性知識イミダス:「ミソジニー」とは何か~(後編)過激化するミソジニーを止めるために必要なこと
イミダス編
(構成・文/加藤裕子)
――新しい規範を作るということでは、イギリスで、2026年9月からミソジニー防止教育を導入することが決まりました。背景には、ネットフリックスの話題ドラマ『アドレセンス』の主人公のように、ネットの影響で青少年の間にミソジニーが広がり、言動が過激化している状況への危惧があったと言われています。この防止教育では、インセル文化やポルノとミソジニーの関連等を学び、男子が「良いロールモデル」をみつけられるようにするとのことですが、日本でも同様の試みが必要ではないでしょうか。

ドラマ『アドレセンス』(2025年)より。右はクラスメイトの少女を殺害した容疑に問われた13歳の少年、ジェイミー
イギリスの事例はかなり先進的と言えますが、前提として、こうした教育を可能にする社会が存在しているということが大きいと思います。もちろん、イギリスでも男女平等が完全に達成されているわけではありません。それでも、日本に比べれば女性の社会進出は進んでおり、「女性を差別してはいけない」という意識はずっと強く根付いているでしょう。日本でも、ミソジニー的な行為を見聞きしたらまずはそれをミソジニーだと名指しし、それが構造的差別を生み出しているという認識を広めつつ、ミソジニー的な行為が人として恥ずかしいことなのだという感覚を育てていく努力が必要です。
また、少し抽象的な話になりますが、社会やコミュニティは人間によって構成され、共有されているという感覚が浸透しているということも、市民社会の歴史が長いイギリスと日本の大きな違いかもしれません。というのは、ミソジニーは女性を人として扱わないことを前提としているわけですから、逆に言えば、どのような性別であってもその人をちゃんと人とみなすならば、ミソジニーは起こらないはずなのです。たとえば、現実に対面したら口から出ないような暴言をネットに書き込む行為は、その言葉をぶつける先に、生身の人間がいることを想像しないからできることでしょう。「相手を人として見る」ことは、ネットが生活の一部となった現代において、忘れてはならないと思います。その文脈で重要となってくるのは包括的性教育で、自分も相手もひとりの人として尊重することを学び、そうした感覚を子どものうちから育てていくことを、日本でも行っていくべきだと思います。
身近な例としてもうひとつ、家庭内の「名もなき家事」の問題を挙げておきましょう。家の中で脱ぎ散らかした靴下を誰が洗濯カゴに入れているのか、流しに無造作に置かれた食器を洗うのは誰なのか、そうした細々した家事を担っている人を尊重する気持ちがあれば、靴下や食器をちゃんと片付けるようになるのではないでしょうか。これは単なる家事の分担ということではなく、家族であれ社会であれ、生身の人間の努力と労力で維持されていることを想像できるか、という問題だと思います。
そうした想像力を持ち、私たちが生きている社会は人間同士の関わり合いによって成り立っているという、あたりまえのことをちゃんと了解できるかどうか。非常に根本的なことですが、案外、そういうことがミソジニー解消の鍵になるのかもしれません。