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そこには私の至純な歳月があったのだから~映画『スープとイデオロギー』が描く「済州島四・三事件」をめぐって2【対談】金時鐘×ヤン ヨンヒ

金時鐘(詩人)

ヤン ヨンヒ(映画監督)

(構成・文/木村元彦)

ヤン そうなんですね。今回の映画でも出てきますが、オモニは四・三のことを話したあと、アルツハイマーが進行するんです。そのあと、済州島に私と一緒に行くことになったのですが、済州島で方言を聞いたりしたら、記憶が戻るんじゃないかなとか期待したんです……。

 それは逆だろうね。お母さんは、済州島での無意識の恐怖が蘇ったんじゃないかな。

ヤン 済州島にある「四・三研究所」の事務室で話しているときに所長が方言で、オモニに「むかしつらいことがたくさんあった場所ですけど、いまどう思われていますか?」と質問したんです。そしたらオモニが朝鮮語で「タ アンコシプスニダ(全部抱きしめたいです)」と言った。そこは映画に入れられなかったけど、所長も私もびっくりですよ。

 それは本当にいい言葉だね。映画に入れられなかったのは残念だな。
   映画の中でのお母さんの証言に出てくるけど、虐殺から逃れるために幼い兄弟を連れ30キロもの道を歩いていく。しかし、よく済州島から脱出するための密航船に乗れたと思うんです。四・三の人民蜂起と言われる側に立っていた連中がおったら、もうその場で誰であろうと撃ち殺された。だから、密航船の船頭も四・三事件に関わりのあると思った人は絶対乗せようとしない。

ヤン 当時、オモニのオモニ、ウエハルモニ(祖母)は大阪にいたんですね。行商のような仕事をしていたようです。彼女が必死にお金を貯めて、娘たちを日本に来させるために済州島にお金を送っていた。それで密航船に乗ることができたようなんです。

 ああいう密航船は、前金制度だからね。

 映画『スープとイデオロギー』より

無視された四・三事件

 ――ほかに時鐘さんが印象に残っている場面はありますか?

 四・三事件の70周年追悼式で、荒井さんがヨンヒさんのお父さんが勲章をいっぱい付けている写真をかかえて、立っておられたね。僕にはすこぶる異様な光景やった。

ヤン はい。実は、私も勲章は引っかかってはいたんです。北朝鮮政府からもらった勲章ですから。

 言ったら悪いけど、総連の活動家で勲章もらってない人は、日本で2人しかいないって聞いたよ。そのうちの1人が僕や(笑)。僕は感謝状1枚もらったことない。
   北からの勲章は、お父さんにとって自分の生きてきた証明だったんだろうね。だけど、北朝鮮の実情をもう全部知っておられるご両親が、どうして新興宗教の徹底した信者のように北を信奉するんだろうとは思うんだよ。
   北の共和国は、総連幹部だと知るともう大臣のような扱いをする。ヨンヒさんのお兄さんは、率直に言えば北朝鮮に帰国して無念な死を迎えたじゃないですか。祖国建設の夢いっぱいで北に渡り、その夢が叶わなかったどころか、北に相手にされない状態で、精神に異常をきたしたんだよね。それは、あなたのお兄さんだけではないんだ。僕が知っているだけでも、何人もいた。ヨンヒさんは、直接的ではないにしても、そういう事象を映画で見せることで、遠回しに、北朝鮮のありように批判をぶつけている気はした。

――ヨンヒ監督は、朝鮮大学校で「ヂンダレ」(金時鐘、梁石日らが中心になって作っていた文藝同人誌。当初は民戦の要請で作られたが、のちに朝鮮総連から批判を受けた)をなぜ私たちに読ませないのだと言って教授に抗議したそうです。

 あのお父さんの娘にしては上出来や(笑)。

ヤン 平壌にいる3人の兄たちが、あのアボジとオモニのもとで、私のことをえらいまともに育ったなって言っていました(笑)。本当に、総連しか知らない妹になったらどうしようと心配したそうです。

 お母さんが北を支持する理由が僕にはよくわかる。四・三が起こった当時は李承晩の臨時政府の時代でした。その臨時政府を作り上げて押し上げたのはアメリカ占領軍です。アメリカの軍政が李承晩に作らせた。李承晩は48年から韓国の初代大統領になるけど、あの血しぶく嵐のような、無慈悲きわまる四・三の実情を目の当りにした者は、この政治家を絶対に許さないし、その政権には絶対与(くみ)しないと思うんだ。四・三事件もそのような心情に絡んでいるわけだ。
   四・三事件はね、韓国政府はもちろんだけど、北もまた一切無視していたんだ。それはなぜか。朝鮮戦争は1953年10月27日に休戦協定が成り立った。その直後、金日成〝元帥さま〟は、南朝鮮労働党(南労党)の書記長であった朴憲永(パク ホニョン)をアメリカのスパイとして処刑した。金日成がソ連の後押しによって作り上げたのが臨時人民委員会。つまりその委員会が臨時の政府の役目を果たして、やがて北朝鮮政府になっていく。朴憲永は戦前から抗日闘争をしていた人物でね。抗日闘争の人たちはほとんどが亡命するんだけど、彼は亡命することなく、10数回の逮捕、収監に耐えながらも国内で抵抗を続けてきた。だから、人望もあって彼のつながりは非常に広いのよ。ソ連にいた金日成よりも全国的につながりがあるんです。朴憲永は46年暮れに南朝鮮労働党を作り上げて書記長に就いていた。そのあと、50年に四・三による弾圧もあり党の主要メンバーが北に渡ったので、南労党は北の労働党と合体して朝鮮労働党ができた。それで彼が副委員長に就きます。ところが、朝鮮戦争が休戦協定になると、金日成によって即刻処刑された。それ以降、彼が所属していた南労党も、四・三事件も、一切無視され、その存在すら認められないままいまに至ります。

――政治、権力者の都合によって北朝鮮も韓国も済州島四・三事件の悲劇をずっと無視してきた。

 そうです。韓国は2003年にようやく盧武鉉大統領が、四・三は国家的な罪であったことを公式に認めたわけだけど、北はまったく無視です。当時は南労党にかかわりがありそうな人をみんな殺したんだからね……。四・三を否認するのは、南労党の同志を殺したこととつながっているわけなんだ。

映画『スープとイデオロギー』より

母の一番純粋な時期

 ヨンヒさんのお父さん、お母さんは実生活の中で常に国家の歴史的なしがらみに翻弄され、苦悩、苦悶をかかえて生きなくてはならなかったんですよね。映画の中で、お母さんが過去の記憶を失ってもなお、金日成主席を称える歌をきちっと唄われるシーンは本当に胸にこみ上げるものがあったよ。人間であるとはどういうことか? 主義とはどういうことか? を考えさせられた。あそこは、詩をやる者として、思いが溢れてくるような場面だったね。
  僕は歌の怖さをよく知っている。歌は多感なときに身についてしまうと一生忘れない。それは、帝国主義時代の日本国民もみんなそうだったんだから。子どもたちが歌を唄わされて、万歳三唱で兵隊を戦争に送ったんだからね。この映画で一番やりきれないシーンだったな。お母さん純粋なんだ。

ヤン オモニはカメラの前とカメラがないときと、ちょっと言うことが違ったりしました。

 ヨンヒさんのお母さんは、もう何十年も総連の女性同盟の委員長をやっていて、自分がどう見られるかが身についているんだよ。

ヤン ある時期、オモニはさっきの先生の言葉で言えば〝北の新興宗教の信者〟として、北にいる兄たちのためだけに生きていこうと決めたように見えたときがあったんです。北朝鮮が話題になる国際ニュースも見ない、批判的なことが書かれた本も読まない。いまとなっては、私もオモニはそうとしか生きられなかったんだなと理解しますけど、若いときはオモニのことをとてもずるいと思っていました。「自分の子どもだけよければいいのか」とか、「日本で暮らしながら北朝鮮を支持するって、えらい楽やな」とかね。そう言うと、オモニはいつも私に「うるさいな」とか言い返してくるんです。
   でも、アボジが亡くなったあとに私が「これはオモニが決めたらいいことやけど、もし私がいるからしょうがなく日本にいるんやったら、無理しないで、家を売って、そのお金を持って平壌で最期は孫と息子らと暮らしたらどう?」って聞いたんです。そしたら、何て言ったと思います?

 北で暮らせないと言った?

ヤン そうです。「あの国では暮らせない」とはっきり言いました、ビックリしました。
   オモニが唄うシーンは、娘としては、言わば洗脳された母親を世にさらす残酷なシーンだという自覚をしながら入れているんですけれども……。

著者情報

詩人

金時鐘

キム・シジョン

1929年朝鮮釜山に生まれ、元山市の祖父のもとに一時預けられる。済州島で育つ。48年の「済州島四・三事件」に関わり来日。50年頃から日本語で詩作を始める。在日朝鮮人団体の文化関係の活動に携わるが、運動の路線転換以降、組織批判を受け、組織運動から離れる。兵庫県立湊川高等学校教員(1973-88年)。大阪文学学校特別アドバイザー。詩人。主な作品として、詩集に『金時鐘詩集選 境界の詩――猪飼野詩集/光州詩片』(藤原書店、2005)『四時詩集 失くした季節』(藤原書店、2010、第41回高見順賞)『背中の地図』(河出書房新社、2018)他。評論集に『「在日」のはざまで』(立風書房、1986、第40回毎日出版文化賞。平凡社ライブラリー、2001)他。エッセーに『草むらの時――小文集』(海風社、1997)『わが生と詩』(岩波書店、2004)『朝鮮と日本に生きる』(岩波書店、2015、大佛次郎賞)他多数。現在、藤原書店より『金時鐘コレクション』(全12巻)刊行中。金石範氏と対談した『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』(平凡社、2015年 増補版)において四・三事件を体験した記憶を語っている。

映画監督

ヤン ヨンヒ

やんよんひ/Yang Yonghi

 大阪出身のコリアン2世。父親を主人公に自身の家族を描いたドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』(05)は、ベルリン国際映画祭・最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)、サンダンス映画祭・審査員特別賞ほか、各国の映画祭で多数受賞し、日本と韓国で劇場公開。自身の姪の成長を描いた『愛しきソナ』(09)は、ベルリン国際映画祭、Hot Docs カナディアン国際ドキュメンタリー映画祭ほか多くの招待を受け、日本と韓国で劇場公開。脚本・監督した初の劇映画『かぞくのくに』(2012)はベルリン国際映画祭・国際アートシアター連盟賞(CICAE賞)ほか海外映画祭で多数受賞。さらに、読売文学賞戯曲・シナリオ賞等、国内でも多くの賞に輝いた。著書にノンフィクション『兄 かぞくのくに』(12/小学館)、小説『朝鮮大学校物語』(18/KADOKAWA)ほか。

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