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ウルトラマンはどうして人類を助けるのか?~映画『シン・ウルトラマン』から考える

大澤真幸(社会学者)

   メフィラスが、神永=ウルトラマンに、「真意」を告白するシーンがある。メフィラスは、ベーターシステムを開示することで、人類に、外星人には暴力でも知恵でもとうていかなわないという無力感・無気力を感じさせ、強者への依存を身にしみて覚えさせたいのだ、と。そうすれば「外星人には無条件に従うしかない、という私にとって理想的な概念を人類に植え付けることができる」というわけだ。ここで「人類=日本」、「外星人(メフィラス)=アメリカ」と置き換えれば、まさしく、敗戦後、今日まで続いている(日本の側から見た)日米関係そのものであろう。日本人は、アメリカには無条件に従うしかない、という「概念」をもっているではないか【註2】

 アメリカ政府が、日本人に無力感や無気力、そしてアメリカへの依存心を積極的に埋め込もうとしてきた、と言ってしまえば、それは、邪推というものだろう。アメリカは、日本が協力的な友好国であることを望んでいるだろうが、彼らが期待している水準を超えて、日本人はアメリカに精神的に依存してきた。安全保障の面でアメリカに依存している国はたくさんあり、日本だけではない。しかし、どこの国も――とりわけ冷戦が終結した1990年以降は――、アメリカへの依存を極小化しようと努力してきた。アメリカに軍事の点で依存しているとしても、それは「必要悪」のようなものだ、と。しかし、日本だけは、冷戦が終わっても、アメリカへの強い依存を維持してきた。日本は、積極的に依存しようとしており、アメリカが日本への関心を失うことを恐れている。どうして、日本だけ、かくも全面的かつ持続的にアメリカに依存しているのか。重要な主題だが、ここで深入りすることはできない。

 『シン・ウルトラマン』の筋に戻ろう。メフィラスと日本政府との間の条約は、ウルトラマンと禍特対によって、締結直前のところで阻まれる。『ウルトラマン』では、日米安保条約的な態度と関係性が、無意識のうちに肯定されていた。『シン・ウルトラマン』は、逆に、日米安保条約的な態度と関係性を意識的に拒絶している。

人類はウルトラマンから自立できたか

 だが、ウルトラマンへの依存自体は、克服されているわけではない。ウルトラマンのおかげで、日本政府はメフィラスの姦計にはまらずに済んだのだ。それにしても、『シン・ウルトラマン』のウルトラマンは、現実の何の隠喩と解釈すればよいだろうか。メフィラスがアメリカに対応させられたため、ウルトラマンが何を表象しているのか、あいまいなものになってしまった。だが、日本が置かれている現実の状況を思えば、ウルトラマンに類する救世主的な他者は、結局、アメリカしかいない。アメリカは、メフィラスとの関係の中で拒絶されるが、ウルトラマンとの関係で、再び迎え入れられるだろう。それゆえ、アメリカからの真の自立を表現したければ、人類がウルトラマンへの依存を断つことができる、ということを示さなくてはならない。実際、映画の終盤は、そのような方向へと展開していく。

 光の星から、突然、ゾーフィがやってくる。光の星は、ウルトラマンの故郷である。つまり、ウルトラ戦士たちの供給源だ。となれば、ゾーフィは、ウルトラマンと一緒に地球を守ってくれるのかと思いきや、まったく逆である。人類は、危険な生物兵器に転用可能な資源だとわかったので、廃棄処分しなくてはならない、とゾーフィは言う。人類自体が、宇宙にとってこの上なく迷惑なゴミだというわけだ。ゾーフィは、地球を狙うことができる宇宙空間に、天体制圧最終兵器ゼットンを配備する【註3】

 神永はウルトラマンになって、ゼットンに挑む。が、まったく歯が立たない。ウルトラマンはゼットンに反撃されて、大気圏に墜落し、瀕死の重傷を負う。万事休す。もはや、人類と地球は、ゼットンによって破壊されるのを待つほかない……かのように思えた。

 だが、神永は、ベーターシステムの基礎原理と高次元領域に関する関係式を記録したUSBメモリを禍特対に託していた。禍特対のメンバー滝明久(有岡大貴)をはじめとする世界中の専門家がオンラインで協力しあい、短時間でこのUSBメモリに書かれていることを解明し、ゼットンを攻略する方法を導き出す。最後に、ウルトラマンが、この方法を実行し、命がけでゼットンを倒す。こうして、人類と地球は救われた。

 これで、人類はウルトラマンから自立できたことになるのか。人類は、(ほぼ)自分の手で自分たちを救うことに成功したことになるのか。ウルトラマンからの最後のメッセージはこうである。「ウルトラマンは万能の神ではない。君たちと同じ、命を持つ生命体だ。僕は君たち人類のすべてに期待する」と。これは、オリジナルの『ウルトラマン』の最終回で提起されたことと同じことである。私はあなたたちの救世主ではない、あなたたち人類は自分で自らを守り、救わなくてはならない。

 が、『ウルトラマン』の最終回と同様に、『シン・ウルトラマン』のこの言葉も、私たちを納得させるにはほど遠い。確かに、最後は、ウルトラマンひとりではゼットンに勝つことはできず、ゼットンを倒すために人類の協力が必要だった、という話になっているわけだが、逆の真実の方がもっと大きいからだ。つまり、人類だけではゼットンを退けることはできず、むしろ最も難しく肝心なところに関してはウルトラマンのおかげである。それなのに、いきなり、「君たち人類のすべてに期待する(これからは君たちだけでやれ)」と言われても、そんな期待に応えられる根拠がない、と言いたくなる。

 今や、ウルトラマンの故郷である光の星も人類に敵対的なので、このウルトラマンが去ったあと、次々と新しいウルトラ戦士がやってくるという状況ではない。つまり『シン・ウルトラマン』の続編には新たなウルトラ戦士が登場することはないはずだ。だから、これからは、人類は自分の力で危機を乗り越えていくしかない状況にはなっている。しかし、ゼットンに勝利するまでの経緯を通じて、人類はウルトラマンなしでもやっていけるということが証明された……とはとうてい言い難い。

 だがしかし、ここで、この物語を現実の方に差し戻してみよう。「人類」というのは、日本の隠喩で(も)あった。日本の安全や繁栄や幸福を、日本人だけで達成する必要はない。というか、そんなことは不可能である。日本の安全や繁栄は、他国との協力の中で、他国との相互依存を通じてしか達成されない。とすれば、重要なことは、日本(人類)が、他国(外星人)からの貢献や協力を引き出すことができるのか、日本(人類)は、他国(外星人)と相互の安全と繁栄のための連帯を導くことができるのか、にこそある。

シン・ウルトラマンが人類を助ける理由は……

 したがって、最初に提起した究極の疑問に回帰する。こんどのウルトラマン――『シン・ウルトラマン』の方のウルトラマン――は、どうして人類を助けてくれるのか。ウルトラマンはゾーフィとの会話の中で、その理由を説明している。ウルトラマンが最初に地球に到達したとき、幼い子どもの救助にあたっていた神永は、ウルトラマンの衝撃波からその子どもの命を守るために、自分自身の命を犠牲にした。ウルトラマンは、自分の命をも捧げる神永の利他的行動に感心し、神永と命を共有し、人類を助けることに決めたのだ。

 これは、過失による交通事故死を理由にするよりもずっとよい。ウルトラマンが人類を救おうとする行動の根底に、偶発的な事故ではなく、人間そのものの性質が置かれているからである。ウルトラマンは、人間という生き物の利他的本性に強い魅力を感じ、人間に尽くそうと決断したのだ。その意味で、人間自身が、ウルトラマンの協力を引き出していることになる。

 しかし、やはり考えてしまう。ウルトラマンは、こんなことで、あそこまで自己犠牲的に人類に協力してくれるようになるものなのか。確かに、神永の行為は崇高だ。これ以上に倫理的な行為はない。……と私たちは思う。そう感じるのは、私たちが神永と同じ人類の一員だからだ。人類にとっては、人間の命よりも貴重なものはない。だからこそ、他者の命を救うために自己の命を犠牲にする行為は、最高に倫理的なのだ。

著者情報

社会学者

大澤真幸

おおさわまさち

1958年長野県松本市生まれ。
東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。『ナショナリズムの由来』(講談社)で毎日出版文化賞を受賞。『自由という牢獄』(岩波書店)で河合隼雄学芸賞を受賞。他のそのほかの著書に『世界史の哲学』シリーズ(講談社)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『自由の条件』(講談社文芸文庫)、『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(角川書店)、『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)、『社会学史』(講談社現代新書)、『経済の起源』(岩波書店)など。現在、月刊個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』を刊行中。                                    

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