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連載

半世紀近く生きてきて、苦手なのは「スポーツ」ではなく「暴力」なのだと気づいた日

雨宮処凛(作家、活動家)

 そうして30代後半から、私も身体を動かすようになっていく。誘われれば海に行ったり、やはり誘われるままジムやヨガに行ったり。

 そんな場で、生まれて初めて、強制的にやらされるのではなく、自分の意思で「運動」をした。初めての「身体を動かすこと」は、思いのほか、よかった。

 なんと言っても部活と違って、突然怒鳴ったり殴りかかってくるヤバい大人がいないのだ。そう、私が嫌いだったのは「身体を動かすこと」ではなく、「ちょっとのミスで突然ブン殴ってくるヤバい奴」だったのである。

 が、当然ながらジムで客にそんなことをする人間などいない。誰も怒鳴ったり殴ったりしないどころか、優しく丁寧にいろいろ教えてくれるではないか。

 そうして、気付いた。私はスポーツが嫌いなわけではなかったのだと。このことは、天地がひっくり返るほどの衝撃だった。

 そうやって身体を動かすようになってわかったことがある。それは、運動しないとメンタルを病みやすいということだ。特に私のような物書きは一日中家にいる。3日間、誰とも会わず口を利かないなんてこともある。そうなると、何が起きるか。例えばちょっとでも嫌なことがあると、一日中、ずーっとそのことばかり考えてしまうのである。下手したら1週間、同じことをぐるぐると考え続け、鬱々と過ごすこともある。だけど、身体を動かすと、そんなモヤモヤは吹き飛ぶではないか。というか、筋トレなどのキツさが思考を無にしてくれる。メンタルのキツさが身体のキツさに凌駕され、マイナス思考から解放されるのだ。

 と、ここまで書いて、それってリストカットと同じじゃん、ということに気がついた。過去にリストカットしてた頃、私は「心の痛みを身体の痛みに誤魔化すために」していたのだ。え、待って、それって筋トレと一緒じゃん。筋トレって、健康的なリストカットだったの? 今私、すごい発見してない?

 ということで、これについてはまた深く考察したいが、とにかく体を動かしてたらメンタルは前より安定してきたのだ。

 ということを、青山さんの本を読んで、改めて思い出したのだ。

 彼女も身体を動かすことによって事態が拓けていくのだが、そこで紹介されている言葉が素敵だ。それは内田樹(たつる)氏の「身体のほうが頭がいい」という言葉。この言葉に深く頷く人は多いだろう。

 さて、このようにして「普通の隠キャ」だった私は、今、「隠キャ界の陽キャ」くらいにはなっている。このようなことから陽キャとの出会いに感謝しているのだが、そんな陽キャから感謝されることもたまにある。

 それは、陽キャ界隈からメンタル不調者が出た時のこと。私の周りの陽キャは、マリンスポーツや世界のリゾートに詳しくても、メンタル界隈のことには非常に疎い。それだけでなく、普段、心身共に元気すぎるゆえにメンタルの病に対するタブー感があったりする。

 が、そんな時こそ私の出番。10代からの生きづらさのプロとして、いろいろなクリニックやしかるべき窓口に繋いできた。

 私は陽キャに身体のケアを教えてもらい、陽キャは私にメンタルケアのもろもろを教わる。異文化交流って本当に大事だ。

 もうひとつ、気付いたことがある。それは唐突すぎるが「冷笑系」について。

 私は20代の頃、当時流行っていた1990年代サブカルにどっぷりハマり、そこそこ長い期間を「冷笑系」として生きてきたのだが、それは「昭和の学校」トラウマから派生したのではないかということだ。

 中学時代、部活で毎日暴言、暴力を受けていたことは前述した通りだが、部活以外の日常もめちゃくちゃだった。当時はヤンキー全盛期。暴走族雑誌『ティーンズロード』(ミリオン出版、1989~98年)に出てくる不良姿そのままの同級生たちは男女を問わず毎日校内で殴り合いをし、私は日々、人の顔が血だらけになり、ボコボコに腫れ上がっていく様子を見せられていた。それだけでなく、教師が生徒をボコボコにすることも日常茶飯事。

 そんな中、隠キャの私は息をひそめるようにして暮らしていたものの、ある時期から、学校を「野生の王国」だと思うことにした。治安が悪すぎる猿山みたいなものだと思うと、少し気が楽になったのだ。

 そうして表情には一切出さず、しかし、心の中では常にヤンキーをバカにするようになった。自分をいじめる部活の人間にもそうしていた。こんなくだらないスポーツごときができるできない、勝つ勝たないに一喜一憂する愚かなものだと思うようにしたのだ。そうすることで、なんとか死なずにいられた。常に冷笑して軽蔑することが、最大の自己防衛だったのだ。そうしてなんとか、無法地帯の中学時代を生き延びた。生き延びるためには、そんな態度を身につけるしかなかったのだ。

 それから数年後。高校を卒業して上京し、当時流行っていた90年代サブカルに触れた時、なんの違和感もなかった。それどころか、「自分以外にもヤンキーをバカにしている人たちがいた!」と猛烈に嬉しくなったことを覚えている。

 そんな冷笑系はあれから30年以上経った今も同世代に染み付いており、「社会変革への意識がなく、社会を変えようとする人たちを冷笑する」ような態度は何かあるたびに問題視される。が、ある意味で「冷笑系」は、ヤンキーや暴力に満ちた昭和の学校に傷ついてきた人たちの避難所のような役目も果たしてきたのだ。だからこそ、正面からいくら「冷笑系はいけない」なんて言ってもなんの意味もないだろう。だって私、それなかったらたぶん死んでたもん。私の命の恩人だもん。

 ということで、昭和は遠くなりにけり。しかし、その後遺症は私たちの中に今もくすぶっていることを、50歳を目前としながらしみじみ感じている。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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