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連載

保守思想入門

第9回 ウィトゲンシュタインと保守思想――語り得ないものとしての「伝統」 

浜崎洋介(文芸批評家)

Ⅴ ウィトゲンシュタインと保守思想――「生き方」の思想に向けて

 最後に、ウィトゲンシュタインと保守思想との関係、つまり、保守思想から見た「ウィトゲンシュタイン、その可能性の中心」について、簡単にまとめておきたいと思います。
 それは、「論理」(合理と規則)と「懐疑」(自由と無秩序)とのあいだにあって、人は「慣習」をこそ支えにして生きているという認識です。実際、これまで論じてきた、オークショット、バーク、T・S・エリオット、ベルクソン、ハイデガーの思想は、「意見の一致」ではなく、「生活形式の一致」にこそ、己の基礎を見出してきたのではなかったでしょうか。つまり、保守思想とは、まず何よりも、政治イデオロギーより手前にある「生き方」、他者との付き合い方や折り合い方、己の意地の通し方や諦め方といった、私たち固有の振る舞い方のなかに、共同性の基盤を見出そうとする思想だということです。
 さらに言えば、その「生活形式」が、自分を超えたものとしてある以上、それを守る行為は、「博物館の何百カラットのダイヤ」(三島由紀夫「文化防衛論」)を守るような行為――〈語り得るもの=文化遺産・靖国・天皇〉の意味=規則化への固着――ではあり得ません。伝統の精髄は、私たち自身の〈語り得ないもの=歴史・文化〉が醸成する「生き方」によってべきものとしてあります。それは「自然」に促されえた個々人の身体的反応を、その国と時代によって作り上げられた文化(自然誌)のなかに包みこみ、洗練し、方向づけ、それを自分たちの無意識の「息遣い」として引き受けることです。
 そして、その「生き方」の中心にあるもの、それが、私と他者とを繋げ、その関係のなかに宿る「先入見」(バーク)や、「直観」(ベルクソン)や、「先了解」(ハイデガー)や、「生活形式」(ウィトゲンシュタイン)を齎す「言葉」だったのです。ここで、ふたたびハイデガーの言語論を想い出しておきましょう。ウィトゲンシュタインと同じくハイデガーもまた、一つの詩句――『すべての山の頂きに静けさがある』に面して、それを「どう書きかえてみても、うまくいかない」ことを強調していたのではなかったでしょうか。ハイデガーは言います、「註解において、あれこれと迷い、ためらい、ついには註解をまったく断念して、ただその語句をもう一度繰り返し口誦するということは、なんとしても注目すべきことではないか」(「ヨーロッパのニヒリズム」)と。
「死」に面して、全ての「意味」(ハイデガー的に言えば道具連関)からこぼれ落ちてしまった単独的な実存が、しかし、それでも最後に自分の足元に見出すもの、それが「共同体」と「歴史」であり、その二つを己に引き寄せて感受することを可能にさせる民族の「言葉」でした。しかし、それなら「言葉」は、やはり解釈されるべき規則(論理)でも、単なる恣意的な記号(意味の戯れ)でもなく、それ自体が「語られずに、示される慣習=生活形式」であり、なお、過去と現在とを繋ぐ「文化共同体」において、私たちに一つの〈落ち着き〉を見出させる「全体感」の異名だと言うべきではないでしょうか。それは、解釈されるより前に、味わわれ生きられるべきものとして存在しています。

 しかし、ウィトゲンシュタインが言うように、私たちの思考が、私たちの〈生活形式=文化〉の外に出ることができないのであれば、本論も、そろそろ自分自身の〈生活形式=文化〉であるところの「日本」へと帰ってくることにしましょう。
「近代主義」(個人主義、自由主義、進歩主義)に対する抵抗のなかで見出された保守思想、そして、「近代思想」(合理主義と科学主義)との格闘のなかに紡がれてきた現代思想の帰結が共に、「時効」(バーク)や、「正統」(チェスタトン)や、「文化」(エリオット)や、「純粋持続」(ベルクソン)や、「運命」(ハイデガー)や、「生活形式」(ウィトゲンシュタイン)だったのであれば、それらの議論を正面から受け止めてきた本論もまた、行為遂行的に自分自身の「持続」へと帰っていくべきだと思われます。
 次回以降、日本、特に近代日本の思想に焦点を定め、「保守思想」の行方を見届けておきたいと思います。長い旅になりますが、引き続きお付き合い頂ければ幸いです。

著者情報

文芸批評家

浜崎洋介

はまさき ようすけ

1978年埼玉生まれ。雑誌『表現者クライテリオン』編集委員。京都大学大学院特定准教授。2022年『小林秀雄の「人生」論』(NHK出版新書)で、第31回山本七平賞奨励賞受賞。そのほかの著書に『福田恆存 思想の〈かたち〉イロニー・演技・言葉』(新曜社)、『反戦後論』(文藝春秋)、『三島由紀夫 なぜ、死んでみせねばならなかったのか』(NHK出版)、『ぼんやりとした不安の近代日本』『小林秀雄、吉本隆明、福田恆存――日本人の「断絶」を乗り越える』『日本人の「作法」 その高貴さと卑小さについて』(いずれもビジネス社)がある。

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