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連載

変革への闘い

「社会的連帯経済」への誘い9「豆乃木」 フェアトレードコーヒーで人をつなぐ

工藤律子(ジャーナリスト)

この連載をもとに再構成した書籍『働くことの小さな革命 ルポ 日本の「社会的連帯経済」』が、集英社新書より2025年2月に刊行されました!

 途上国の生産者・労働者と公正な価格で商品の取引を行い、その生活の向上や自立を支えることで、格差のない世界を目指す貿易の仕組み=フェアトレード。日本には、年間約130億円を売り上げる市場があるという。近年、市場は急速に拡大しており、コーヒーはトップランナーだ。フェアトレードコーヒーと10年以上関わってきた株式会社「豆乃木」(静岡県浜松市)代表の杉山世子さん(43)に、フェアトレードとの出会いや取り組みについて聞いた。

 

「豆乃木」代表の杉山世子さん。(浜松市の事務所にて)撮影:篠田有史

 

「一村一品運動」が原点

 杉山さんは、2000年から2006年までの間に計3年半、独立行政法人「国際協力機構(JICA)」の青年海外協力隊として、アフリカに滞在した経歴を持つ。
「英語がしゃべれるようになるし、海外へタダで行けるなら! と応募しただけなんですけど」
と本人は笑うが、結果的にジンバブエ、ケニア、マラウイの3カ国で活動することになる。最初の2つの国では、中学・高校時代にピッチャーとしてプレーしたソフトボールの指導員をしていたが、3カ国目のマラウイでは、「一村一品運動」を担う「村落開発普及員」として働くことになる。
「現地にある、一見何の変哲もないように思われるものの中に新たな価値を見出し、磨きをかけて、村を元気にする。そんな一村一品運動の考え方が好きで、自分でやってみたいと思ったんです」
 そうして半年間、現地の住民グループが、独自の技術や伝統を生かした商品を開発、販売するのをサポートした。村々を巡回し、状況を聞き、改善のための提案をする。そんな日々を送る中で、杉山さんは2つのことに気づく。1つは、自分の知識とスキルの不足。もう1つは、支援相手である現地の人々と自分の立場の大きな隔たりだ。
「専門家など、一緒に働くJICAのほかの人たちを見ていて思ったんです。彼らに比べて私は、協力隊の仕事を3年余りもしてきたのに、相手に自分の提案をきちんと伝えるために必要な知識やスキルを持っていない、と」
 住民に何か提案をする際、こうすればより良い効果が期待できるという体系立った説明ができないのは、大学で研究したり論文を書いたりした経験や知識がないせいだと感じた。と同時に、支援対象の人々は皆、木工細工や自然化粧品作りなど、自分で独自の生活手段を生み出そうとしているのに、支援をする側は雇用され、守られているということにも、違和感を覚える。
「自分たちは人に雇われていて、全然リスクをとっていない一方で、現地の人にはリスクをとらせている。なのに、私たちが‟支援している”ことになっているのは、おかしいと思いました。だから、自分は将来、ちゃんと独立するぞ、彼らと対等な立場で関わるぞと、起業を志すようになったんです」
 その起業の準備のために、28歳で大学進学を決意。入学したのが、慶應義塾大学総合政策学部だった。「1年生からゼミに入ることができたり、語学の集中コースがあったり、専門的なことをしっかり学べることが魅力」と選んだ先で、山本純一教授の研究室が進めていた「フェアトレード・プロジェクト(FTP)」と出会う。

 FTPは、21世紀に入って間もない頃、山本教授がメキシコ南東部のチアパス高地で先住民の村々の調査を行っていた際に、コーヒーの生産者協同組合「マヤビニック(先住民の言語ツォツィル語で、マヤの人、の意)」と関係を築いたことから、始まった。その頃、コーヒー産地として有名なチアパス高地では、グローバリズムの流れの中で、コーヒー公社が安定した価格で豆を買い上げる従来の制度が廃止される。その結果、生産者は、利潤追求を第一とする仲買人に豆を安く買い叩かれ、苦しむことになった。特に、自治を望む先住民を武力で弾圧する政府関係者によって家族を殺され、土地を追われた人々が設立した協同組合マヤビニックは、政府の補助金を拒絶し、経済的に追い詰められていた。フェアトレードに活路を求めていたのだ。そこで、2002年9月、山本教授は、フェアトレードを研究していた学生たちに、マヤビニックのコーヒーを日本とのフェアトレード商品にするための具体案を考えてほしいと持ちかける。FTPの始まりだ。
「私はFTPに関わった学生、最後の世代です」
と、杉山さん。山本教授によれば、FTPはその後の一時期、商社が関わるようになったことで、本来のフェアトレードのあり様から外れかけていた。それを、協力隊の経験を持つ杉山さんが加わる形で、JICAの「草の根技術協力事業」として立て直したということだった。ただし、杉山さん自身は、その時点ではFTPには「考え方に通じるものがあるから」程度の気持ちで関わっていたという。

フェアトレードで起業

 途上国に貢献する起業への情熱に突き動かされ、持っているスキルや経験、世の中が求めていることなど、様々な視点から、卒業後の起業の中身を考えていた杉山さん。自分の学生生活を振り返り、ふと、こう思った。
「待てよ。これってマラウイの時と同じかも。支援者みたいな立場で、リスクをとらずに一村一品運動をやっていたあの時と、軸足は自分の(一村一品運動の)研究に置いたまま、うっすらとコーヒーのフェアトレードに関わってきた今の自分は、似ているなぁ」
 そして、決心する。
「まずは今、自分の手の中にあるこのコーヒーのプロジェクトをしっかりやろう!」
 それが、「豆乃木」のスタートだった。

マヤビニックコーヒーは、メキシコからこの麻袋で送られてくる。撮影:篠田有史

 2011年3月の卒業と同時に、起業準備に入り、8月にはマヤビニックのコーヒーを販売するオンラインショップを開設。10月に、株式会社「豆乃木」を設立した。最初は、大学のある神奈川県藤沢市に拠点を置き、輸入自体は別の会社に任せ、自分は販売に専念する。
「私は、現地との連絡や交渉と、日本での販売を担当していました。マヤビニックの人と会ったのも、彼らが研修のために来日した時だけで、私はただコーヒーを売るために動いているだけの人、フェアトレードをサポートする人でした」
 杉山さんがそう表現するのは、フェアトレードは、現地の人たちと直接関わりながら商品を輸入販売し、生産者と輸入販売者と消費者が、互いに顔の見える形で取引する仕組みだと考えているからだ。フェアトレードをしている、と堂々と言えるようになったのは、コーヒー豆を完全に自社で直接買い取るようになった、2016年頃からだと話す。豆乃木の拠点も、2017年11月に「フェアトレードタウン」にも認定された生まれ故郷の浜松市に移した。
「メキシコの生産地に通い、生産者と話をし、豆の選別現場にも立ち会うようになりました」
 杉山さんがマヤビニックのコーヒーの販売を始めた頃、フェアトレードコーヒーは、品質が悪いというのが一般的な評価だった。国際協力や慈善の意味で購入する人はいても、おいしいから、と買う人はあまりいなかったわけだ。
「特にコーヒー屋さんは、そうでした。フェアトレードの話をすると、イコール品質隠しの言い訳、いいことしているから買ってくださいと言っているように思われていました。コーヒー屋さんが評価してくれるようにならないと広がらないので、品質向上が必須でした」
 そのために、杉山さんは現場へ赴き、生産者に消費者の声を伝えて、品質を良くする努力を求める。例えば、豆の選別の際に良い豆を示して、それと同じ質のものを揃えるよう、要求。生産者と、フェアで対等な関係を築いていった。すると、変化はすぐに起きる。
「こちらの気持ちが伝わったようで、豆の質がどんどん良くなっていったんです」
 現在、豆乃木では、メキシコから年間18トン前後の豆を輸入している。パンデミックが始まってからはネット販売が増加し、売上も伸びていると言う。

コーヒー畑で、(杉山さんに)木陰栽培の利点などを説明する組合員。(2012年2月)杉山さん提供

生産者の笑顔

著者情報

ジャーナリスト

工藤律子

くどう りつこ

1963年大阪府生まれ。東京外国語大学地域研究研究科修士課程在籍中より、メキシコの貧困層の生活改善運動を研究するかたわら、フリーのジャーナリストとして取材活動を始める。著書に『仲間と誇りと夢と』(JULA出版局)、『ストリートチルドレン』(岩波ジュニア新書)、『マラス 暴力に支配される少年たち』(集英社、開高健ノンフィクション賞受賞)、『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』(岩波書店)、『ルポ 雇用なしで生きる スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』(岩波書店)、『働くことの小さな革命 ルポ 日本の「社会的連帯経済」』(集英社新書)などがある。NGO「ストリートチルドレンを考える会」共同代表。

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