性知識イミダス:「ジェンダー」について知ろう(後編)~「性別」とは何かという巨大な問い
イミダス編
(構成・文/加藤裕子)

ジェンダーの定義のうち「性役割」「性差」に重点を置いて、フェミニズムとの関係などを説明した前編に続き、後編では「性別」「性自認」を表す「ジェンダー」について考察する。人はなぜ自分を「男」「女」だと思う(思わない)のか、「ジェンダーレス」「オールジェンダー」とはどういうことなのか、「ジェンダー」をめぐる深い問いについて、加藤秀一・明治学院大学社会学部教授にうかがった。

加藤秀一・明治学院大学社会学部教授
* * * * *
「ジェンダー」が含み持つ意味のひとつ、「性役割」という側面についてうかがった【性知識イミダス:「ジェンダー」について知ろう(前編)~「ジェンダー平等」が目指すものは?】からのつづき。
「性別」とは、いったいなんなのか
――ジェンダーは「男」と「女」だけではなく、多様な性についての概念でもありますね。
ジェンダーとは、「男と女」という二元的な性別以外に、いわゆるLGBT(L:レズビアン/女性同性愛者、G:ゲイ/男性同性愛者、B:バイセクシュアル/両性愛者、T:トランスジェンダー)や、これらのどんなカテゴリーにも当てはまらない人々も含めた、もっと広い文脈で使われる概念です。ちなみに、LGBTと一口に言いますが、これは主に性的指向に関わるマイノリティ(L、G、B)と、主に性自認に関わるマイノリティ(T)がひとくくりにされた呼称です。LとGとBとT、それぞれに異なる背景や文脈があることを忘れないようにしましょう。
ジェンダーという言葉は、もともとは文法上の性別を表す英単語でした。たとえばフランス語には男性名詞と女性名詞があり、ドイツ語にはさらに中性名詞があります。そうした区別を示す文法用語だったのです。
1950年代から、ジョン・マネーやロバート・ストーラー(※)などが心理学や精神医学の方面からこれを転用し、人間にあてはめて使われるようになりました。そのきっかけとなったのは、単純な性別二元論にはあてはまらない、今日で言う性分化疾患を持つ人々や、自分の身体的な性別への違和感(性別違和)を抱く人々についての研究でした。
生物学や医学などの分野では、肉体上の性別のことを「セックス」(生物学的な性別)で表します。生物学におけるセックスの定義は、突きつめて言えば、卵(卵子)をつくる個体がメス=女性で、精子をつくる個体がオス=男性だというものです。これは、生殖を通じた進化のプロセスを明らかにするという生物学の目的に適った定義ですが、それをそのまま人間の個々人にあてはめて、「肉体のつくりによって“男性”か“女性”かが決まるのだ」、さらには「人間には男と女しかいないのだ」とする性別二元論で語られると、おかしなことになるのです。
仮に生物学的な性別の定義に単純に従うならば、無精子症の人や卵巣を摘出した人は男性でも女性でもないことになりますが、もちろんそんなことはありません。私たちは日々の生活の中で、「性別」という言葉をそんなふうには用いていない。実際には、「無精子症の男性」「卵巣のない女性」といった言い方をするはずです。これは一つの例に過ぎませんが、現実に生きる私たちにとっての「性別」という観念は、生物学的な性別の定義とは異なる次元にあるものなのです。
現在のジェンダー概念にはストーラーの影響が強く残っています。かれは、人々の「解剖学的な性」、つまり性器や生殖器の形状と、「男らしさ」「女らしさ」が必ずしも合致しない現実を前にして、肉体のつくりとは別次元にある、人間特有の広大で複雑な精神的・心理的領域に属するものとしての性別を示す言葉が必要だと考え、新たに「ジェンダー」を使うようになりました。
そこには、先ほど述べた性役割や性規範、あるいはファッションの嗜好といったものなど、「解剖学的な性」以外のさまざまな要素が含まれます。それが今日、「ジェンダー・アイデンティティ(性自認)」と呼ばれている概念につながることになったのです。
――「精神的・心理的領域に属する性別」がジェンダー・アイデンティティに通じるということですが、「性自認」の「性」は、どのように決まっていくのでしょうか。
これは、シンプルでありながら巨大で根深い問いだと思います。結論を先に言っておけば、誰もが納得する明快な答えはまだありません。
「ジェンダー・アイデンティティ」の最小限の定義としては、「当人が割り当ててほしいと思う性別」という抽象的な定義をしておくしかないと思います。つまり、多くの人は自分を男性として、あるいは女性として承認してもらいたい。あるいは「ノンバイナリー」や「Xジェンダー」と呼ばれる、性別二元論では表現できない性別だと感じる人もいれば、そもそも性別などないと感じている人もいるという話です。
しかし、「自分のことを男性だと思う」「自分のことを女性だと思う」とはどういうことなのでしょうか。よく誤解されるのですが、自分は女だ、あるいは男だと認識するということは、世間的な性役割や女らしさ・男らしさのイメージを引き受けたいということとイコールではありません。自分は男性だと認識しつつ、いわゆる女性的なファッションや言葉遣いを好む人もいます。こうした「ジェンダー表現」は、「性自認(ジェンダー・アイデンティティ)」とは区別されています。
さらには、これはレア・ケースではありますが、性自認が男性で女性の体を持ったまま、髭を生やし、乳房を切除する一方で、卵巣と子宮は残したまま、提供された精子を使って妊娠、出産した人がいます。このような人にとって、自分が男性であるという自己認識と、女性としての生殖機能とは矛盾せず、どちらも自分という存在の一部なのでしょう。
こうしたことを考えると、ジェンダー・アイデンティティという概念を突きつめて最後に残るのは、男性、女性という「記号」によって自分が承認されたい、あるいは逆に望まない「記号」を割り当てられたくはない、という感覚になるのかもしれません。その「記号」に何を求めるのかは、人によってかなり幅があり、けっして一様ではないのです。
同時に、記号や言葉はあくまでも社会的なものですから、アイデンティティとは単に「自分はこう思う」というだけで社会に通用するものではありません。社会の中、他者との関わりの中での自己の位置づけというのがアイデンティティの本来の意味です。日本語の「身分証明書」に相当するものを英語で「アイデンティフィケーション(ID)カード」と言いますが、それは社会におけるその人の位置づけを示す証拠書類ですね。そうした、人々の自己・自我と、それを作り上げている社会との関係の中でジェンダー・アイデンティティがどのように形づくられていくのか、そしてそこに生物学的な要因がどう関わるのかについては、まだまだわからないことが多いのです。
ひとつ大事な点を付け加えるなら、現在使われている「ジェンダー・アイデンティティ」という言葉の根本には、「トランスジェンダー」の当事者による権利獲得運動から生まれてきたという文脈があり、そもそもどこまで学問的に定義できるのか難しいところがあります。ジェンダーという言葉が使われ始めてから、数十年の間に急激な変化があり、運動もさまざまな立場に分かれ、次から次へと新しい言葉や概念が生まれている状態です。そうした中で、従来の言葉の使い方も流動的に変わり続けていると言えるでしょう。
当事者たちの「性」の表現は固定観念では捉えられない
――「ジェンダー・アイデンティティ」が「トランスジェンダー」の当事者運動から生まれてきたとは、いったいどういうことなのでしょうか。
まず、トランスジェンダー(Transgender)とは、肉体のつくりに応じて社会から割り振られた性別と、自分自身の性自認との間に不一致があるために生じる心理的葛藤(性別違和)を解消するために、自分自身にとって心地よい性別を手に入れたいと望んでいる人々、あるいは実際になんらかのやり方でそれを手に入れた人々の総称です。これに対し、特段の性別違和を感じていない人々を指して「シスジェンダー(cisgender)」と呼びます。