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いま経営に必要なのは文学の力だ

上田岳弘(小説家)

岩尾俊兵(経営学者)

岩尾 そうですね。もう〝速効性〟の時代ではないですよ。そろそろ、次の段階にきていると思うんです。その一つが〝遅さ〟で、これからはじっくり腰を据えて長時間集中できるものが価値になるんじゃないかな。それは、ネットではなく紙の本になるんじゃないですかね。ただ、ビジネス書だとネットメディアと変わらなくて、情報をコンパクトにまとめているだけという側面があるので、小説などあくまで他者の主観に入り込む、感情移入できる物語として提示するメディアが希少価値になる可能性がありますよ。小説は抜粋はできても、ネットメディアのように部分的に見ても意味がないし、全体をある程度の時間をかけてゆっくり読む必要がありますから。

上田 そうなれば小説家としては嬉しいですね。

出版社は「純文学部門」を持っておくべき?

上田 たしかに文学では主観というのが大事だし、小説家も「遅効性」を信じて射程の長い作品を発表する必要があるんだけど、最近は、大きな賞を受賞できるか否か、すぐに売れるか売れないかというわかりやすい指標に寄りかかり過ぎかなと感じることがあって、特に新人の方はやりにくそうに見えます。

岩尾 いま、世の中全部がマーケティングに支配されてしまっていますよね。だから自分が書きたいもの、伝えたいものより、バズらせることが優先してしまっている。僕の『世界は経営でできている』は、すごく売れたんだけど、語り口はいわゆる〝冷笑系〟なんですよね。でも、僕自身の性格はそれとは真逆の〝熱血系〟なんです(笑)。というのも、その前に出した『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)は子供向けなんだけど、熱いことをたくさん書いたんです。ただ、この本がそこまで売れなかった。だから、『世界は経営でできている』では、時代に合わせてマーケティングして文体を変えた。成功した面はあるんだけど、すごく誤解されてしまっている。〝冷笑系〟の文体が受けつけないとか言われてアマゾンレビューで叩かれたり……。

上田 そういう売れ方で苦しいのは、もう一回、同じような本の依頼が、出版社からくることですよね。

岩尾 僕は全部、断りましたね。

上田 僕もいままでの小説で、すごくわかりやすい表現を取るより、その作品に必要であれば、わかりにくさや雑味みたいなものを排除しないで書いてきました。最近では、読者の間口を広げようという意識は強くはなってますけど、作品の核になるもの、太い芯のようなものはきちんと残して読者に手渡したい。

岩尾 純文学だとそこは問われますよね。だから、自分の経験としてもマーケティングでずっとやっていくのはかなりしんどいなと思います。

上田 ぶっちゃけて言えば 本来、純文学は売れる必要ないですからね。

岩尾 でも、そう言ってしまうと、出版社の人は困るでしょ。

上田 だから資本主義下で活動する礼儀として、内容を寄せるのではなく、売れたいポーズは取るし、そのように行動はする(笑)。より多くの人に読んで欲しいとは思いますが、それはそうじゃないと届かない層もあるだろうと思うからです。ただ、純文学が時代に合わせて、売ろうとしてマーケティングで作品を書いてしまうと存在意義がない。でもそれと同時に、文学という殻に閉じこもっていてもいけない。

岩尾 それでいえば、出版社の経営者に言いたいことがあります。

上田 とおっしゃいますと?

岩尾 出版社の「純文学部門」というのは、経営学的にも必要不可欠なんだということです。それは、経営というのは必ず「市場の論理」と、「非市場の論理」のふたつで動くんです。「市場の論理」というのは、利益を上げること、それは当然ですよね。

上田 売り上げがないと、会社は存続できないですからね。

岩尾 でも、「市場の論理」の一方で、会社は「非市場の論理」も抱えておく必要がある。純文学は「非市場の論理」にぴったりの文化部門です。たとえば、文化庁なんかともつながりができる。

上田 すごい実践的な話だ。

岩尾 ええ、これは、高尚な話とかではないですよ(笑)。政治家の中に純文学が好きな人がいる。実際いますからね。そこにつながりができる。そうすると、純文学の文芸誌をきちんと出していることが会社のメリットになるんですよ。それは、いざその会社が「市場の論理」でうまくいかなくなったときに有効になる。政治家が、あの会社は文化部門が充実している、文芸誌を出している、潰れてしまうと文化面でマイナスになるので、お金を出そうという発想になるんです。市場で失敗した場合、「非市場の論理」を持っている会社は潰れにくい。ビジネス用語で「レジリエンス」と言いますけど、会社の安定性が非常に高まるんです。そのためには、純文学が必要なんです。

上田 なんと、いい言葉。

岩尾 最後は国が助けます。

上田 なるほど。けれど助けてもらえることに、甘えているとダメですけどね。これは自戒を込めてですが、当然、小説家も出版社も質のいいものを書いて出版していく必要があります。

岩尾 もちろん、それは前提です。そこに甘えて「文学は偉いんだぞ!」ってドヤ顔で言っているだけではダメですよ(笑)。

文学には社会を変える力がある

岩尾 僕が新人賞の最終候補に残った評論で書いたテーマは「文学は何ができるか」だったんです。その論の発想は、いまから半世紀以上前のサルトルの「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」「作家たるものは、今日飢えている二十億の人間の側に立たねばならず、そのためには、文学を一時放棄することも止むを得ない」 (『文学は何ができるか』 サルトル 平井啓之訳 河出書房新社)というノーベル文学賞を辞退した年に行われたインタビューでの有名な言葉からです。当時、そこから「文学は社会に必要か否か?」という論争が起こったんだけど、この問いにいまどう答えられるかな? と僕は思ったんですよ。というのも、いまだに「文学なんて儲かりもしないし、役に立たないじゃないか」みたいな話はあるでしょう。そこから、さらに「大学なんて職業訓練学校でいい」とか、「大学の文学部はいらない」というところにまで発展している。特に経営者や経済学者なんかにそういうマインドの人が多い。でも、経営経済の論理を突き詰めれば突き詰めるほど、文学は社会に必要なんだということを、その論で書いたんです。
 たとえば、文学は、虐殺やブラック企業などによる暴力や権力で消されてしまうデータやロジックを回復することができる。消されてしまった声やロジックを小説であれば架空の物語(フィクション)にして読者に提示できる。小説にすることで、迫害されて消されかけた人の感情を残すことができるんです。
 もう一つは、さっき言ったように、いま、〝注目〟の配分をみんなが奪い合っているけど、そもそもこの〝注目〟している自分たちっておかしいんじゃないの? と問題提起して〝注目〟の配分を変えることができるのは文学なんですよ。有名な例で言えば、スターバックスのストローがプラスチックから紙に変わったのは、ストローがウミガメの鼻に刺さっている動画がきっかけなんです。動画ではあるけど、これはそれを見た人がそこに至るまでの文脈、ある種の物語を作ったんですよ。この物語が多くの人に共有されて、ウミガメが可愛そうだ、環境に配慮しようという気運が高まってストローが紙に変わった。スターバックスは世界でも屈指のマーケティングをしている企業ですよ。それでも、ある種の物語の力に従わざるを得なかった。物語や文学はやっぱり社会を変える力があるんですよ。

上田 おっしゃる通りですね。あと、文学、小説は一人でできるのが強みです。漫画やアニメのようにアシスタントが必要なわけでもなく、映画のように俳優やスタッフの力もいらない。コストをかけずに、色々とチャレンジできるのは強みかなと思う。

著者情報

小説家

上田岳弘

うえだたかひろ

1979年兵庫県生まれ。2013年「太陽」で第45回新潮新人賞を受賞しデビュー。15年「私の恋人」で第28回三島由紀夫賞、18年『塔と重力』で第68回芸術選奨文部科学大臣新人賞、19年「ニムロッド」で第160回芥川龍之介賞、22年「旅のない」で第46回川端康成文学賞を受賞。他の著作に『異郷の友人』『キュー』『引力の欠落』『最愛の』『K+ICO』などがある。

経営学者

岩尾俊兵

いわおしゅんぺい

慶應義塾大学商学部准教授。1989年、佐賀県有田町生まれ。東京大学博士(経営学)。第73回義塾賞、第36回組織学会高宮賞(論文部門)、第37回組織学会高宮賞(著書部門)、第22回日本生産管理学会学会賞(理論書部門)、第4回表現者賞等受賞。著書に『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(光文社新書)、『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)、『日本“式”経営の逆襲』(日本経済新聞出版)、『イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)『世界は経営でできている』(講談社現代新書)などがある。

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