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連載

「飲み会を断らない女」が有害な理由

雨宮処凛(作家、活動家)

「“飲み会を絶対に断らない女”としてやってきました」

 この言葉は、菅義偉首相の長男からの接待問題で有名になった山田真貴子内閣広報官が口にしたものだ。若者への動画メッセージの中で述べたものだが、首相長男からの接待金額が7万円以上であることなどが大きな批判を受け、辞任に至った。

 飲み会。会食。宴会。飲食を伴う接待。

 この1年、この国の人々からすっかり縁遠くなったものだ。が、コロナ禍でも一部政治家や官僚たちはそれを続けており、最近では厚生労働省職員23人が深夜まで宴会を開き、次々と感染が判明。2020年12月には菅総理大臣がタレントのみのもんた氏らとステーキ会食したりが報じられた。

 このようなことが報じられるたびに「あの人たちって会食しないと死ぬ病気なの?」という声が上がる。

「スシロー」こと田崎史郎氏はテレビ番組で「政治家は会食するのが仕事です」と発言してやはり大きな批判を浴びたが、そのような場は、「ホモソーシャル100%」であることは間違いない。子育て中の女性は決して参加できず、家庭を大切にする男性も行けない場。そんな「会食」という密室で多くのことが決められてきたことに大いなる違和感と時代遅れ感を抱くのは私だけではないはずだ。

 さて、そんな「会食」が話題となる中、突然、ある記憶が蘇った。それは私が貧困問題に取り組み始めた07年から数年間のこと。

 07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版、のちにちくま文庫)という本がJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞し、いろんな媒体から取材を受けるだけでなく、『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)なんかのテレビ番組にも呼ばれるようになり、それまでボンクラに生きていたのに突如として「貧困問題の論客」的な扱いを受けるようになった頃である。

 自身が書き上げた一冊の本によって環境が大きく変わる中、私は貧困問題が、改めて「政治的なテーマ」であることに驚きつつ、発信を続けていた。そうして、いろんな人から「エール」を受けた。

「政治を変えなければこの国の格差や貧困問題は解消されない」

「ぜひその先陣を切ってほしい」

 そんなことを日々言われながらも、私は「どうすれば政治を変えられるか」なんてさっぱり分からなくて、ただただ戸惑っていた。政治家や役人と会う機会はそれまでと比較して格段に増えたが、いつも名刺交換して終わり。問題の「キーパーソン」の一人とされながらも、「女」の自分は最初から頭数にすら入っていないような空気や、自分の「蚊帳の外」感に気づいていた。

 だけどあの時、「政治を変える」には、「物事を進める」には、そこから「会食」という手段が必要だったのではないか――? コロナ禍で会食が批判される中、突然そんなことを思ったのだ。

 思えば当時の私には、会食の誘いがよく来た。よく分からないけど「業界の偉い人」であったり、政治家絡みだったりその周辺の人だったり、政治と関連するメディア人だったりした。「今度政治家の○○さんと飲むから/今度○○さんと親しい人紹介するから、そしたら政治家とつながれるから、顔つなぐから」などなどの誘いが本当によくあった。

 そんな誘いを、私はほとんど断っていた。なぜなら、誘ってくるのはよく知らないおじさんで、そのよく知らないおじさんがさらにもっと知らないおじさん(テレビで見たことはある)を誘ってくる、という構図だったからである。一言で言えば、「知らないおじさんと会食する」のが嫌だったのだ。

 その上、「貧困問題の解決のため」と言うのに、なぜ食事を共にしなければならないのかも意味不明だった。メモもとりづらく、資料も広げられないご飯の席で話すよりも、会議室でも議員会館でもいいからもっと落ち着いた場所で、記録の残る形で話すことが重要ではないか。

 会食の席で「話を聞かせてほしい」なんて、アルコールが入るとどうせ忘れるし話は大きくなるだけだしで、バカにしてるのか? という思いもあった。しかも、前述したように私が取り組むのは貧困問題。それを赤坂あたりの高級店で高い料理に舌鼓を打ちながらするなんて、絵に描いたような極悪人に思えて、到底乗れない話だったのだ。

 よって会食に誘われれば、「は? なんでですか?」と返し、「それよりも、ちゃんとレクチャーとか勉強会とかの形にしませんか」と伝えると、話は決まってうやむやになるのだった。これが私には不思議で仕方なかった。

 ちなみにそんな話を友人にすると、「会食に誘うのは、相手の人柄を知るという意味もあるのでは?」と言われた。それを聞いた時は「一理あるかも」と思ったが、やはりなぜ、それが「会食」で、飲酒も伴う会合でなければならないのかが私には理解できない。そしてその場が「人柄を知る」という面接的な役割を果たしているのであれば、そんなホモソーシャルで生き残れるのは「フェミではない」ことをいたるところで匂わせる「飲み会を断らない女」だけではないだろうか。

 と、さんざん「会食批判」を書いてきたが、私は会食全般が嫌なわけではまったくない。気心の知れた編集者や仕事を共にしている人、友人たちとの会食・宴会は大好きである。最近はしていないが、コロナ以前は路上飲みが大好きで、友人たちと駅前や公園で酒盛りをするのを何よりも楽しみにしていた。ただ、よく知らない相手と会食するのは嫌というだけのことである。

 ちなみに「まったく知らない人から食事に誘われる」というのは、出版関係でもたまにある。一面識もない編集者や記者の方から突然「ご飯でも」とメールなどで誘われるというパターンだ。それが「仕事の話」であれば、会う可能性はある。もちろん、会食はせず、まず話をするというパターンだ。しかし、「ご飯でも」という場合、仕事の話なのかなんなのか分からない。はっきり言って、怖い。

 これは新人時代のトラウマもある。25歳でデビューした私は、20代の頃、「仕事の話」としてメディア関係者に呼び出されては、延々と仕事に関係ない話を聞かされたり、二人っきりでやたらムーディーな店に連れて行かれたりした。口説いてきた大馬鹿野郎もいた。こっちは「仕事の話」と聞いているから行ってるのに、酔った相手は「仕事と関係なく話したい」などといった寝言をお抜かしになるのだ。仕事と関係なければ誰がお前なんかと会うか、というような相手に限ってそういう汚い手を使う。今思い出しても本当に悔しい。まごうことなき悪質なセクハラだが、20年前、そんなことはザラにあった。

 それにしても、と思う。なぜ、一部の「おじさん」はこんなに会食が好きなのだろう。例えば出版関係者でも、「一面識もないのにご飯に誘ってくる女性」と会ったことは私の場合、一度もない。おそらく、「知らない相手から食事に誘われる」怖さを理解しているからだと思う。

 突如「ご飯でも」と誘ってくるのは全員おじさんだ。なぜ、彼らは、見ず知らずの相手とご飯を食べるのが平気なのだろう? そう思って、気づいた。おじさんの生きやすさ、居心地のよさは、多くの場合、おじさん以外の人間の我慢によって成り立っているということを。だからこそ、おじさんだけが楽しい会食をおじさんは好きであり、それ以外の人は苦痛に感じるのだろう。それなのに、当のおじさん自身はそんなふうに誰彼構わず誘う自分を「コミュ力がある」と思っていたりしそうでタチが悪い。

 さて、そこまでおじさんを警戒するのには、物書きになる前、数年ほどキャバクラで働いていたということもある。その際、客につきまとわれる、あとをつけられる、脅されるなどさんざんひどい目に遭ってきたからだ。

 そんなおじさんの中には、「若い女」とみればどこまでも搾取し尽くす習性を持つ人がいることも知った。例えば中野のキャバクラで働いていた頃、とにかく「女の子と安く会話をすること」に命を賭けている客がいた。激安キャバでも飽き足らなくなったその客は、ある日遂に「タダで若い女の子と話せる秘策」を編み出したと嬉しそうに報告してきた。それは中野や高円寺など中央線沿線にいる、ストリートミュージシャンの女の子と話すこと。

「あっちはタダで喋ってくれるんだよ。曲褒めてあげたら愛想よくしてくれるし、キャバの子と違って正直で素朴だし」

 嬉しそうに話すおじさんを見て、「若い女」に付随するありとあらゆるものをここまで搾取し尽くす姿勢に恐怖すら感じた。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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