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「飲み会を断らない女」が有害な理由

雨宮処凛(作家、活動家)

 もちろん、「女の子と会話すること」が商売として成り立つこと自体もおかしいと思う。そこで働き、自分自身一時は恩恵を受けたという事実もある。だけどそんなふうに「タダで女性と喋ること/それ以上のこと」を目当てにしているおじさんたちは今、女性作家の展覧会に現れる「ギャラリーストーカー」なんかの形で問題化していて、多くの女性たちを恐怖と不快感に陥れ、また多大な迷惑をかけている。

 そんな国で生きて、数年間キャバクラで働いていた経験があれば、どうしたって「ご飯行こう」なんて言ってくるおじさんを警戒してしまうのだ。

 そんなこんながあって、「政治界隈」っぽい会食を断り続けていたところ、誰にも誘われなくなった。本当に平和でありがたいことだ。

 だけど、思う。私がもし「飲み会を絶対に断らない女」として積極的に「権力者」(政治家に限らない)の飲み会に参加し、お酌とかして、それで何か変わったのだろうかと。

 有力政治家と懇親を深め、貧困問題を政策課題の最優先にしてもらって大幅に予算をつけて解決、などとは絶対にならなかった自信がある。では何が変わるのかと言えば、私だ。私が彼らの文化に染まるだけだったと思うのだ。そうしてやたらといろんな人を「会食」に誘って、そういう「人脈作り」が目的化して「何やってるんだかよく分かんないけどそういう業界に寄生してる人」になっていたかもしれない。

 そう思うと、「親睦」なんて深まらなくても物事は進むべき、という当たり前がなされてほしいとつくづく思う。政策立案の場に、親睦など無用だと思うのだ。

 東京オリンピックの森喜朗組織委会長の辞任がメディアを賑わしていた頃、「森さんじゃないとオリンピック開催なんてできない」「森さんの人脈と立場だからこそいろんな交渉がうまくいった」なんて声がメディアのあちこちから上がった。しかし、特定の立場の人の、おそらくさまざまな利害が入り組んだ「人脈」がないと物事が進まないこと自体、民主主義に逆行しているのではないだろうか。

 当然、そこには莫大な利権が生まれる。それによって多くのことが歪んでいく。だからこそ、そういうやり方は危険だと思うのは私だけではないだろう。

 ということで、ここまでさんざん「おじさん」が嫌だ、みたいなことを書いてきたが、私には一緒に飲みたい、大好きなおじさんもたくさんいる。そういうおじさんに共通するのは、「圧」がゼロであること、そして押し付けもゼロであることだ。そんなおじさんは共通して金も権力もないが、「愛されるおじさん」の周りにはいつも老若男女問わず、多くの人がいる。

 激安居酒屋でそんなおじさんたちと飲みながら、私もそんな「愛されるおばさん」になりたいと、いつも思うのだ。

次回は6月1日(火)の予定です。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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