民主主義って何だろう? 大胆にも、宇野先生に聞いてみた。【前編】
宇野 そこでトクヴィルはニューイングランド、ボストンあたりに足を伸ばします。そこで「タウンシップ」という地域の自治体に行ってみたんです。すると地域のおじさん、おばさんが意外と話せる。さっきの僕の話じゃないですけど、「すごい人たち」に出会っちゃった。「なんでこの人たち、こんなに自分の地域のこと、政治のことを語れるんだろう」と思ったら、地域の問題を自分たちで解決しているからだってトクヴィルは気づく。住民たちは決して学があるわけでもない普通の人たち……。だけど、この地域にはこういう問題があって、自分たちはこうしていると、とくとくと語るんです。それを聞いてトクヴィルは、「ひょっとしたら民主主義っていいものかもしれない」と思う。祖国のフランスでは、革命は成功したけれど基本的に中央集権の国で、何ごとも全部パリで決めてしまう。自分たちで解決するなんていう習慣はない。そうすると結局、政治なんて自分には関係ないことになる。
和田 誰かがやってくれるんじゃない? と、お任せになっていたんですね、フランスでは。
宇野 トクヴィルは思うんです。自治のあるアメリカの民主主義は、超すごい人はいないかもしれないけれど、「どうせ中央の誰かえらい人が決めるんだろう」と投げやりな思っているフランスより、はるかに人のエネルギーを引っ張り出す政治体制だ、と。「自分が当事者なんだ」という意識を盛り上げて人の力を引き出す民主主義を認め、「問題があるとしても、デモクラシーに向かって人類は進んでいる」と考えて、そして書いたのが『アメリカのデモクラシー』です。
トクヴィルは、「自分たちの地域の問題を自分たちの力で解決する経験が人に自信とエネルギーを与える。あるいは人のエネルギーを引き出す。そういう仕組みは素晴らしいものだ」と考えました。
和田 それがトクヴィルのデモクラシー、民主主義の「原型」なんですね。民主主義と言うと、国家という大きいドーンとしたイメージが浮かび、地域になかなか結びつかないし、結びつけてこなかったけど、地域の小さな問題から始まるのが彼の民主主義なんですね。
宇野 思い出してください。『民主主義とは何か』では、古代ギリシアから話を始めています。古代ギリシアってすごいなと思うのは、「話し合いに基づいて政治を決める社会」を徹底したんですよね。奴隷はいたし、女性は参政権がないとか大きな問題もあるんですが、少なくとも男性市民に関してはすべての市民が集まって発言するのが重要だったんです。
「イセゴリア」という言葉が当時ありました。自分で声を上げる。発言する。それを人に聞いてもらう。その上で決まったことは自分の考えどおりとは限らなくても、自分も声を上げ、議論に加わり決めたんだから、責任を持って従うというシステムのことです。僕は、これが民主主義の「原型」だと思うんですね。
和田 「イセゴリア」を宇野先生の本で読むと、「平等な発言権 」とありました。誰もが等しく発言する権利を持つことですね。
なるほど、イセゴリアな古代ギリシアが民主主義の原型で、しかし、民主主義は多数者の声ばかりが大事にされるのでダメダメだと悪口を言われ続け、やっとトクヴィル君の時代に身の回りの問題を自分で解決して自信をつけて生きていく! こと。それが民主主義だ! となってきたんですね。簡単に言うと。
宇野 あと、もう一つ。近代になってからは議会ですね。
和田 あ! 議会制民主主義ですね。
宇野 議会を開いて、議会の力で王様に対抗する。これはこれで大切なことだと思いますが、元々の起源は身分制議会で、貴族や聖職者の代表が集まって王権を抑制するという趣旨でした。それが後に、議会は国民の代表なんだと読み替えることによって、これも民主主義だとしました。でも、選挙で議会へ代表者を送り出し、その代表者が議論して決めるって本当に民主主義なのかな、と思いませんか? 古代ギリシアでは、自分も議論に参加して納得することが民主主義でした。それが投票だけをして代表者を決めても、リアリティを感じることが難しいですね。僕らは今日、民主主義と言うと、選挙だ、議会だとしていますが、自分たちの力で社会を変えている、社会を動かしているという実感があるかと問われたら、ないでしょう?
和田 ないですね。だから選挙に行かない。投票率はどんどん下がるばかりです。
宇野 行かない。「あなたの声を代表している」と言ったって、自分の意見なんか誰も聞いちゃくれないと感じる。なのに、自分はなぜ社会のことを考えなきゃいけないんだ? と感じるのも無理はない。
トクヴィルも古代ギリシア的な民主主義なんか、近代社会にはないと思っていたのですが、意外なことにアメリカの田舎町に見つけられた。だから地方自治こそが、民主主義の古代のイメージを継承していると言えるんですね。選挙とか、政党とか、議会制というのは、必ずしも民主主義というものの肌触りや手応えみたいなものを伝えていない。普通の人が民主主義というものに対して「そうだ!」と思える機会があるとすれば、やっぱり地方自治が大事になります。そして、僕が理屈でそう考えてきたことを実践している人たちに、「チャレンジ!! オープンガバナンス」で、大勢出会えたんです。
和田 宇野先生は「チャレンジ!!オープンガバナンス」に出合って、身近な問題を自分たちで解決する力こそが、民主主義の可能性だと実感されたんですね。まるでトクヴィルがアメリカで「タウンシップ」に出合ったときのように。
宇野 実感しました。ですから、今回の本でようやく、民主主義を語る言葉にリアリティが出たんじゃないかなと思います。

『自分で始めた人たち 社会を変える新しい民主主義』(大和書房)と『民主主義とは何か』(講談社現代新書)
民主主義の言葉とリーダーの在り方
和田 『自分で始めた人たち』の中に、里親制度の子育て支援をしていく女性が、自身がリーダーになるかならないか悩むエピソードが出てきます。民主主義とはみんなで話し合って決めるものだとしたら、リーダーというのは必要なのか?と、ふと疑問に思いました。もちろん総理大臣とか区長とか、どこにでもリーダーはいるんですが。民主主義におけるリーダーとは、何だろう?と。
宇野 非常に難しい質問ですね。民主主義にリーダーは要らないという考え方もあると思います。ですが、僕は民主主義とリーダーを立てることは別に矛盾しないと思っています。なぜかというと、みんなが発言したいとなると当然、議論が混乱しますよね。みんなに発言の機会を与えるようにするのが、リーダーの大切な役割です。古代ギリシアについて研究したフィンリーという歴史家がいるんですが、彼いわく、古代のギリシアの政治リーダーって今に比べるとたいへんだったというのです。
和田 どうしてですか?
宇野 例えば今の総理大臣であれば、行政を担う官僚がいる。もし言うことを聞かない人がいたら、警察だってある。古代ギリシアには官僚もいないし、警察もないし、何もないんです。何があるかと言えば、言葉だけ。言葉を発して、みんなを説得して、みんなに「そうだ!」というふうに思わせる力があって、初めてリーダーになれる。
言葉の力でまとめ上げていく。それをやっていける人がリーダーだと思います。だからリーダーがいないと、民主主義は迷走しちゃうかもしれませんね。
和田 そう言われると、今の日本って、すごい迷走していますね、確かに。
宇野 この人の言葉は何か意味がありそうだから、ちょっと聞いてみようと思わせる人、「自分たちの考えていたことは、それなんだよ」と腑に落ちる言葉を話してくれる人、そういう言葉の力を持っている人が、特に今は少ないですね。どうせ建前しか言わないんだろうって、政治家の言葉に対して悲観的というか、疑いの目が向いていますよね。言葉を信じなかったら、人なんて信じられない。信じることができるような言葉を発する、言葉に重みがある人がいないですね、特に政治家においては。
和田 民主主義を支えるものって、言葉そのものなんですね。
著者情報
政治学者
宇野重規
うの しげき
1967年東京都生まれ。東京大学社会科学研究所教授。東京大学法学部卒業。同大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は政治思想史、政治哲学。
『政治哲学へ 現代フランスとの対話』(東京大学出版会)で2005年度渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトンジャパン特別賞を、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)で2007年度サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を、『民主主義とは何か』(講談社現代新書)で2021年度石橋湛山賞を、それぞれ受賞。その他に『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』(中公新書)など著書多数。
音楽/相撲ライター
和田靜香
わだ しずか
1965年千葉県生まれ。音楽評論家・作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。著書に『スー女のみかた 相撲ってなんて面白い!』(シンコーミュージック)、『音楽に恋をして♪ 評伝・湯川れい子』(朝日新聞出版)、『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて~44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』(シンコーミュージック)などがある。近著『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』(左右社)が話題。