第7回 国を愛するってどういうこと?(後編)
川口好美(文芸批評家)
〝日本は、この十数年のあいだに、台湾、樺太、満洲、朝鮮を獲た。しかし、たくさんのものを獲た日本は、「霊」という面では多くを失った。〟※8
内村さんは、「朝鮮国と日本国」という文章に、このようなことを書きました。また、日本が朝鮮を正式に支配下に置いた時(韓国併合、と呼ばれています)には、「領土と霊魂」という文章で、つぎのように嘆きました。
〝もし、全世界を獲たとしても、「霊魂」を失ってしまったらなんの意味があるだろうか。どれほど領土が増えても、「霊魂」を失ってしまったら、自分はどうすればいいのだろう。ああ、どうすればいいのだろうか。〟※9
どちらも、日本が他国を侵略し、利益を得ていることを批判したことばですね。
誰かに悪いことをしたら、相手だけでなく自分自身も傷つき、ほんとうに大切なものが損なわれてしまう。これはたしかです。キリスト者である内村さんは、大切なものを「霊」や「霊魂」と表現しましたが、シンプルに〝心〟と言いかえても良いでしょう。でも、内村さんのことばは、日本の人々に自分の愛国心を反省してもらうには、ちょっと弱々しくて、抽象的だと感じませんか。
そうなった理由の一つは、当時の日本では、国をはっきり批判するのがとても危険だったからです。逮捕されるだけでなく、処刑されるおそれがありました。でもそれ以上に、内村さんが、日本に、日本人に、深く深く〝絶望〟していたことが理由ではないかと、わたしは思います。ある文章で内村さんは、日本人はみんなが愛国者で、そのほとんどが政治家だ、だから日本人はキリスト教を信じられないんだ、と見放しているほどです。※10 そう書いたのは、1904年。愛国者になろうと決意してアメリカに渡った20年前とくらべて、内村さんの態度はこんなにも変わっていたのです。
そのため内村さんは、日本が東洋と西洋の架け橋になり、キリスト教を世界中に広める使命を神から託されているという考えを、捨てなければなりませんでした。もともとキリスト教には、神がイスラエルの民を選び出したという発想がありました。内村さんはそれを日本にも当てはめて、この国にもきっと特別な使命があるはずだ、と想像したのですね。しかし内村さんは、日本という国や日本人を特別視するのを徐々にやめていきました。日本国民であることより、〝自由〟で〝平等〟な「平民」であることがよっぽど大事だ、と考えるようになりました。※11
では、国を愛する気持は無くなったのでしょうか。
そうはならなかったのが、内村さんの面白いところなんです。
年をとった内村さんは、人生を振り返って、自分は「二つのJ」を愛した、と語りました。「二つのJ」とは、日本(Japan)と神(Jesus)です。やはり内村さんにとって、日本は神と並ぶ大切な存在だったのです。※12
みなさんは、自分が生まれる場所を自分で決めたわけではありませんよね。生まれた家、土地、家庭、環境……。こうした大切なものを、ひとは人生のスタート時に、何一つ選べません。一生の中で、自分で選べるものよりも選べないものの方が多い。それはこの先もっと科学が発達しても、変わらないでしょう。
ジャパンもジーザスも、内村さんが自分の意思で選んだわけではなく、偶然出会ったものだったことが、重要なポイントだと思います。日本という近代国家が誕生した激動の時代に立ち会ったのも、入学した学校でキリスト教を信じはじめたのも、どちらも偶然でした。
ですので、「二つのJ」を愛するっていうのは、偶然出会ったものを愛する、自分で選んだわけではなくても、いつの間にか外側から自分の中に入り込んで来たものを大事にする、ということなのではないでしょうか。そういうものが、自分をつき動かす、勇気の源になってくれる。だからこそ、出会った人や、ものや、出来事や、環境を、しっかり受けとめなければならないんだ。
国としての使命なんかない。特別な国民や民族なんかない。でも、自分が今ここで生きていること、あなたが今そこで生きていること、そしてわたしたちが出会ったこと、それには特別な意味がある。すべての偶然の出会いに、特別なミッション(使命)があるんだ。
そんな想いがあったから、内村さんは日本を批判しても、完全には見捨てなかったのでしょう。それが、国を愛する内村さんの気持でした。
日本が戦争に突き進むにしたがって、心の中にひきこもり、現実から目をそらすキリスト教徒が増えていきました。宗教には、現実に関わりのない価値がある。そう思わないと、世界が理想のすがたからどんどん離れることに、耐えられなかったのです。それはある程度、内村さんにも当てはまります。内村さんも、現実への期待を失いつつありました。ですがそれでも、内村さんは、現実は現実、宗教は宗教、と分けませんでした。〝政教一致〟、つまり、信仰にもとづいて現実を変えることが必要だ、という意見を貫いたのです。
「神は絶対的個人主義を認め給はない」。このことばが、内村さんの考えをよく言い表しています。※13 どんなひとも、たくさんのものに偶然出会い、たくさんのものを偶然与えられている。その結果、今の自分がいるんだ。だから、一人の力では何かを信じることなんかできないし、すべてを投げ出してゼロから何かをはじめることもできないんだ。出会った人々と共に、与えられた環境を少しずつ良くしていくしかないんだ。個人の価値を誰よりもよく知っていた内村さんが、でも人は一人じゃないと言い切ったことに、わたしは励まされます。
当たり前のことかもしれません。でも絶望した時や不安な時には、どうしても忘れがちですよね。内村さんが、ぎりぎりまで日本の侵略から目をそらさず、批判し続けられたのは、偶然の出会いを大事にする気持が、とても強かったからなのでしょう。
ここに、これからを生きるわたしたちが、ナショナリズムと付き合っていくためのヒントがある気がします。