拠に、『ウルトラマン』の最終回では次のようなことが言われる。地球は人類自身の手で守らなくてはならないと。しかし、シリーズの全体を考えると、このような教訓は、まったく訴える力をもたない。「それまでさんざん助けてくれていたのに、いきなりそんなことを言われても……」という感じである。実際、シリーズの最終回でそんな結論が唱えられても(実はそのあとの『ウルトラセブン』の最終回でも同じ結論が反復される)、次の新シリーズになれば必ず、新たなウルトラ戦士が救世主としてやってくる。日本人の対米依存がいつまでも消えないのと同じように、ウルトラシリーズにおいては、人類のウルトラ戦士への依存は終わらない。
1966年から始まった『ウルトラマン』シリーズ
日米安保条約的な関係性の拒否
だから『シン・ウルトラマン』では、ウルトラマンが、人間を助けてくれる説得力のある根拠を示さなくてはならない。さらには、人間はウルトラマンなしでもやっていける、ということを納得させなくてはならない。『シン・ウルトラマン』のストーリーから、製作者たち――監督の樋口真嗣や庵野秀明を含む製作スタッフ――が、こうした課題があることを明確に自覚していたことは明らかだ。では課題はクリアされているのか。課題の克服に(どの程度)成功しているのか。
元の『ウルトラマン』においては、ウルトラマンと人類(日本人)との間の暗黙の合意が、日米安保条約に見立てられる、と述べた。それに対して、『シン・ウルトラマン』は、日米安保条約(的なもの)をはっきりと拒否しようとしている。『ウルトラマン』と日米安保条約との関係は、先に述べたように、意図せざるものである。製作者たちは、日米安保条約を意識していたわけではない。それに対して、『シン・ウルトラマン』における日米安保条約的な関係の否定は、意図されたものである。製作者たちは、日米安保条約を念頭に置き、作品の中にその類比的な対応物を構成し、それを否定してみせる。
『シン・ウルトラマン』の中で、日本政府は二回、外星人との条約を締結しようとする。どちらの条約も、日米安保条約を連想させるものがある。どちらのケースでも、外星人から日本政府へのオファーがあり、日本政府はあっさりとそれを受け入れてしまう。だが、外星人の邪悪な意図を知るウルトラマンによって――ということはウルトラマンと一体化している禍特対班員の神永新二(斎藤工)と彼の仲間によって――、条約は破棄される。
ここで外星人が相手にしているのが、人類の全体ではなく、日本政府だということに留意する必要がある。日本人と人類との間の区別に無頓着だった『ウルトラマン』とは、この点で大きく異なっている。日本政府が外星人と条約を結ぼうとするのは、それによって他国に対して優位に立つことができる、と考えたからである。人類はまとまった全体ではなく、国家と国家の間に対立があることが前提になっている。
最初の条約の相手は、外星人・ザラブである。ザラブは、禍特対メンバーの前で、地球の諸言語を自在に翻訳したり、電子データを自由に操ったりと、人類を圧倒する科学力をもつことを示したあと、日本政府と友好条約を結びたいと申し出る。日本政府は喜んで、条約を結んでしまう。しかし、ザラブの目的は、この条約をきっかけにして、国家間の戦争を引き起こし、地球の「原住知的生物」であるところのホモ・サピエンスを絶滅させることにあった。このザラブの陰謀を見抜いた神永=ウルトラマンによって、ザラブは倒され、この条約自体が無効になる。
本命はしかし、その後の外星人・メフィラス(山本耕史)と日本政府の間の条約の方である。『シン・ウルトラマン』の物語は、いくつもの禍威獣が出現する複数の事件の連なりによって構成されているのだが、全体の枠組みを与えているのは、メフィラスの陰謀であったことが明かされる。それまでの度重なる禍威獣の出現も、ザラブの登場も、すべてメフィラスの計略によるものだ。その目的は、ウルトラマンをおびき寄せることにあった。つまり地球にウルトラマンがやってきたこと自体が、メフィラスの計画に基づいていたのである。
そのメフィラスは、総理大臣をはじめとする日本の政府首脳に、次のことを提案する。ベーターシステムを活用した「対敵性外星人からの自衛計画」を、である。生体を巨大化させるメカニズムを内蔵したベーターボックスなる装置がある。ウルトラマンが巨人化するのも、同じ原理によるらしい。ベーターボックスを使って人間自体を巨大化すれば、最強の武器にすることができる。メフィラスは、ベーターボックスを日本に供与しようという、「善意」の提案をしてきたのだ。これこそ、日米安保条約と同じタイプの安全保障条約である。ベーターシステムとは、核兵器のような大量破壊兵器である。「核の傘」ならぬ「ベーターの傘」で日本を守ってやろう、というわけである。もっとも、ベーターシステムは、核兵器と違って、人間(日本人)自身が武器になる「生物兵器」を作り出すわけだが。いずれにせよ、ベーターボックスを手に入れれば、日本は、敵性外星人も、敵性外国人も退けることができる。
だが、メフィラスは、なぜそんな「善意」を発揮するのか。日本政府にそんなものを提供したとして、彼にどんな得があるのか。メフィラスが交換条件として公式に要求することはただひとつである。「私を上位概念として認めること」。上位概念とは何なのか? 説明はなく、よくわからない。大隈首相(嶋田久作)はその点をはっきりと問いただすべきだと思うのだが、首相は、メフィラスを上位概念として認めたところで自分たちが失うものは何もないと思ったのか、メフィラスの要求をあっさりと承諾してしまう。上位概念とは、おそらく、「神(のようなもの)」である。すると、映画の中の「メフィラスと日本の関係」は、ますます日米関係に似てくる。戦後、日本にとってアメリカはずっと神のごときものだったのだから。
著者情報
社会学者
大澤真幸
おおさわまさち
1958年長野県松本市生まれ。
東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。『ナショナリズムの由来』(講談社)で毎日出版文化賞を受賞。『自由という牢獄』(岩波書店)で河合隼雄学芸賞を受賞。他のそのほかの著書に『世界史の哲学』シリーズ(講談社)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『自由の条件』(講談社文芸文庫)、『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(角川書店)、『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)、『社会学史』(講談社現代新書)、『経済の起源』(岩波書店)など。現在、月刊個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』を刊行中。