空爆から20年後の旧ユーゴスラビアを行く (1)セルビア編
木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)
日本はようやく2008年にオスロ条約に署名して、15年にはクラスター爆弾の廃棄を完了した。ただしアメリカ、中国、ロシアなどは条約を締結せず、現在も保有している。今年、コソボで空爆の祝賀式典が行われることを知ったカペタノビッチは、どんな気持ちになっただろうかと想像するだけで心が痛む。
ニシュのシュマトバチカ通りに立つと、かつてガレキの山となっていた地域はすでに整備されていて、20年前にここを救急車が走り回り、遺体が多く積み上げられていたとはにわかには信じがたい。しかし、紛れもなく、このストリートにも多くのクラスター爆弾が着弾していたのだ。あの空爆ではそれだけではなく、内部被ばくによる健康被害が報告されている劣化ウラン弾も多数撃ち込まれている。セルビア政府が回収や調査をしていたが、果たしてどこまで進んだのか。

現在のシュマトバチカ通りに戦争の痕は見えないが…
一泊したニシュのアパートのオーナーは「クラスター爆弾や劣化ウラン弾のことは、誰も言わないし、聞かない。もう無かったことにされている。20年が経って、我々ももう忘れるしかないな」と苦笑する。これこそ塵芥の声だ。伝えようとする意志や努力が無ければ戦争が風化するのは、あっと言う間である。
セルビアは今、かなりの中国資本が入って来ているせいか、やたらと中華料理店が増えた。ニクシッチビールと春巻きの夜食を取ってから、就寝。格安アパートメントは日本円で1泊約3000円。ニシュは首都ベオグラードと比べると物価は安いが、それでも副業をしないと庶民の生活は苦しいとアパートのオーナーは言う。セルビアの平均公務員給料は月250ユーロ(約30000円、1ユーロ=約120円)である。
「俺たちは数字ではない」
翌日、ニシュからバスに乗ってさらに南に下った。入ったのは、コソボとの国境近く、セルビア南部の都市ブヤノバツである。この町は人口の約6割がアルバニア人、4割がセルビア人。セルビア国内でありながら、人口比率は逆転している。それを理由に今、コソボ内でセルビア人が多数派を占める北ミトロビッツァと、このブヤノバツの領土交換というアイデアが浮上しており、米国政府も推奨している。もし領土交換が実現したら、それぞれの住民はパスポートや国籍を変更しなければならず、それが嫌なら移住するしかなくなる。人口比だけを根拠に、国境線さえ変えれば紛争は無くなると考えている政治家は、バルカン半島の民にとって祖先の土地を捨てることが、どんなに辛いことかまったく分かっていない。
カフェでくつろいでいたブヤノバツ生まれのセルビア人、ミオミル・ストイリコビッチにこの提案をどう思うか聞いた。
「俺はここに生まれて以来、51年ずっと暮らしている。今は家を持っているし、仕事も二つある。養うべき家族もある。領土が交換されたら、パスポートもセルビアからコソボに変わってしまう。セルビア国籍のままでいたければ移住するしかないが、ミトロビッツァには一度も行ったことが無い。いったいどうしてこの土地を離れられると思うんだ?もしもそんなふうに情勢が動くようなら、政治活動なんかしたことも無いが、反対運動に身を投じるしかないな。アメリカに分かって欲しいのは、俺たちは統計の中の数字ではないということ。俺たちは人間なのだ」
交流なくして民族融和はない
政治的に対立している民族を棲み分けさせるだけでは問題解決にならないのは、同じくアメリカのリチャード・ホルブルック国務次官補が1995年に推し進めたボスニア・ヘルツェゴビナの「デイトン合意」のその後を見れば明らかだ。ボスニアでは、ボシュニャク(ムスリム)、クロアチア、セルビアの3つの民族をそれぞれのエンティティ(自治構成体)に分けたことで当面の紛争は終結したが、民族間の文化や教育が交わることなく隔絶されてしまったために、若い世代ではむしろ互いへの憎悪のみが蓄積されてしまった。民族交流の無いところには民族融和は無いのだ。2018年10月のボスニア議会選挙、大統領選挙の結果を見ても、民族主義者が台頭し、分断傾向がさらに進んでしまっていることがわかる。
実際、このブヤノバツでは大きな衝突も無く、普通にセルビア人とアルバニア人が共存している。聞けばストイリコビッチは、紛争時はクライエボの軍事空港に兵士として務めていて、当時日本にもゆかりのある人物と交流があったという。
「俺が所属したその部隊に(イビツァ・オシムの息子の)アマル・オシムがいたんだ。いい奴だった」
そうか、51歳ということは、アマル(元ジェフ千葉監督)と同じ年齢かと思い当たった。若き日のストイリコビッチはプロサッカー選手でもあった。
「アマルは父のオシムで有名なジェレズニチャル。俺はブヤノバツのBSKというチームで1984年から94年までプレーしていた。BSKは今でもアルバニア人もセルビア人もロマも一緒にプレーしている」
ミロシェビッチが89年にコソボから自治権を剥奪すると、ユーゴスラビアリーグでプレーしていたコソボ出身のアルバニア人選手の多くはプレーをボイコットしてしまったが、ここブヤノバツではそれはなかった。それどころか、選手全員がアルバニア人というクラブも存在し、今もセルビアリーグで活動している。
ストイリコビッチは、現在、アルバニア人に対して、恐れや偏見はないのだろうか。
「そもそもUCPMBなんて連中が出て来たのも長いブヤノバツの歴史から見ればここ最近じゃないか」
UCPMBとは、近郊の町、プレシェボ、メドベジャを含めてこの地域を武力によってコソボ領土に併合しようと活動していたアルバニア系武装組織「プレシェボ・メドベジャ・ブヤノバツ解放軍」のことである(空爆終了後、2001年に解散を宣言)。いわばKLA(コソボ解放軍)がコソボから越境してきたようなものである。怖くないと言えば嘘になるが、それでもこの土地から離れる気はない。「UCPMBはテロリストだが、見てくれよ。こうして幼馴染のアルバニア人とは仲がいいじゃないか」
先ほどからストイリコビッチの横に座っている初老の男性はアルバニア人だった。ガシと名乗った。ガシも言う。
「俺たちはこんな小さな町で一緒の工場で働いて同じ問題を共有していた。問題とはひと言で言えば経済だ。それさえ持ち直せば……。ここがセルビアのままだろうが、コソボになろうがどうでもいいことだ」
領土交換というアイデアが実行されてしまえば、先祖の土地やアイデンティティーにこだわる両民族の分断はむしろさらに進んでしまうのは明らかだ。

ブヤノバツに暮らすガシさん(左)とストイリコビッチさん(右)
コソボとセルビアの和解は成立するのか
アルバニア人で、テレビ・ネットメディア「バルカン・アルジャジーラ」の記者をしているアゴン・イスラーミもまた、一部、ストイリコビッチやガシと同様の考えを示した。
「ブヤノバツに生まれ育ったアルバニア人として言うが、ここに住むセルビア人との対立は一度も無かった。数はアルバニア人が多いが、セルビア人とアルバニア人とロマが共存している町だ。私のアイデンティティー? 私はコソボでもアルバニア本国でもなく、セルビアのパスポートを持つ誇り高い『セルビア・ブヤノバツのアルバニア人』だ」
イスラーミは、領土交換よりも、セルビアとコソボの和解交渉自体が進んでいない状況にしびれを切らしている。
「空爆から20年経っているが、対立は凍結したままだ。例えばよくあることだが、北ミトロビッツァのセルビア人のところにコソボ警察が来て、何か嫌な思いをさせられたとする。すると報復のように、ここブヤノバツのアルバニア人のもとにセルビア警察がやって来て嫌がらせをする。二つの領土を交換すれば、こんなことはなくなるというのが建前らしいが、まるで私たちは領土交換のための人質のようなものだな」
イスラーミも当然、領土交換など、現地の生活を知らない馬鹿げたアイデアだと考えている。
「ただ、領土交換は別にしても、和解は絶対に必要だ。コソボ問題の解決なくしてはセルビアはEUに入れないし、コソボも国連に入れない。このままでは、セルビアもコソボも経済が改善しない。今ここの国営工場は全部倒産している状態だ。意地を張り合うよりも経済のことを考えないといけないのに、バルカン半島ではそれよりもナショナリストが大きな力を持ってしまう。だから、問題なのだ。コソボで真剣にセルビアとの交渉を考えているのは、ハシム・タチ(サチ)だけだ。他の閣僚は具体性が無い」

「バルカン・アルジャジーラ」の記者、イスラーミさん