デマやフェイク・ニュースがはびこる今、歴史学者は「歴史修正主義」とどう闘うか?
成田龍一(歴史学者)
(構成・文/安田峰俊)
「アウシュビッツ否定論者」がはるか昔から繰り返し現れるように、歴史を揺らそうとする動きは絶えません。
歴史とはなにか、その役割とはなにか。フェイク・ニュースが溢れかえる「ポスト・トゥルース」の時代を生きる私たちは、歴史学と歴史物語をどのように読むべきなのか。修正主義に抗うには、歴史学になにが必要なのか。
集英社新書から『近現代日本史との対話 【幕末・維新―戦前編】』『近現代日本史との対話 【戦中・戦後―現在編】』という、あわせて1000ページを超える著作を刊行した歴史学者、成田龍一教授にうかがいました。

歴史を通して考える、「私たちは何者か?」
最近、日本では「私たちは何者か」を問う、歴史に関する書籍が注目を集めています。2016年にはイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』(河出書房新社)が大ヒットし、2018年の同著者の『ホモ・デウス』(同)と合わせて100万部以上のヒットを記録しました。これまでの歴史の見方を変えていくような著作として、読まれているように思います。
また、同じく2018年に刊行された作家の百田尚樹氏の著書『日本国紀』(幻冬舎)も、多くの批判を受けながらも65万部以上のヒットとなりました。私自身は一人の歴史家として、『日本国紀』の叙述の手法やそこに含まれた歴史認識(=イデオロギー)に批判的な見解を持っていますが、同書が「私たちは何者か」という問いかけを前面に出し、教科書に代表される歴史観を批判し、少なからぬ読者を獲得した現象それ自体は、やはり現代という時代の性質を反映したものであると考えています(もっとも、『日本国紀』などは、百田氏が批判する歴史教科書と重なっても見え、同根のように思えます)。
歴史とはなにか、そして歴史学とはなにか、歴史家とはいかなる存在か――? 近年の「歴史」にかかわる書籍のブームについて考えるうえでも、また次の世代が学んでいく歴史の教科書のありかたを考えるうえでも、こうした問いかけに答えを提示することは、ますます重要となっています。
まずは、歴史学と歴史を区別しておきましょう。歴史はさまざまな「学知」によって叙述されます。以前は、歴史学がもっぱら歴史叙述を担っていましたが、最近では社会学や文化人類学、歴史社会学による歴史叙述も活発です。
さて、そのうえで、次には、歴史学の変遷にも目を向ける必要があります。歴史学の推移によって、歴史が変わってきています。なによりも、歴史の叙述に変化が出てきます。(決まりきったように見える)歴史の書き方にも、変化があるのです。
日本の歴史研究の3つのパラダイム
戦後、日本の歴史学が歩んできた歴史(史学史)は、大きく分けて戦後歴史学、民衆史研究、社会史研究の3つのパラダイムに分けることができます。まず、議論の入り口としてこの三者について簡単に述べてみましょう。
(1)戦後歴史学
第二次大戦の敗戦を経た日本の歴史学がまず求めたものは、大日本帝国を戦争へと歩ませた皇国史観への反省でした。極めて物語的で主観的だった皇国史観に対して、民主化を迎えた日本では客観的・科学的・法則的な歴史学を打ち立てることが求められました。当時の時代背景のもとで、最も「科学的」であると考えられていたのはマルクス主義の史的唯物論でしたから、1960年代ごろまではこの方法に拠った歴史学研究の姿勢が力を持つことになります。これが「戦後歴史学」です。
戦後歴史学は、古代・中世・近世・近代……と時代につれて人間の歴史が「進歩」してきたとみなす進歩史観と、「下部構造」である経済構造の変化によって「上部構造」たる政治や文化も変化すると考える社会経済史的なアプローチに大きな特徴があります。これは現在の視点で見るとやや単純な考え方に見えますが、当時においては非常に説得力がありました。戦前の日本は近代の顔をしつつも封建的要素を数多く持っていた、新しい日本は過去の時代よりも「進歩」して本当の近代を迎えるのだ――、という多くの人の認識と共鳴したのです。また、ポスト冷戦期である現代では不思議に感じる人も多いでしょうが、1950〜60年代当時の人々のマルクス主義に対する信頼は大きなものがありました。
(2)民衆史研究
しかし、やがて民主主義が浸透するにつれ、1960年代からは、戦後歴史学に対する補完(同時代的には「批判」という認識でした)として「民衆史研究」という視点が登場します。戦後歴史学において「下部構造」として経済活動や生産活動を担う「民衆」とは何者か? 歴史は進歩するというマルクス主義の基本法則が仮にあったとして、「民衆」を構成するわれわれ一人ひとりの「個」も法則通り動いているに過ぎないのだろうか? われわれ「民衆」の主体性と社会構造、さらに歴史の移行とはどのように関連しているのか? これらの問題意識から「民衆」にフォーカスして歴史を考える動きがはじまり、1970年前後に非常に支持を得て、歴史学のありかたを大きく塗り替えていったのです。
しかし、このころ、新たな問いも生まれてくることになりました。
戦後歴史学では、歴史はいわば事件や政変を時系列で並べたものであったので、これが「誰」によって提示された歴史なのか、ということはほとんど問題にされませんでした。しかし、70年代に入り、網野善彦氏のように、個々の歴史家が、それぞれの考える歴史を提示するようになると、様相が変わります。
民衆史研究で言うならば、個人を「民衆」として括りあげ、歴史に巻き込まれる民衆側の視点を読み解いてその歴史を語る「歴史家」もまた、民衆の一員です。それでは、歴史家とはいかなる存在なのか。歴史学はこの問題に突き当たります。
(3)社会史研究
そこで70年代なかばからは、現在まで続く、第3のパラダイムである「社会史研究」の潮流が生まれることになります。
歴史を語る存在である歴史家もまた、歴史的な制約のなかに存在している。すなわち、現在の時代の価値観を持ったうえで、過去の歴史と向き合う存在であることについて、自覚的になる視点が生まれてきます。
社会史研究では、過去を一種の異文化(他文化)であると考えます。ちょうど文化人類学者が異文化(他文化)の地でフィールド調査をおこなうように、歴史家も「過去」に出かけてフィールド調査をおこない、その異文化(他文化)を記す。歴史学とは「過去」という異文化(他文化)を体験する学問だというわけです。これは自文化(近代)を相対化する作業であり、多様性の認知につながる方向性でした。
かつてマルクス主義の進歩史観では、中世は古代より進歩した時代、現代は近代や近世よりも進歩した時代――であると考えられてきましたが、社会史研究はそう考えません。私たちが生きている現在と、ある過去の時代はそれぞれが異なる文化ですから、文化間に本質的な優劣はない。現代人の目から見ると意味がわからないものでも、当時の人たちにはそれなりの意味があった。その意味を解き明かすのが社会史研究の使命と考えるのです。
例えば時間や空間の捉え方も、現代人である私たちのイメージと、過去のある時期の人たちのイメージは異なります。365日間を「1年」だと考え、さらにその時間の長さをどう感じるか、そうした感覚すら異なっています。社会史研究のまなざしのなかで、現代の私たちと過去の人たちとの価値観や社会認識の違いが発見されてくるわけです。
そこから、従来の戦後歴史学や民衆史研究が、主に政治や民主運動といった、ごく短い時間で変化するものだけに注目してきたことへの反省も生まれてきます。長い時間を通じてようやく変化する気候や風土や地形、中程度の時間で変化していく人間の交際関係や家族関係、男女の愛情関係といったものへも、観察の視点が向けられるようになったのです。
だいぶ長く記しましたが、このことは、「歴史は事実だ」という表現が、いわれるほど単純ではないことを意味しています。たしかに、歴史は「事実」を出発点にするのですが、その事実がむき出しに置かれているのではない、ということです。
第一に、だれにとっての「事実」であるのか。だれが書きとめた「事実」であるのか。「事実」にも、解釈が先行しているということです。
第二には、「事実」は無数にあるなかで、取り上げられる「事実」、取り上げられない「事実」があることです。すなわち、「事実」に軽重がつけられています。当たり前のことのようですが、ここまでで紹介した「戦後歴史学」「民衆史研究」「社会史研究」という3つのパラダイムでは、それぞれ重視する事実が異なっています。
以上のことは、縮めて言えば、「歴史は事実」と言うときに私たちが見ている「事実」とは、無数の「事実」の中から恣意的に解釈され、選択されたものである、ということです。このことは、歴史は「事実」を出発点にするが、「解釈」をはらんだものであるということにほかなりません。
解釈の相違――事実の選択の差異、解釈の差異が、「戦後歴史学」「民衆史研究」「社会史研究」という3つのパラダイムをもたらしたのです。
「教科書」とはなにか
著者情報
歴史学者
成田龍一
なりた りゅういち
1951年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学大学院文学研究科博士後期課程修了。文学博士。横浜市立大学講師、東京外国語大学講師、助教授を経て、日本女子大学人間社会学部教授。主な著書に『近現代日本史との対話【幕末・維新―戦前編】』『近現代日本史との対話【戦中・戦後―現代編】』(ともに集英社新書、2019年)、『「戦後」はいかに語られるか』(河出書房新社、2016年)、『加藤周一を記憶する』(講談社現代新書、2015年)、『大正デモクラシー』(岩波新書、2007年)など多数。