没後30年 テロリズムを描いた小説家・桐山襲再考
樺山三英(小説家)
ここまで作家・桐山襲の美徳と可能性について書いてきたが、最後にその問題点にも触れておきたい。といっても作家の側に瑕疵(かし)があるわけではない。今日我々がその作品を読む際にぶつかるギャップについてだ。紹介してきたとおり、彼の作品の多くは1960年代から70年代にかけての出来事を題材にしている。発表当時でさえ旧聞に属していたそれら事象は、今日ではいっそう疎遠で馴染みにくく感じられるはずだ。知識として知ってはいても、身に沁みた経験として受け取ることが難しいというのが実情ではないだろうか。
かくいう筆者も例外ではない。1977年生まれの自分にとって、学生運動を巡る諸々はすべて、生まれる前の歴史に過ぎなかった。端(はな)から共有すべき土台などあるはずもない。じっさい桐山を論じた文章の多くは、運動華やかなりし「あの時代」を記憶に留める人々によって書かれており、その熱量には驚かされることが多い。しかしそうした過熱ぶりを見るにつけ、微妙な疎外感を覚えるのも事実だ。では桐山の文学は、特定の世代によって書かれ、特定の世代によって支持されるだけの、間口の狭いものなのだろうか。もちろんそうではない。

近年、再評価の機運が高まる桐山襲の著作
昭和が終わり平成が始まった1989年、桐山は『都市叙景断章』を発表する。それに併せてインタビューに答えている(「インタビュー文芸時評 小説の読み方作り方 桐山襲と「都市叙景断章」」『桐山襲全作品Ⅱ』作品社 所収)。同作は、過去を失い都市を彷徨する「僕」が、ふとしたきっかけで連合赤軍による同志リンチ殺人事件の記憶を蘇えらせてゆく小説だ。聞き手の富岡幸一郎はその内容に触れ、なぜそこまで「あの時代」に拘るのかと問う。そしてやや挑発的に「これを今の若者が読んで理解できるでしょうか」と問い掛けている。それに対する応答として桐山が持ち出してくるのが「現在に対する憎しみ」という、いささかぎょっとする表現だった。
あらかじめ断っておけば「現在に対する憎しみ」とは、単に「現在」を拒絶し、遠ざける態度ではない。むろん「あの時代」はよかった、「現在」は駄目だという懐古趣味でもない。むしろより深く「現在」と向き合うための、方法的「憎しみ」とでも言うべきものだ。「歴史的過去を踏まえなければ現在というものの異様さは見えない」と桐山は言う。「無知と無思考」がまかり通る「現在」を「全面的に否定」することで初めて、歴史に連なるほんとうの「現在を描き切」ることができるのではないか、という主旨の発言だ。
やや抽象的ではあるが、言わんとするところは明確だろう。桐山が書く「過去」は、追憶や郷愁の対象ではなかった。いまだ解決を見ぬ難問であり、語り得ぬ歴史であり続けている。それを語る「言葉」を回復するための試みが、彼の作家活動のすべてであったと言ってもいい。「あの時代」は桐山にとって、圧倒的に不気味な対象として現前し続けていた。彼の小説がしばしば複雑な語りの構造を備え、人称の操作や時制の混淆を含むのは、奇を衒(てら)った実験小説を書くためではない。それは不可能な対象に切り込むために生じた、必然的な捩(ねじ)れなのだ。
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「現在」を取り戻すために「過去」に立ち返ること。「過去」の時点から再び「現在」を見つめ直すこと。桐山が執拗に「あの時代」に拘るのは、自身の青春がそこにあるからではない。解きほぐすことのできない矛盾が、置き去りにされているからだった。だからこそ桐山の文学は、1960年代から70年代の政治状況と不可分に結びついている。両者を切り離して扱おうとする思考習慣こそが、彼に言わせれば「現在というものの異様さ」の現われなのだ。このズレはたぶん、作家一人の資質に帰すことのできない、想像力の地殻変動を表している
「政治と文学」という主題は、今日あまりに古めかしく聞こえるだろう。しかし両者はかつて切り離し得ない関係にあった。さほど昔の話ではない。戦後派世代が現役で書いていた1970年代には、ごく当たり前に論じられたテーマだった。だがその前提は1980年代に入って急速に崩れ、消滅する。政治は公的な事柄を扱い、文学は私的な領域を担うという、棲み分けが当たり前になるのだ。以降、文学は外部への想像力を失くし、自閉してゆくことになる。「言葉が扼殺された世界」という表現に託されていたのは、おおよそそのような風景だろう。桐山はこの潮流に逆らい「政治=文学」の試みを続けた稀有な書き手だった。
誤解を招かぬよう付け加えておくと、政治信条やスローガンを作中に盛り込むことが「政治=文学」の要件なのではない。自身が属する世界を描こうとする際、当然そこに介入してくるはずの権力構造や歴史的過程を、細大漏らさず考え抜くこと。そのための想像力を手放さないことが必要なのだ。桐山が「天皇」や「テロ」、「沖縄」といった主題に行き当たったのも、そうした経路を辿った結果だった。そう考えてみると桐山がやったことは、きわめてまっとうな文学の営為に過ぎない。
先述したインタビューの3年後の1992年、桐山は世を去る。それからさらに30年が過ぎた今日、文学を取り巻く環境はどうなっているか。改めて確認するまでもない。言葉は扼殺され続け、現在の異様さはますます顕著になってきている。そのことが問題視されることさえ、稀なのが現状だ。なるほど「失われた20年」を経て日本社会は確実に貧しくなった。社会的矛盾は露呈し、いよいよ誤魔化しきれなくなってきている。相対的豊かさが覆い隠してきた軋轢が、次々噴出し続けているためだ。しかしそうした状況を受け止めるには、文学の言葉はあまりに痩せ細ってしまっている。
桐山はインタビューのなかで「私が一つの突破口をつくることによって、多くの表現者が生まれて来るという夢がある」と語っていた。残念ながら、「夢」はいまだ「夢」のままだ。たしかに「政治」を語る作品はある。「歴史」を題材にした作品もある。「戦争」を描いた作品だってある。書き手にとって今日ほど、情報環境に恵まれた時代はないだろう。主題はいくらでも任意に選択できる。しかしそれらを我が事として受け止める想像力が欠けている限り、すべては絵空事に過ぎない。各々のジャンルの流儀に従い、消費されるだけ。時期が過ぎれば、何の爪痕も遺さずに消えゆく。だがしかし、それでいいのか。
と他人事のように語る権利は、実のところ筆者にもない。自分もまた現代文学の末席を占める書き手の一人だが、近年ほとんど生産的な仕事が出来ていない。怠けているつもりはないが、事態は悪化の一途を辿っている。弁解が許されるなら、媒体の問題は深刻だ。出版業そのものが先細りしてゆくなか、版元はますます余裕がなくなってきている。売れ筋の作品、話題を呼ぶ書き手、無難で口当たりのよい題材ばかりが優先され、他は見向きもされない。こんな状況で、いったい何が為し得るというのか。
先行きを考えるほど暗澹たる気持ちになるが、それでも続けてゆくしかない。1980年代を通して、桐山がほとんど孤立無援の状態のまま書き続けたように。少なくともこの作家の存在は一つの希望たり得ている。
我々を囲繞(いにょう)する世界と我々自身の関係を、それが成立した経緯を含めて描き出すこと。そのために、言葉を絶えず外の現実に開いてゆくこと。桐山が選んだまっとうすぎるほどまっとうな手法はたぶん、文学を続けてゆく唯一の細道だった。その姿勢から学ぶべきことは多い。彼の開いた「突破口」の先に、どのような風景が広がっているのか。その可能性を見極める仕事を、現代の書き手として引き継いでゆきたい。
著者情報
小説家
樺山三英
かばやまみつひで
1977年東京生まれ。2007年、『ジャン=ジャックの自意識の場合』で第8回日本SF新人賞を受賞しデビュー。2010年、『ハムレット・シンドローム』で第8回センス・オブ・ジェンダー賞・話題賞を受賞。著書に『ジャン=ジャックの自意識の場合 』(徳間書店 2007年)、『ハムレット・シンドローム』(小学館ガガガ文庫 2009年)、『ゴースト・オブ・ユートピア』(早川書房 2012年)、『ドン・キホーテの消息』(幻戯書房 2016年)そのほか、作品「セヴンティ」 (「季刊メタポゾン」 第10号 2013年)「団地妻B」(「すばる」2018年 4月号)「20201125」(『三島由紀夫 最後のことば』2022年 武久出版 所収)などがある。