ウルトラマンはどうして人類を助けるのか?~映画『シン・ウルトラマン』から考える
大澤真幸(社会学者)
だが、ウルトラマンは外星人であることを忘れてはならない。ウルトラマンの観点からは、神永がやったことは、「ウルトラマンにとっては異種であるところの人類という種の同胞が同胞を助けた行為」である。そのような行為も、それなりに立派なことに見えるだろうが、自分自身もまたその同じ種や共同体の一員であったときほどには、すばらしいことには感じられないものだ。ある人が自分の所属しているグループのために献身的にふるまっているのを、外から見たときにどう感じるかを想像してみよう。その人の忠誠心の高さやグループの結束力の強さに感心することもあるだろう。しかし、だからといって、自分もまたそのグループのために犠牲になろう、とまでは思うまい。同胞が同胞のために尽くしているのを(外から)見ても、それは、ある程度は、当たり前のことに見えてしまうからだ。
少しだけ理論的に説明しよう。あなたはもともと、そのグループGの一員ではなかったとする。もしそのあなたが、あえてGのために、あるいはGのメンバーのために、己を犠牲にしようとするならば、あなたの行動は、Gのメンバーが同じGの他のメンバーのために発揮する利他性よりも、はるかに高いレベルで利他的である。同胞同士の助け合いや献身は、まだ広義の利己性の範囲のことである。同胞同士の助け合いの行動は、同胞の範囲を超えた利他性を引き起こす力はない。
つまり神永の犠牲的な行為は、外星人であるウルトラマンが地球人のために身を捧げる行為ほどには利他的ではない。こう思えば、前者は後者を説明する理由にはなりえない。ウルトラマンがあれほどまでに人類のためにがんばってくれたのは、それは神永の行為に感動したからではない。ウルトラマンはもともとそういう人だったからだ、としか言いようがない。したがって、『シン・ウルトラマン』も、ウルトラマンが人類を救済する理由を納得のいくかたちで説明できてはいない。どこかにわけもなく人類(日本)に善意――というより好意――をもっている強い救世主がいて、命がけで人類の安全や平和を守ってくれた……という都合のよい話になってしまっている。
だが、こうなったのは、『シン・ウルトラマン』の製作者たちに想像力が欠如していたからではない。困難の究極の原因は、作品の中にあるのではなく、この作品が置かれている社会的コンテクストにある。つまり、原因は、現代の日本社会にある。日本人は今、自分たちだけで自分たちの安全や幸福を維持できないことをよくわかっている。私たち日本人を助け協力してくれる強い他者が必要だ。しかし、それなのに日本人は今、「この国が好き(愛国心)」「この国のため(国益)」ということを超える理念をもってはいない。自分たちが発揮できる利他性は同胞の範囲にとどまっているのに、日本人は、その範囲を超えて利他的にふるまってくれる強い他者を必要としている。『シン・ウルトラマン』は、日本社会の困難がどこにあるかを明確にしてもいる。
最後にもう一言。それでも私は、『シン・ウルトラマン』に感動した。何に最も感動したかと言えば、ウルトラマンの美しさである。この新しいウルトラマンは、まさに輝くほど美しい。
著者情報
社会学者
大澤真幸
おおさわまさち
1958年長野県松本市生まれ。
東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。『ナショナリズムの由来』(講談社)で毎日出版文化賞を受賞。『自由という牢獄』(岩波書店)で河合隼雄学芸賞を受賞。他のそのほかの著書に『世界史の哲学』シリーズ(講談社)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『自由の条件』(講談社文芸文庫)、『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(角川書店)、『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)、『社会学史』(講談社現代新書)、『経済の起源』(岩波書店)など。現在、月刊個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』を刊行中。