月面到達から50年、再び月に向かう長い道~アポロ11号からAMAZONの野望まで
松浦晋也(科学ジャーナリスト)
1969年7月20日、米国のアポロ11号月着陸船「イーグル」が月面“静かの海”に着陸した。搭乗していたのはニール・アームストロング、バズ・オルドリンの2宇宙飛行士。彼らは月面を歩行した最初の人類となった。それから50年、ここにきて、再度月を目指す動きが活発になりつつある。が、疑問に思う人もいるだろう。「この半世紀、一体なにをしていたのか」。確かにアポロ計画が1972年に17号をもって終了してから、これまで月を訪れた者はいない。
結論を先に書けば、過去15年にわたって、有人月計画は政治と予算の狭間で迷走を続けてきた。今も状況は混沌としており、すぐに「もう半世紀も経ったのだからもう一度月に行こう」とすんなりいきそうにはない。その一方で、今世紀に入ってから米国内で急速に力をつけてきた“ニュー・スペース”と呼ばれる宇宙ベンチャー企業の中から、世界的ネット流通大手のAMAZONを率いるジェフ・ベゾスが起こしたブルー・オリジン社が、月面有人植民構想に強い興味を示している。
アポロ計画終了時から現在までの米国における有人月探査を巡る状況を、順にみていこう。

月面に立つバズ・オルドリン宇宙飛行士。右手奥に月着陸船「イーグル」、中央奥に星条旗が見える。撮影はニール・アームストロング船長
シャトルとISSで「月どころではない」
アポロ計画には、当時世界を2つの陣営に割って、冷戦という刃を交えない戦争でソビエト連邦と対峙していた米国にとって、“科学技術面における代理戦争”という側面があった。だから米国政府は計画を実施する米航空宇宙局(NASA)に青天井の莫大な予算を付け、何が何でも勝ちをもぎ取ろうとした。アポロ11号の成功は、米国にとってソ連に対する勝利を意味した。勝った以上それ以上続ける意味はない。米国内における月への興味は11号以降急速に薄れ、当初20号までを予定していたアポロ計画は、18号以後がキャンセルされ、1972年の17号で終了した。
アポロ計画終了と同じ1974年、NASAはポスト・アポロの大型宇宙開発計画として、地表と地球を巡る周回軌道を低コストで結ぶ宇宙輸送システム、スペースシャトルの開発を開始した。が、青天井で予算がついたアポロ計画と異なり、スペースシャトルは厳しい予算制限の中での開発を余儀なくされた。結果、シャトル以外の計画は軒並み停滞を強いられた。特に太陽系探査は、1978年5月と8月に打ち上げた2機の金星探査機「パイオニア・ヴィーナス」シリーズの後、1989年5月に金星探査機「マゼラン」が打ち上げられるまで、実に10年以上にわたって中断してしまった。月探査機もまた、ずっと計画すら動きださない状況が続いた。
1981年4月に、スペースシャトルの初打ち上げが成功すると、NASAはスペースシャトルの行き先となる、地球を周回する有人宇宙ステーションを次の大型計画として動かしはじめた。有人ステーションは、1984年のロンドンサミットの議題となり、日米欧が国際協力で実施する巨大計画へと発展した。
その後、1980年代から2000年代にかけて、スペースシャトル「チャレンジャー」号の事故(1986年)が発生してステーション計画が大幅に遅延したり、1991年のソ連崩壊によって冷戦が終結し、有人宇宙ステーション計画にロシアが参加するという大どんでん返しがあったりで、NASAは予算の多くをシャトルと宇宙ステーションに費やすという状況が続いた。有人ステーションは国際宇宙ステーション(ISS)という名称となり、1998年から建設が始まった。
アポロ後の20年余りは「月どころじゃない」という状況が続いたのである。
小さな探査機から始まった、月探査への復帰
おずおずと月への復帰が始まったのは1994年だった。この年米国は、久しぶりの月探査機「クレメンタイン」を打ち上げた。同探査機は重量227キロと小型で、かつ計画はNASAとアメリカ国防総省・弾道ミサイル防衛局(BMDO、現・ミサイル防衛局)との共同だった。予算の捻出のために「ミサイル防衛に必要なセンサーの試験を宇宙で行う。そのついでに月を探査する」という形をとったのである。クレメンタインは、月を周回する軌道からその全面を撮影して詳細な地図を作成した。それ以上に重要なのは、月の極地域をレーダーで調べ、「氷の形で水が存在する可能性がある」というデータを得たことである。もしも水が本当に存在するなら、恒久的な有人月基地が低コストで運営できるかもしれない。しかも水の量が多ければ、電気分解して水素と酸素を得て、ロケットの推進剤に使うこともできる。この可能性は、その後の月探査計画で予算を獲得するための重要なポイントとなった。
続いて米国は1998年に、探査機「ルナ・プロスペクター」を月に送り込んだ。同探査機は中性子線分光計というセンサーで、水の存在を直接確認することを目的としていた。が、結果は「月の両極で最大60億トンの水が存在してもおかしくはない」という推定に留まった。
ブッシュ新宇宙政策、混乱するコンステレーション計画
2003年2月、スペースシャトル「コロンビア」号空中分解事故が発生した。ISS建設はシャトルに依存しており、事故は建設の停滞を意味した。ロンドンサミットからすでに20年。事故を受けて巨大国際協力計画のISSは、「政治的に、どのようにして“成功”という体裁を作るか」が問題となった。
2004年1月、ブッシュ米大統領は、新しい宇宙政策を発表した。スペースシャトルを2010年に引退させ、新たに開発する有人宇宙船「オリオン」で月に恒久的有人基地を建設するというというものだ。ここで米国は「ISSは2010年までにとにかく完成させて、シャトルを引退。引退でできた予算的余裕を、アポロ以来の有人月探査計画に振り向ける」という決断を下したのである。
そのために、有人宇宙船「オリオン」、月着陸船「アルタイル」、打ち上げ用大型ロケット「アレスI」と「アレスV」を開発する「コンステレーション計画」と総称される大型開発計画が始まった。が、ブッシュ大統領が宇宙政策の中で「2015年、遅くとも2020年までに月有人ミッションへ復帰する」と宣言したにもかかわらず、開発はずるずると遅れた。特に先行して開発されていたアレスIとアレスVは設計にしばしば問題点が見つかり、設計変更を繰り返した。
その理由は、過去の技術的遺産にあった。アポロ計画は、月着陸に最適なロケット「サターンV」をゼロから開発した。しかしコンステレーション計画では、ハードウエアに「アポロやスペースシャトルの技術資産を活用すること」という制約がかかっていた。この制約により、構想としては既存技術の有効利用で低コストかつ高速に開発が進められるはずだったが、実際には、最適ではないものを最適に手直しするという手間が膨れあがり、ゼロから開発するよりも難航してしまったのだった。
その一方で米大統領府が、「月に戻る」と意思をはっきりさせたことで、月の科学的探査は進展した。NASAは有人月探査計画に先立ち、無人探査機「ルナ・リコナイサンス・オービター(LRO)」を2009年6月に打ち上げた。同探査機は月面上空50キロから、月の表面を50センチの分解能、つまり50センチ×50センチのものが識別できるという超高精度で観測し、過去最高精度の月面地図を作成した。余談だが、同探査機の撮影データには、アポロ各号機が残した月着陸船降下段や、各種観測機器、月面車やその轍などが映っており、これにより「アポロは月に行っていなかった」とする各種陰謀論は、完全に命脈を絶たれた。
米国はまた、同じく2009年6月に大型の月衝突機「LCROSS(Lunar Crater Observation and Sensing Satelliteの略。エルクロス)」も打ち上げた。LCROSSは同年10月に月面南極のカベウス・クレーターに突入。その際に吹き上がった粉塵を観測することで、月面には水が存在することが再度確認された。
LROは、2019年7月現在、最低高度を20kmまで下げて、月面の詳細観測を継続している。
NASAは、2011年には月の重力場を詳細観測する探査機「GRAIL(Gravity Recovery and Interior Laboratoryの略。グレイル)」も打ち上げ、詳細な重力場地図を作成した。表面詳細地図と重力場地図は、月周回軌道から安全に着陸機を降ろし、また月周回軌道に戻すためには必須の情報である。
オバマ政権のフレキシブル・パス
著者情報
科学ジャーナリスト
松浦晋也
まつうら しんや
1962年生まれ。慶應義塾大学理工学部卒。同大学院メディア・政策研究科修了。日経BP社勤務(航空宇宙、コンピューター、情報通信などの分野を取材)を経て現職。著書に『国産ロケットはなぜ墜ちるのか』(2004年、日経BP社)『エルピーダは蘇った』(06年、日経BP社)『コダワリ人のおもちゃ箱』(07年、エクスナレッジ)『恐るべき旅路』(07年、朝日新聞出版)『スペースシャトルの落日』(増補版、10年、ちくま文庫)『飛べ!「はやぶさ」』(11年、学研教育出版)『のりもの進化論』(12年、太田出版)、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』(14年、日経BP社)、『はやぶさ2の真実』(14年、講談社)、『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』(17年、日経BP社)など多数。