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常識を疑え!

京都嘱託殺人事件から考えた――誰もが"使命"を手に入れられる社会か、"使命"がなくとも生きられる社会か?

香山リカ(医師)

 そしてもうひとつ、自分への宿題として残しておきたいのは、②の「いまの医師はどういう死生観生命観を持っているか」という問題だ。今回は事件の容疑者である医師についてのみその考えの一端を紹介したが、実は私自身は、この経済合理性を異様なまでに重んじるというのは、多かれ少なかれ、いまの40代以下の医師に見受けられる特徴なのではないかと思っている。
 そして、そういった医師たちの一部がいま新型コロナウイルス感染症の問題に関しても、「PCR検査は“コスト”がかかりすぎる」と主張して検査抑制論を展開したり、「威力の弱い感染症なので恐れずに“経済”優先を」という楽観論をネットやテレビで述べたりしているように感じられるのだ。
 私はこの傾向をたいへんに憂慮している。たしかに彼らの中には昔の医師に比べ、知識が格段に豊富で、高いスキルを身に着けた医師が多いのも事実だ。しかしすべてを合理的に経済優先で処理しようとする思考パターンが染みついた専門家が、人間にとって避けて通れない、病や障害、老化や死にどう対処するのか。もちろん医療現場ではときにはドライに割り切らなければ正しい診断や良い治療ができないことも多いが、私も医師として経験年数を重ねれば重ねるほど、「人間の生き死には科学や計算だけでは答えが出ない」と思うようになってきた。そこにすべてをコストとベネフィットだけで考えるような“経済至上主義医師”が続々と現れたら、どうなるか……。ちょっと想像するだけでも悲惨な状況がいくつも思い浮かぶ。

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 さて、最後に③の「生きる意味」について少しだけ、いま考えていることを述べておきたい。
 今回の患者の女性はブログやツイッターで自分の考えを発信していたことは先にも触れたが、この人の「安楽死したい」という強い思いの根底にあったものは何だったのだろう。
 本人による2018年6月4日の「死生観と安楽死」というブログには「少なくとも私はこの動かない食べられない話せない、唾液さえ常に吸引しないと生きていけない身体で人間らしい人生を送っているとは思えない」[13]とあり、同年11月24日の「ベッドの中と外の世界」には「どんな楽しいことを計画しても、こんな身体で生きるこの世に未練はないな、、、と思ってしまうのだ」[14]とある。
 以前はできたことができない、鏡に映る姿も変わってしまった、今後、治る見通しもない中でただ悪化を待ちたくない、という気持ちがあったことがうかがえる。ツイッターには「7年間一貫して言い続けてきた『早く終わりにしたい』という思い」(2019年6月29日、[15])という言葉もあるので、この疾患だと診断を受けて間もなくからそう考え続けていたのかもしれない。
 しかしその一方で、ブログには「自分という人間の個」「それは人とのコミュニケーションによって守られているに違いない。ブログやツイッターで発信することもそうだ」(2019年3月28日、[16])という記述もあり、その通りに症状や安楽死についてだけではなく、テレビでテニスやサッカーを応援したり友人が訪ねてきたりという日々の様子についてもこまめに発信して、ときには70もの「いいね!」がついたり、フォロワーとのやり取りの中で病気から悲観的になる人を励ましたり、逆に励まされて「本当にありがとう。頑張るよ!」と言ったりもしているのだ。
 ただ、一方でヘルパーたちの心ない態度への不満、緊急時対応会議を「私抜きでする」という主治医やケアマネージャーへの不信が見え隠れする。そして、2019年9月17日のツイートに「手間のかかる面倒臭いもの扱いされ、『してあげてる』『してもらってる』から感謝しなさい 屈辱的で惨めな毎日がずっと続く ひとときも耐えられない #安楽死 させてください」[17]と記している。
 つまり、コミュニケーションを大切にし、他者とのやり取りの中で「自分であること」を確認してきた彼女は、現実の毎日では思い通りには動かせない身体をケアする人たちから「面倒臭いもの扱いされ」ていると感じ、「屈辱的で惨め」だと感じ続けなければならなかった。「尊厳」をまったく自覚することができない状態に置かれたのだ。

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 不登校だった中学生時代、独学で作った小さなロボットが競技会で準優勝したのをきっかけにロボット工学の道に進み、現在は株式会社オリィ研究所代表取締役CEOを務める吉藤オリィ氏という32歳の学者兼実業家がいる。彼は「ロボットで孤独を解消する」をミッションに不登校やひきこもり、病気の若者のかわりに外に出かける“分身ロボット”の開発を行ってきたが、それがALSを始めとする難病などで寝たきりの人たちにも求められていることに気づいた。いまでは難病、高齢者、育児中の人などが自宅で操作してカフェの店員や会社の受付の業務をこなすロボットなども作っており、操作する人が実際に正社員として採用されたケースもある。
 今回の事件が明るみに出た7月23日、吉藤氏はこんな連続ツイートを投稿した。

「研究を通しALSはじめこれまで500人以上の難病、寝たきり生活の人達と出会い、彼らと『生きるとはなんだろう』という話をよくしてきた
 色んな意見はあるが、概して皆『人の役にたつ事だ』と回答する
 ただ延命したいのではなく、命ある限り誰かにとって必要な存在でありたいのが人なのだ」[18]
「この話をすると『生きているだけで価値だよ!』と言ってくれる人もいる。きっと優しい心からの声だろう
 ただ、いくら周りが生きてるだけでいいよと言っても、本人が誰かの為に何かしたいと願うならその気持ちは尊重したいし、されたいのだ
 自分らしく生きていると”実感できる事”が本人にとって大切だ」[19]

 私は、この吉藤氏のツイートを、亡くなった女性が読んでいたらどう思っただろう、と考え込んでしまった。彼女は、パソコンを使ってブログやツイッターでコミュニケーションをとることで「自分であること」をかろうじて保てる、と言っていた。そこには吉藤氏の言う「誰かにとって必要な存在」ということも含まれているだろう。一方でケアする人たちから「面倒臭いもの扱い」されて「屈辱的で惨め」と感じた。まさに「自分らしく生きていると“実感できる事”」がむずかしくなったのだ。
 いま吉藤氏は、寝たきりになってもロボットを使って社会で働ける仕組みなどを、当事者たちと協力しながら次々に作っている。それがどんどん実用化されれば、この先、彼女のような状態になった誰かが、SNSでのコミュニケーションだけではなく、仕事という形で「誰かにとって必要な存在」となり、「自分らしく生きている」と強く実感して生きる意欲を持つことができるようになるのだろうか。
 コロナの感染拡大よる「ステイホーム」の生活により、このところ多くの人たちが「私は誰かの役に立てているのだろうか?」と自分を振り返ったと思う。中には「何もすることがない、家にいるだけで世の中の役にも立てない」と落ち込み、抑うつ状態の域にまで達して、診察室に来る人も出てきた。人間には、自分が社会やそこにいる誰かの役に立っているという思い、すなわち「自己有用感」が必要なのである。吉藤氏の取り組みは、病気や家庭の事情で家にいなければならない人でも、IT技術を使うことで社会でも活躍できる体験を通して、この自己有用感を取り戻す試みだ。その意味で、私は9割がた、吉藤氏の取り組みを心から応援したいと考えている。
 では、残りの1割は何なのか。
 それは、吉藤氏のツイートの中にある「生きているだけで価値だよ!」だけでは本当に足りないのか、ということだ。いや、私たちが目指すべきなのは、やはり「生きているだけで価値だよ!」の方なのではないだろうか。

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 7月31日、ネットメディア『現代ビジネス』は、『群像』2019年10月号に掲載された若い文筆家の文章を転載した。著者の名前は木澤佐登志氏、文章のタイトルは「『生産性』と『役に立つ生』に憑かれた、私たちのグロテスクな社会について――生産性に抗するラディカルな生」だ。[20]
 その文章で著者は、たまたま両親と見ていたテレビに映し出された知的障害者の社会参画を支援する団体の主宰者の言葉に、強い違和感を覚える。その言葉とは次のようなものだ。本文から引用する。

「『とにかく彼らがあきらめる心だけは持たせたくない。あきらめたら、そこで終わってしまう』また、次のようにも語る。『生まれてきた以上は世の中に必要とされている人間だ』『今、命がある限り、必ず君には使命がある』『使命を見出すためにも、自分の人生を力強く歩んでいかないといけない』」

 そのテレビ番組は支援団体の取り組みやそこでがんばる障害者の話を美談風に仕上げていたが、著者はここで言われる「使命」は「生産性」と同義なのではないか、と考えてこう言う。再び引用する。

「『生産性』とは何か。それは理事の言葉では『使命』と言い換えられている。人間個人には必ずその人の『使命』が与えられており、その『使命』をまっとうするために、終わりなき労働に駆り立てられる。だから、『使命』をまっとうする気のない人間は、生きる価値がないのだ。」

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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