第7回 国を愛するってどういうこと?(後編)
川口好美(文芸批評家)
内村さんも、その説明に納得していました。1894年に書かれた「日清戦争の義」という文章では、清を「世界の最大退歩国」とまでいっています。そんな清から朝鮮を守ってあげよう、というわけですね。さいごは、この戦争の目的は、清を壊滅させることではなく、目覚めさせることだ。日本と清が協力して「東洋の改革」に取りかかり、「永久の平和」を目指すための戦争なんだ、と力説しています。※6
でも、日清戦争に勝利した日本は、朝鮮にたいする清の影響力を弱めるだけではなく、清にたくさんの賠償金を要求し、領土を割譲(戦争で負けた国が領土の一部を他国に与えること)させました。結果を見れば、朝鮮を清から守るというのは口実にすぎなかったことがわかりますよね。
ですが、日本の人々はそんなことにはかまわず、勝利の喜びに酔いしれました。これで自分たちも、西洋と肩を並べる近代国家の国民になれたんだ、という優越感がありました。そこには、日本より出遅れた他の国々を見下す気持が含まれていたかもしれません。
その後、日本政府はドイツ、フランス、ロシアの勧告に従って、一度獲得した遼東半島を清に還します。「三国干渉」と呼ばれる出来事ですね。日本の人々は、犠牲を払って得た利益を手放すこの決定に怒り、政府の責任を追及しました。これをきっかけに、〝議会がきちんと国民の意見を代弁してくれないせいで、国が勝手なことをした〟と考える人が増え、かぎられた金持ちだけではなく、みんなに〝平等〟に投票権が与えられる選挙を実施しようとする動きが広がっていきます。
でも、日本人のあいだの〝平等〟が大切だと思うのなら、同時に、日本人は外国の人々を〝平等〟に扱わなければならないはずです。戦争に勝ったからって、他人のお金や土地を手に入れるのは当たり前なのでしょうか。誰だって、自分がそんなことをされたら嫌なはずです。しかし、ほとんどの日本人は、自分たちの矛盾に気をとめませんでした。さらに日本の政府は、ロシアにたいする国民の敵対心をあおりました。人々の不安や怒りが、外国に向くように仕向けたのですね。この流れが、日露戦争につながっていきます。内村さんは、攻撃的な愛国心のうねりを見て、「不敬事件」で自分を襲った日本人の〝浅い〟怒りを思い出していたはずです。
日本の矛盾に気づいた内村さんは、日清戦争を「義戦」=ただしい戦争だと信じていた自らの誤りを批判し、反省しました。しかし、大多数の知識人は、そうではありませんでした。たとえば、最近まで一万円札に描かれていた福沢諭吉さんは、はじめのうちは朝鮮が自分自身で改革を進めるほうが良いと考えていたものの、その後は戦争を支持する意見を表明して、世論に影響を与えました。福沢さんは、日本の独立が何より重要だという考えから、戦争によって国が一つになることを優先したのです。外側への敵対心をエネルギーにして、内側が強くまとまる。福沢さんは、そのような愛国心の特徴を利用したのですね。※7
〝平等〟は明治の人々の理想でした。でも、こうしてその理想は、他国の人々の〝自由〟を踏みにじる、排外的なナショナリズムと結び付いてしまったのです。