ラテンギャング・ストーリー20 マラスと生きる女性たち~ジェシカ(中)
工藤律子(ジャーナリスト)
声をかけてきたのは、彼女をエル・プログレーソ刑務所へと逃がしてくれたホーミー、プラカーソの兄であるチャカンだった。彼はマラスではなく、彼らに麻薬を卸している麻薬犯罪組織のメンバーだ。プラカーソのことを尋ねると、「弟は殺された」と言った。経緯は語らなかったが、ジェシカを逃したこととは関係がないようだった。
「チャカンは私に好意を持っていました。ある日、刑務所内のカップルや面会に来た妻や恋人と囚人が過ごすための部屋に、私を呼び出しました。交際を申し込んできたんです」
その頃、唯一信頼できる人間だった男からの申し出を、ジェシカは受け入れることにする。しかし、それが彼女をギャングの世界へと引き戻してしまう。彼の周りには、商売相手であるマラスの連中が常にいたからだ。
「日常的にコカインをやり、ちょっと頭にくると人を殴る。そんな日々に逆戻りしてしまいました。私、バカなんです」
憂鬱な目に後悔の念が滲む。
更生の道を外れ、闇の世界へ沈み込んでいく自分を止められずにいると、状況は更に悪化する。
「そのうち、また別の男と知り合いました。銀行を襲ったり、車を盗んだりする強盗団のメンバーです。麻薬漬けで浅はかだった私は、チャカンと別れ、新たな恋人と付き合い始めました。そして、妊娠したのです」
3度目の妊娠。その事実は、彼女の心を激しくかき乱した。
「3人目の子ども。でも私は、最初の2人を人任せにし、この手で育てませんでした。最低です。だから、こんなひどい状況の中で再び妊娠した自分が、心底恐ろしくなりました。この子をもまた、麻薬や人殺しの世界に執着する母親の犠牲にするのか、と」
話を続ける彼女の目から、突然、大粒の涙が溢れ出した。まるで、妊娠を知った瞬間にタイムスリップしたかのようだった。彼女は、生まれてくる子どもに自分が与えることになるであろう人生に慄(おのの)き、自分自身を恨み、誰も信頼できなくなっていった。
「この子が生まれる前に、いっそ死んでしまいたい。本気でそう思いました。ヤケを起こしてコカインを乱用し、体調が悪くなるとHIVに感染しているのだと思い込み、気が変になりそうだったんです」

ジェシカは3度目の妊娠を知った時の絶望感を思い出し、しばし涙が止まらなかった。撮影:篠田有史
おなかの子どもの父親ともほとんど顔を合わせることなく、ジェシカは一人、自分の人生を呪い続けた。そんな時、不思議な出来事が起きる。それは、外国からのある訪問者によってもたらされた。
「ある時、女性服役囚は全員、中庭に集まるようにと言われました。皆が出ていくと、そこにイスラエルから来たという、頭に布のようなものを巻いた宗教者が一人立っていました。彼は、私たちに尋ねたんです。『腕に蝶のタトゥーをしている人はいますか』と」
訪問者は、「神のお告げに従って、ここまで来た」と話した。神の声が、こう命じたというのだ。
「中米のホンジュラスという国の刑務所に、とても辛い人生を送ってきた女性がいる。その女性の腕には蝶のタトゥーがある。彼女はまもなく子どもを産む。その女性と子どもを救いなさい」
あまりに突飛なジェシカの話に、私は同席していたフォトジャーナリストの篠田有史と思わず顔を見合わせた。こちらの戸惑いに気づきつつも、ジェシカはそのまま言葉を続ける。

イスラエルから来た宗教者が探していた、蝶のタトゥー。撮影:篠田有史
「私は驚き困惑しながらも、彼の前に進み出て、腕のタトゥーを見せてから『妊娠しています』と伝えました。すると、彼ははっきりと言ったのです。『あなたは神の望みに従い、男の子を産みます』と」
その約8カ月後、ジェシカは、刑務所の中で出産した。
「そうして生まれたのが、長男のダニエルです」
(つづく)