「投資家マインド」を理解したくて、初めて触れた「投資」の世界
雨宮処凛(作家、活動家)
ちなみに本書では羽田氏の経歴とともに「資産運用の歴史」が明かされるのだが、17歳で小説家デビューしたのち、大卒後には企業に就職。会社は1年半で辞めて専業小説家になるものの、会社を辞める前に中古マンションを買っていたというから驚いた。20代でそんなことを考えていたなんて。
〈当時の僕の年収は、三〇〇万円から五〇〇万円程度の間を行き来していた。会社を辞める直前に北向きの狭い中古マンションを買っていたから、ローン返済と管理費、修繕積立金の合計で毎月六万円ちょっとの支払いがあった。賃貸マンションと比べ、一人暮らしのコストとしては低く抑えられていたから、アルバイトもせず小説だけで食べることはできていた〉
すごい。売れない頃から、「自由でいるために」投資をしていたなんて。
それだけでなく、確定拠出年金に入り、掛金を6万8000円に設定。
〈日本株と外国株、REIT(不動産投資信託)の投資信託を買うよう配分を決めた〉
いややっぱりもうこの辺から言葉の意味がわからない。っていうか、人っていつどこでこういう投資に関する知識を学ぶの? 高卒の私、それ系の言葉の意味すらわかんないんだけど。
これが格差社会なの?
しかし、読み進めていくと羽田氏は投資について非常に勉強していることがわかってくる。が、それでも同じ投資本を読み返すと「誤読」していたことが発覚したりと、読んでいるだけでこちらもヒヤヒヤもさせられる。それでもなんとなく、なぜ人が投資をするかがわかってくる。
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〈よく計算したのは、六〇〇〇万円を運用した場合だった。一年で三〇〇万円の配当があり六三〇〇万円、二年で六六一五万円……。なぜ六〇〇〇万円×五%の計算を好んだかというと、その金額が、少ないときの自分の年収と同額程度だったからだ〉
〈つまり手元に六〇〇〇万円さえあれば、それを五%で運用し、執筆に行き詰まっても働かずして自分の年収と同じお金を手にすることができる――〉
この時のことを、羽田氏は「不安を抱えていたのだと思う」と振り返っている。が、投資ってこういうことなのか、とストンと腑に落ちるものがあった。確かに、何もせずに年300万円入ってくると思うとまったく生活は変わってくるだろう。少なくとも、不安はだいぶ小さくなる。そうか、投資ってそういうことなのか。だけど問題は、6000万円という大金だ。この入手方法について、私は「銀行強盗」くらいしか浮かばない……。
さて、その後も羽田氏は私には意味不明の言葉を駆使して自らの投資遍歴を振り返るのだが、「大損」した経験も書いている。1000万円以上の大金を失ってしまうのだ。しかも、複数回。顛末を読んでいるだけで動悸息切れ眩暈に襲われ胃が痛くなりそうだが、どうして人が「損する」話って、これほど面白いのだろう。自分の底意地の悪さに改めて気付かされた。
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ということで、本書はそんな羽田氏の投資と「理想の家」探しの経緯を存分に書いているのだが、天にも昇るような気持ちと魂を削られるような痛みを存分に疑似体験させてもらって思ったのは、「私には到底できない……」ということだ。
まず、羽田氏は投資について、常にめちゃくちゃ勉強している。そして投資をするために多くの時間を使い、作戦を練っている。
情報を集めたり銀行に行って担当者といろいろ話したり資料を作成したりと、時間と頭と労力をものすごく使っているのだ。これは基本的に「最低限働いて、あとはぼんやり過ごしたい」という私にとってハードルが高すぎる。
もうひとつ、自分には「ツテ」も「コネ」もないということがある。
本書を読めばわかるが、羽田氏には「メガバンクにつとめる友人」がいる。この友人の存在がキーパーソン的に描かれているのだが、私の周りには、投資に詳しい人やメガバンクにつとめる人、その辺の情報を持っていそうな人は見事に一人もいない。
かろうじているのは「親の相続で得たお金を投資して全財産を失った人」や「十数年前、FXをやっていると自慢げに吹聴していたものの今は行方がわからないフリーター」くらい。
「お金について有益な情報をくれる人間関係」は、あるところにはある。そしてないところにはこれっぽっちもない。これがいわゆる「階層」とかの差なのだろう。
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さらに付け加えると、「心臓に悪そう」というのも大きい。
羽田氏の大損描写を読むだけでも心拍数が増加、血圧は上昇するなど身体に重大な負担がかかるのを感じた。これが、自分の身銭だったら。脳の血管なんてあっという間にブチ切れるのではないだろうか。
しかも、相場的なものは毎日チェックするようではないか。そこに世界情勢とかが関わってきて、突然「暴落」とかがあるのだから一時たりとも安心できない。
さらには「世界情勢」と「自分の身銭」が関わっていると思うと、「どうしたら世界が良くなるか」「気候変動の問題や世界規模の格差がなくなるか」とかより、「どうやったらいろいろな情勢を利用して自分が儲けられるか」を考えてしまいそうだ。
なんかそれって、やっちゃっていいの? こうして考えただけで罪悪感めいたものが芽生える人には向いてない? っていうか、そういうのがガチの投資家目線ってこと?
そういえば東日本大震災の直後、震災後のゴタゴタを利用して投資で大儲けしたという話をしている人に出会ったことがあり(知り合いではなく、なんかの集まりでのこと)、「人の不幸を利用して儲けた俺様すげー」って感じのその人に一瞬殺意が芽生えたのだが、投資をする人はみんながみんな、そんな悪代官マインドってわけじゃないんだよね?
ちなみに最近は「社会的投資」なんて言葉も聞くが(投資と課題解決のセット的な何かっぽい)、それを説明する言葉からしてSRIだのESGだの意味不明なアルファベットだらけで何がなんだかさっぱりだ。
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ということで、この先も投資はしないだろうという結論に落ち着いたのだが、改めて思ったのは、「お金の話って面白い」ということだ。
しかも、赤の他人のお金の話。どういう人がどういうものにどれだけお金を使っているかを知るだけで面白いし、「お金との向き合い方」は、その人の価値観などを恐ろしいほど剥き出しにする。
そんな本書を読んで、私は「自分にお金を使う」ことに後ろめたさがあることに改めて、気付かされた。貧乏フリーター時代があったからなのだろうか。あるいは「自分にそんな価値はない」と刷り込まれているということがあるのだろうか。
よって、羽田氏が当たり前のように「理想の家」や「いい家具」を求める描写に新鮮な驚きを得た。そうか、人ってもっと自由なんだ、欲しいものを欲しがっていいのだと。
「お金」との付き合い方を考えるだけでなく、自分と向き合うことにもなれた一冊。投資をしている人が読んだら、また全然違う感想を持つのだろう。