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デマやフェイク・ニュースがはびこる今、歴史学者は「歴史修正主義」とどう闘うか? 

成田龍一(歴史学者)

(構成・文/安田峰俊)

 2000年代以降、長い冷戦時代を終えてグローバル化が進む現在の世界や日本は、いまや転換期を迎えています。現代という時代が、次の時代への過渡期であるという歴史的な視点を自覚することが、歴史学の本流を鍛えるうえでも重要です。
 自由も、平等も、民主主義すらもその意味を変じつつある過渡期においては、ありとあらゆる歴史に対する見直しが、トンデモ言説を含めて玉石混交として出てきます。そうしたなかで、過渡期の時代に対応した言説を、歴史学の立場から発信することが重要です。
 例えば、近年ベストセラーになった歴史関連の書籍には、呉座勇一さんの『応仁の乱』(中公新書、2016年)、亀田俊和さんの『観応の擾乱』(同、2017年)などもあります。過去の過渡期の存在を、歴史家が現代の人たちに向けて提示した書籍が多くの人に受け入れられた。この現象自体が、トンデモ言説に歴史家が対抗する方向性のひとつを示しているとも言えるかもしれません。現在の時代性を示す、過渡期を生きる歴史家が打ち出す「過渡期史観」が、これからはより重視されてくるでしょう。歴史家としては、そのことを踏まえたうえで、呉座さんや亀田さんの議論を学問的に検討することとなるでしょう。

「他者の歴史」に目を向ける

 また、歴史のありようとして、これまでは「私たちは何者か」という「アイデンティティの歴史」が重視されてきました。歴史学もまた、アイデンティティの歴史を追究してきましたが、私には、強い抵抗感があります。歴史とは、他者の発見、他者の尊重ということであるように私には思われます。「私たち」とは異なる「かれら」がおり、「かれら」もまた(「私たち」と同様に)かけがえのない文化を持ち、歴史を有していること、そしてそのことへの共感を見いだすような歴史・歴史学を追究したいと願っています。
 現代はグローバル化への過渡期にあり、人々が従来持ってきたアイデンティティが揺らいでいます。「私たちはどうあるべきか」――過渡期特有の問題意識は、歴史教育の場においても色濃く反映されており、他者の歴史へ目を向けることの必要性を強く感じます。

 最後に、歴史教育について言及しておきましょう。歴史教育もいま、大きな転換のなかにあります。今後は高校で、日本史と世界史を融合した「歴史総合」という必修科目の新設が予定されています。現在は教科書を制作中で、2022年4月から実際に授業が開始されます。歴史の見方の変化が、歴史教育の場にも及んできていることは、きわめて重要な出来事であるでしょう。世界の動きのなか、日本の歴史教育もようやく動きだしました。
「歴史総合」が新設される背景には、国際的な対応力を持つグローバルエリートをつくり出そうという、やはり過渡期ならではの問題意識が存在します。その問題意識を私たちがどう見るか、また世界史と日本史が融合して教える側の難度も上がった科目を、高等学校の教室で先生たちがいかに教えていくのか。
 いまこそ、世論において議論を深めていく時期に入っていると思います。

著者情報

歴史学者

成田龍一

なりた  りゅういち

1951年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学大学院文学研究科博士後期課程修了。文学博士。横浜市立大学講師、東京外国語大学講師、助教授を経て、日本女子大学人間社会学部教授。主な著書に『近現代日本史との対話【幕末・維新―戦前編】』『近現代日本史との対話【戦中・戦後―現代編】』(ともに集英社新書、2019年)、『「戦後」はいかに語られるか』(河出書房新社、2016年)、『加藤周一を記憶する』(講談社現代新書、2015年)、『大正デモクラシー』(岩波新書、2007年)など多数。

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