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性知識イミダス:インティマシー・コーディネーターってどんな仕事?(後編)~誰もが「イエス」「ノー」を言える環境をつくるには

イミダス編

(構成・文/加藤裕子)

 世界では「同意は大切だ」という認識が常識となりつつあり、『白雪姫』や『眠れる森の美女』の「王子による同意なきキス」についても疑問の声が上がっています。欧米では子どもに同意やバウンダリーについてわかりやすく教える本がたくさん出ていて、日本語でも読めるもので私も活用しているのは『国際化の時代に生きるためのQ&A④ 合意ってなに? なぜだいじなの?(ルイーズ・スピルズベリー/ヤズ・ネジャディ著、小島亜佳莉訳、創元社、2018年)です。日本でもこうした本がもっと増えていってほしいですね。

国際化の時代に生きるためのQ&A④ 合意ってなに? なぜだいじなの?』(ルイーズ・スピルズベリー/ヤズ・ネジャディ著、小島亜佳莉訳、創元社、2018年)

「阿吽(あうん)の呼吸で気持ちを察するのが日本文化だ」という声も聞きますが、そのままでは世界の流れに取り残されてしまうでしょう。リスキーな表現によって訴訟を起こされたり、作品が世に出せなくなったりする可能性もあるのですし、それで本当によいのかどうか、作り手の側にいる人たちには、ぜひ考えてほしいと思います。

日本にもっと「同意文化」を!

 ――「同意」が大事だという意識は、日本ではまだ根付いていないかもしれません。「嫌だ」と言えない力関係について「上」にいる側の自覚を促すにはどうしたらいいのでしょうか。

 ノーと言わないだけではイエスではないし、心からのイエス以外は同意ではない一度イエスと言ったことでも状況や気持ちの変化とともに変えていい、ということが浸透していないように感じます。

「自分に力なんてない」と思っている人もいますが、意思決定権や社会的地位だけではなく、年齢が上だったり、相手より経験があったりということも「力」に結びつくんです。インティマシー・コーディネーターという肩書だって、人によっては「力」に見えます。ですから、同意を求める側は、自分が加害者にならないためにも、常に「自分は力を持っているのかもしれない」「相手は望んでいないかもしれない」と考えて行動する必要があります

 セクシャルハラスメントや性加害への告発に対して、「あれは相手が自分を陥れるために仕掛けた“ハニートラップ”だ」と、告発した側を非難するような言葉を目にすることがありました。でも、ハニートラップだと主張するのは、自分に「力」があることを認めるようなものでしょう。「力」を持つ側ならば、自分の身を守りたければ「トラップ」に陥る状況を作らないようにしなければならないのです。誰かを食事に誘うときは皆と一緒に誘う、あるいは「行ける日があったら教えて」とだけ伝えて相手が「ノー」と言いやすい環境を作るなど、自ら配慮することが必要です。

 今、さまざまな企業等でハラスメント講習が行われているのは、流行でもなんでもありません。これは人権に関わる問題として、周知しなければいけないことなんです。「今までは何も気にしなくてよかったのに」とぼやく人は、それは誰かの犠牲の上に成り立っていたのだということに気づいてほしいですね。

 ―― 一方、「ノー」と言うことがなかなか難しい場合もあると思います。

 日本には、迷惑をかけてはいけない、人に好かれることが大事、空気を読め……そういう呪縛に囚われている人がとても多いと思います。子どものときから、要求にはなんでも「イエス」と返すのがいいことだ、と教えられてきたら、「ノー」と言いたくても、いろいろなことに忖度してしまって言えなくなってしまうでしょうね。

 私も、海外ロケのコーディネーターを始めた頃は、どんなに無茶な要望を出されてもすべてにイエスを言うのがプロだ、と教わりましたし、自分自身もそう思っていた時期がありました。確かに指名されることは増えましたが、その分、現地に迷惑をかけていたり、いろいろなところに歪みが出てきたりということが重なっていき、板挟みの苦しさを感じることも増えていきました。

 そんなとき、アフリカでのロケで、芸人さんが危険な野生動物に近づくというシーンの撮影を前に、その方から「本当に危ないときは止めてほしい。それができるのはももこさんしかいない」と頼まれました。おそらく、「怖いからできないと言ったら、がっかりされる、もしくは今後仕事が減るかもしれない」と思い、制作側には言えなかったのでしょう。それを聞いて、「これではいけない、コーディネーターが善悪のボーダーラインを守らないと、誰かが事故に遭う可能性もある」と、目が覚めたような気持ちになりました。

 エンターテインメント業界では、その芸人さんのように仕事への影響を恐れたり、「下」の立場からノーと言ってもいいのかと心配したりする人は少なくないと思います。でも、欧米の現場ではどんなに小さい役の人でも「ノー」とはっきり意思表示をすることに慣れているように感じました。なぜなら、それは誰もが持っている権利だからです。「ノー」と言われた側は、「どうしてダメなんだ?」などと問い詰めず、ダメなものはダメだと受け入れ、別の方法を模索してほしいですね。

 とはいえ、いくら権利だと言われても、それまで「ノー」と言ったことがない人が声を上げるのは本当に大変なことだと思います。たとえ声を上げられなくても自分を責めないでほしいですし、悪いのは声を上げられない環境を作った方、つまり「力」を持つ側の責任です。

 私も、少しでも「ノー」が言いやすくなるよう、他の人がいる場で俳優に「できますか?」と聞かないようにしています。監督やプロデューサーがいるところで「できない」とは言いにくいでしょうし、ふたりの俳優に同時に聞いてどちらかが「なんでも大丈夫、気にしないです」と言ったら、その瞬間に、もうひとりはたとえ嫌なことがあっても言えなくなってしまいますから。

 ――「ノー」と言うことも言われることも、慣れていかないといけないのかもしれません。

 日本では「ノー」と言われることをパーソナルに捉えすぎだと思います。「ご飯行かない?」「この仕事お願いできる?」と訊いて「今日は無理」「今回はできません」と断られたら、「じゃあ、また今度ね」と言えばいいだけ。何かに対しノーと断られたり、反対意見を言われたりすることに対し、自分の人格すべてが否定されたように感じてしまう人もいます。でも、「ノー」と言われているのはパブリックな場所でのある行為、またはある仕事についてなのですから、パーソナルな領域とはきちんと切り分けた方がいいですね。

 同意を取ることは大切だという世界的な流れがある中で、私たちもやはり変わっていかないといけません。私ができることはほんのわずかですが、自分の周囲の半径5メートルだけでも「同意を取るのは当たり前だよね」という意識になれば、その輪もやがて広がっていくでしょう。そのためにも、インティマシー・コーディネーターという仕事の存在意義を、もっと多くの人に伝えていきたいと思っています。

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