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【年表解説】ワールドカップの歴史(第9回メキシコ大会~第15回アメリカ大会)

イミダス編

   6月12日に開幕したサッカーワールドカップ。世界的な祭典となったこの大会のこれまでの歴史を第1回大会から遡り解説。
 出場参加国・地域の変遷、得点王や大会記録の情報、各大会に起こった出来事をピックアップしながら振り返る。
   今回は第9回メキシコ大会から、第15回のアメリカ大会まで。
(ワールドカップの名称は、正式には第3回大会までは「ワールドカップ」または「世界選手権」、第4回から第9回までは「ジュール・リメ杯世界選手権」、第10回から現在の「FIFAワールドカップ」。日付はすべて現地時間)

 

第9回: 1970年メキシコ大会(開催期間1970年5月31日~6月21日)

出場国・地域:16

予選参加国・地域:71 出場枠 欧州8(+前回優勝国イングランド)、南米3、北中米カリブ1(+開催国メキシコ)、アジア・オセアニア1、アフリカ1

欧州: イタリア、イングランド、スウェーデン、ソ連、西ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、ベルギー、ルーマニア

南米: ウルグアイ、ブラジル、ペルー

北中米カリブ:エルサルバドル、メキシコ

アジア・オセアニア:イスラエル

アフリカ: モロッコ

優勝国:ブラジル

得点王:ゲルト・ミュラー(西ドイツ) 10得点

決勝:1970年6月21日(メキシコ・シティ)ブラジル4-1イタリア

 

グループリーグ表(勝ち点:勝ち2、分け1、負け0。各グループ1位と2位が決勝トーナメント進出)

 

決勝トーナメント

*第9回の開催地はメキシコ。初めて欧州と南米以外での開催となった。当初は試合会場が高地にあることや、欧州でのテレビ中継の都合で日中の炎天下での試合になることを懸念して反対意見も多く上がったが、終わってみれば好ゲームの多い大会となった。

*今大会初出場のエルサルバドルは元々、緊張状態にあったホンジュラスと予選で対戦。この対戦をきっかけに実際の戦争にまで発展、「サッカー戦争」とも呼ばれる。平和条約の締結までに11年の歳月を費やすことになった。


カードの導入により観客にファールの基準がわかりやすくなった(写真:Action Images/アフロ)

*今大会よりイエローカードとレッドカードが導入された。前回大会終了後、「ボールではなく相手の足を蹴るのが目的の大会には、もう出場しない」と語るほど、相手のラフプレーの多さに苦しんだブラジル代表のペレはルール変更を評価し、出場を決意。このカードの導入と初めて選手交代(毎試合2名まで)が認められたことが、フェアな好ゲームの多さにつながったともいわれる。

*準決勝のイタリアと西ドイツの対戦は激闘となった。イタリアが早い時間に先制、そのまま逃げ切りかと思われたが、試合残り時間1分で西ドイツが追いつく。今大会の得点王に輝いたゲルト・ミュラーが延長戦で勝ち越しゴール。しかしイタリアもすぐに同点に。そのあとも、点を取りあい最終的に4-3でイタリアが決勝へ。敗れた西ドイツは、交代枠を使い切ったため、チームをけん引するフランツ・ベッケンバウアーが肩を負傷しながらもプレーを続けるなど、そのあきらめない姿勢で観客を魅了した。この試合は「アステカの死闘」と呼ばれ大会屈指の好ゲームとしてのちのちまで語り継がれる。


イタリア戦でのミュラー。「爆撃機」の異名を持つ西ドイツ伝説のストライカー(写真:アフロ)

*優勝はブラジル。6試合全勝で3度目の優勝を成し遂げ、この偉業により、ジュール・リメ杯の永久保持権を得た。準決勝ではウルグアイを撃破して、20年前の地元開催時、決勝戦での借りを返し、決勝でもイタリアから4得点を挙げるなど圧倒的強さを誇った。
 そんなブラジルを導いたのが王様・ペレ。この大会で初めて全試合に出場し4得点を奪った。しかし大会後、代表を引退。彼にとってこれが最後の大会となった。


ジュール・リメ杯を掲げるペレ(写真:AP/アフロ)

 

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イミダス編

いみだすへん

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