いつもココロにYOSHIKIとオーケン 〜平成のバンドブームの教訓を令和でも大事にし続ける女
雨宮処凛(作家、活動家)
最近、友人と話していた時のこと。
彼女が好きなバンドの話を何気なく振ると、「ああ、もう飽きた、興味ない」と言われ、なんだか軽く傷ついた。
それは私もそのバンドがうっすらと好きだったからで、少し前までその話題で盛り上がっていたのに盛り上がれなくなったのが残念、というのがひとつ。そしてあまりにも簡単に、かつ罪悪感なく「飽きた」と言い切るその清々しさになんだかショックを受けたのだった。
それは自分もある意味で「飽きられたら終わり」の物書きという仕事をしているからなのだと思う(友人は会社員)。思えば物書きになってからの24年間、私はどこかでずーっと読者やメディアの「飽き」問題を意識してきた。
特に私は2007〜09年頃の「貧困問題」ブームを経験している身。08年末から09年にかけての「年越し派遣村」とか、あの辺りのことである。「懐かしい」と思った人もいるだろう。ちなみに私も知らない人から「懐かしい」と言われることがごくたまにある。あの時期によく見ていたということで言われるのだが、本人に面と向かってあまり言わない方がいいワードだということは書いておきたい。「懐かしい」と生身の人間に言っていいのは、たぶん同窓会とかそういう場だけだ。
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さて、そんなブームはある日突然始まった。
それまで地味に取材していたテーマが急に「今まさに日本が直面する重要な社会問題」としてメディアに取り上げられるようになり、それに伴い自分もやたらと取材を受けたりさまざまなメディアに登場するようになる。極めつきは、政府の貧困問題に関する研究会の委員にまでなったこと。高卒の元フリーターがいいのか? とさすがに不安になったものの、ブームとは恐ろしいものである。
そんな最中、どんな気持ちだったかと言えば、ただただ「怖ぇー」という気持ちだった。
明らかに、自分の実力以上のものを勝手に期待されている感じ。能力以上に評価される戸惑い。そして「こんだけ持ち上げるってことは、ある瞬間に急激にオワコン化し、そこから叩き落とされるんだろうな」という恐怖を感じた。
幸い、「復讐のように叩き落とされる」ほどの酷い目には遭っていないが、一度ブームを経験すると理不尽だと思うことがその後の人生でずっと続くということを知った。例えばブームの時にしていた努力が1だとすると、その後は10倍、100倍の努力をしても当時ほどの評価は得られない。本の売り上げとか、そういう全般だ。
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「そういうことに病まないの?」と聞かれることもあるが、今のところ、病んではいない。
それは私が「そういうもんだ」と知っていたことも大きいだろう。なぜなら、自分自身がバンギャ(ヴィジュアル系バンドが好きな女子の総称)として、これまでさまざまなバンドや人を「消費」し、飽きたら見向きもしないということを繰り返してきたからだ。
だからこそ、自分が物書きとなってからは、消費され、飽きられることを受け入れてきた。そこでジタバタしても仕方ないことは嫌というほどわかっている。同時に、「メディアの扱い」や「注目度」と「自らの価値」を関連づけることはしないと肝に銘じてきた。
これには、10代の頃に知ったYOSHIKIの言葉が大きい。
それは『みんな無名だった、だけど…無敵だった EXTASY SUMMIT 1992』(イーストウエスト・ジャパン、1993年)というビデオに収録されたもの。
この映像はYOSHIKIが立ち上げたレコード会社Extasy Records所属のバンドが一堂に介して開催された「一日限りのお祭り」を収録したもの。92年の「EXTASY SUMMIT」は大阪城ホールと日本武道館で開催され、 Xはもちろん、LUNA SEAやZi:Killなど大人気バンドが登場し、最後はみんなでセッションという、当時の私にとっては銀行強盗をしてでも行きたいものだったのだが、北海道の高校生にとっては大阪城ホールも日本武道館も異国どころか異星ほどに遠いものだったので泣く泣く断念。因縁の「祭り」だ。
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そんな「EXTASY SUMMIT」の模様が収録された映像の最後には、スローモーションで映し出される楽屋風景にYOSHIKIの言葉がオーバーラップする。
以下のようなものだ。
「数ある芸術のなかでも、メディアや企業に対して最も近い関係に位置する存在の1つとして音楽がある」
そんな一文から始まる文章は、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで売れ始めたXやExtasy Records所属のバンドを背負う立場としてのYOSHIKIの決意が込められている感動的な内容。要約すると、どれほど巨大な「音楽産業」に飲み込まれようともアーティストとして存在したい、というようなものなのだが(雑ですみません)、最後の方に以下のような言葉がある。
「例え時流に流されても、時代に飼われようとは思わない/どんなにメディアにさらされてもそこに自分の存在を見つけようとは思わない 」
その言葉を見た時、「私が目指すべきはこれだ!」と思った。ちなみに初めて見た時、私は10代でただの予備校生。「メディアにさらされる」予定など皆無だったにも関わらず、勝手に啓示を受けたのだからだいぶ様子がおかしいとしか言いようがない。
しかし、この「YOSHIKIの言葉」は10代、20代、30代、40代と人生の節目節目で私を救い、そして「勘違い」からも私を守ってくれた。いわば、私はずっと20代だった「YOSHIKIの言葉」に支えられ、その言葉を戒めのように、お守りのように大事にしてきたのである。
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もうひとつ、「ブーム」とその終了に惑わされなかったのは、大槻ケンヂ氏(以下、オーケン)の本の熱心な読者だったことによる。
特に90年代はじめに日本中を席巻した「バンドブーム」に自身が巻き込まれ、ブームに翻弄される若きバンドマンたちと自らの戸惑いや葛藤を描いた『リンダリンダラバーソール いかす!バンドブーム天国』(メディアファクトリーダ・ヴィンチ編集部、2002年/のち新潮文庫、06年)は、私にとってバイブルであり続けている。
以下、引用だ。
〈いきなりスターダムに押し上げられた若きバンドマンたちは、誰一人として、このブームが永遠に続くとは思っていなかった。人生はそんなにチョロいわけはない。巻き込むだけ巻き込んでおいてムーブメントは、またアッという間に去っていくだろう。
さて、ではその後、オレたちは一体どうなってしまうというのか?
不意に手に入れたデビューや名声が、けっしてゴールではなく、むしろ、むこうは荒海の断崖絶壁に辿り着いたに過ぎないのだという現実は、若者を不安な想いに駆り立てるに十分過ぎた。実際に、急激に人気をなくし、早くももとの、食えないバンドマンに戻る者も多数現れていた。失速の原因は周りにも本人たちにもわからない。神様がいいかげんにサイコロを振って決めているようにしか思えないのだ。不運のサイコロは僕らの頭上を転がり続け、やがてゆっくりと、だが確実に、誰かの上でピタリと止まるのだ〉
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本書の後半には、バンドブームの「終焉」に多くのページが割かれている。
テレビ、ラジオはバンド関係の番組を一斉に終了し、レコード会社は契約を打ち切り。人気バンドのファンジンと化していた雑誌『宝島』(晶文社→JICC出版局→宝島社、1973〜2015年)は、〈ブームが終わるや唐突にエロ情報中心の風俗誌へと路線変更したのにはア然とした〉 。
もう、「諸行無常」という言葉しか出てこない。
そんな平成はじめのバンドブームを、私は中学生から高校生にかけて、リアルタイムで「ファン」として目撃していた。
今から思えばまだまだ「少年」のミュージシャンたちが急に持ち上げられ、人気を博し、それが莫大なお金を産み出しては消えていくのを見ながら、末恐ろしいものを見せつけられている気がしていた。この時、私は生まれて初めてくらいに「世の中の残酷さ」を知った気がする。
それから十数年後、30代前半で自分が少しだけメディアに出るようになった「貧困」ブームの頃、ことあるごとに思い出したのはやはりこの『リンダリンダラバーソール』だ。巨大なエンタメ産業と貧困問題がちょっと注目されたくらいでは比較にならないが、しかし、あの本を読んでいたからこそ、かなり客観的に、そして冷静でいられたと今でも思う。
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もうひとつ、25歳で物書きデビューしてからの数年間で、突然「売れた」人たちを見ていた経験も大きいだろう。