日本の大衆にとって〝知〟とは何だったのか?―タイパ・コスパ時代の「教養」と「修養」後編
(構成・文/イミダス編集部)
絢子 新渡戸は、この風潮がよくないと思っていました。「修養」は金銭的・社会的な成功に直結するわけじゃないと。その前に、日常生活や生き方を見つめ直すことが大事だということを『実業之日本』で書いているんですね。職場での目上の人との付き合い方だったり、休暇の過ごし方、いつもニコニコしていなさいとか、読書の方法を指南していたりと、彼の修養論はいまのハウツー本とそんなに変わりません。日常的なエピソードが多く盛り込まれていて、エリート知識人が書いたとは思えないような親しみやすい内容です。
真幸 新渡戸ぐらいの世代までは、やっぱり江戸時代の「教養」をよく知っているんですよね。そのあとの、江戸時代の文化・規範などを知らない世代は、真っ新な状態から学ぶしかない。必死に横のものを縦に翻訳して本を読んできた。そうしていると、大正時代以降から、外国の思想にかぶれて「素朴な日本の道徳心じゃダメなんだ」と言う若者が出てくる。さらに時代が進むと、よく内容がわからないのに「カントの定言命法によれば~」みたいに話す若者が出てくる(笑)。
絢子 新渡戸は当時のエリートが行く一高(第一高等学校)の校長でしたが、そこで新渡戸の薫陶を受けた和辻哲郎や、阿部次郎、安倍能成たちが「文化人」「教養人」として読むべき書や身につけるべき知を積み上げていき、それが「大正教養主義」につながってくるんですね。
真幸 考えてみたいのがそのあとです。それだけ、エリートが外国のものを取り入れて「教養」を築いていくのに、昭和の始まりに天皇制を奉ずる超国家主義のイデオロギーが出てくる。それを主導したのもエリートですよ。
さっき吉本の話をしたので、思い出したんだけど、吉本が最初に出した作家論でもある『高村光太郎』(1957年)に印象的な場面が描かれていて、これは僕も実感としてよくわかる。吉本は、高村光太郎がフランスに留学したときの日記に注目する。その中身は、高村がパリに滞在していたときに、そこで知り合ったフランス人の女性とデートの約束をする。「ネアン」というカッコいいカフェで会うことになった(笑)。そのカフェで女性と会おうとするときに、日本にいるお父さんから手紙が届いた。お父さんというのは、彫刻家の高村光雲ですね。光雲もエリートなんだけど、光太郎からすると江戸の職人みたいなイメージがあるんです。だから、光太郎には光雲を超えて、西洋の大芸術家になりたいみたいな野心があった。手紙には、息子を心配した内容が書かれている。「身体を大切にしなさい」みたいなね。それを読んだ光太郎は落ち込む。なんか日本にいる白髪のお父さんの顔が浮かんできちゃう。それで、デートする気持ちが萎えちゃって、急いで彼女にキャンセルの電報を打つエピソードを紹介しているんです。光太郎からしたら、パリにいて、一流の芸術家のつもりでいたのに(笑)。
絢子 せっかく、パリまで来たのに日本を思い出しちゃったんですね(笑)。
真幸 そうなんですよ。光太郎はやっぱりパリの人になれないということに気づく。その留学のあと、光太郎は日中戦争をきっかけに、「日本はすごいんだ」みたいなイデオロギーに染まって戦争に積極的に協力していくんです。
絢子 西洋の「教養」と日本の「教養」は、圧倒的に違いますよね。洗練さや文化的基盤の上に成り立っている西洋の教養に対し、日本の教養というのは、一生懸命、西洋の翻訳書を読む、「読むべき書」とされる岩波文庫を読むみたいに、努力による習得といった「修養」に近い部分がありますね。苦労して身に着けるものという感じです。だから、田舎から上京してきて一生懸命がんばって教養人になっても、やっぱり田舎のお父さんから手紙が来たら、高村光太郎のようについ、そちらに意識が向いてしまうというか……。
真幸 高村光太郎ですらそうなんだからね。

『少女倶楽部』の付録『私の修養日記』(昭和14年6月)(左) 『実業之日本 臨時増刊 処世大観』(明治38年4月)(右)
絢子 がんばって「教養」を身に着けた結果、それを身に着けていない田舎にいる両親や大衆との距離が開いてしまう。そうなると、さきほどの「転向論」の話と同じで孤独になり、何かのきっかけで「お父さん」「天皇」「日本」みたいな大きなものにすがるようになっていくのかなと思いました。
真幸 おっしゃる通りですね。やっぱりヨーロッパでは、「教養」がネイティブなものという感じですよね。身に着けると言うより、すでに確固とした地盤がある。フランスのピエール・ブルデューが『ディスタンクシオン』(1979年)で分析したように「文化」や「教養」が階級的なものに限定されていたりする。それはそれで不自由なので、どうかとも思いますが、生まれたときから「教養人」で、彼らはまったく大衆的なものと分離していたりする。日本の場合「教養」はゼロから身に着けるものですからね。
著者情報
社会学者
大澤真幸
おおさわまさち
1958年長野県松本市生まれ。
東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。『ナショナリズムの由来』(講談社)で毎日出版文化賞を受賞。『自由という牢獄』(岩波書店)で河合隼雄学芸賞を受賞。他のそのほかの著書に『世界史の哲学』シリーズ(講談社)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『自由の条件』(講談社文芸文庫)、『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(角川書店)、『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)、『社会学史』(講談社現代新書)、『経済の起源』(岩波書店)など。現在、月刊個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』を刊行中。
社会学者
大澤絢子
おおさわあやこ
1986年、茨城県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒業、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了、博士(学術)。龍谷大学世界仏教文化研究センター、大谷大学真宗総合研究所博士研究員などを経て現在、日本学術振興会特別研究員(PD)・東北大学大学院国際文化研究科特別研究員。専門は宗教学、社会学、仏教文化史。著書に『親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか』(筑摩書房)『「修養」の日本近代 自分磨きの150年をたどる』(NHKブックス)。共著に『知っておきたい 日本の宗教』(ミネルヴァ書房)、『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館)がある。