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連載

親米国コソボからIS戦闘員が生まれる理由

第16回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

空爆から20年を経てもなお、ビル・クリントンはコソボで熱烈に歓待される(2019年6月、コソボ、プリシュティナ)


コソボはヨーロッパで第1位のIS戦闘員供給国

 連載第14回第15回は、NATOによる旧ユーゴスラビア空爆後の20年間を“振り返る”ことがテーマであったが、2019年のコソボを取材するにあたって、もう一つ、「現在の問題」としてIS(イスラム国)とこの国との浅からぬ関わりを聞き取りたかった。

 コソボが2008年にセルビアから分離独立して建国できたのは紛れもなく、米国の強引な支援と承認による。それゆえにコソボ国民(=大多数であるアルバニア系住民)がアメリカに向ける感謝の表意は派手派手しく、首都プリシュティナの目抜き通りはNATO空爆を主導した米国大統領の名を冠して「ビル・クリントン通り」と改称され、2019年には街なかに、空爆当時米国国務長官であったマデレーン・オルブライトの銅像が建てられた。コソボより17年前に旧ユーゴスラビアから独立を宣言したクロアチア政府も、独立を真っ先に認めてくれたドイツに対してさえ、ここまで露骨な謝意を示しはしなかった。

コソボの首都・プリシュティナの中心地に建てられたクリントン像

 つまるところ、コソボは政府も国民も世界で最も親米の国である。にもかかわらず、なぜか米軍に牙を剥くISへと向かう若者があとを絶たない。

 ISは世界中から傭兵を募っているが、どの国からの参戦が多いのかをアメリカの放送局「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」が調査した結果によれば、コソボは100万人あたり83人が参戦しており、ボスニア・ヘルツェゴビナの92人に次いでヨーロッパで2番目の多さである(2015年1月)。ボスニアの場合は、ボスニア紛争のときに、イランを中心とした中東諸国からムスリム勢力の援軍としてやってきて、そのままボスニア国籍をあてがわれたジハーディストたちが、今度はISに行っているので、傭兵たちはもとからのボスニア人ではない。そのことを考え合わせれば実質上、コソボはヨーロッパで第1位のIS戦闘員供給国となっている。これは脅威である。

アルバニア人をシリアに向かわせるもの

 第15回でセルビア南部ブヤノバツ市のシャイップ・カンベーリ市長に取材した際、親コソボ派でありアルバニア人である政治家にとってタブーとも言える質問の一つとして、この問題もぶつけた。セルビア領土内ではあるが、ブヤノバツはコソボに近く、アルバニア系住民が多数を占める都市である。コソボからISへ向かうアルバニア人についてどう考えているのか? カンベーリは瞬間、顔色を曇らせたが、真摯に問いに向き合った。その実態を自らも調査し、報告も受けたという。

「ISには、実はわがブヤノバツ市からも3人参戦している」

 驚いた。コソボだけではなく、セルビア南部のアルバニア人もISに向かっていたとは。

「ISへの組織的な派兵の動きがあるわけではない。個人が勝手に行ってしまうのだ。確かにアルバニア人はイスラム教徒だが、それはあまり関係ない。問題はこの地域の社会保障が乏しい点にある。多額のギャランティをISのリクルーターから提示されてしまうことで心が動き、宗教意識からではなく、生活苦からシリアに向かって戦闘員になるのだ。アメリカを愛する我々アルバニア人からすれば、残念なことだ。このIS問題はコソボ当局が解明しないといけない」

 筆者も20年来見てきたが、もともとコソボのムスリムは、政教分離が徹底していた。戒律も緩く、サウジアラビアの取材を終えてコソボに来た記者などは、「ここのムスリムは女性もヒジャブを被らないし、ラマダンすらまともにしようとしないので西ヨーロッパかと錯覚してしまう」と驚いていた。実際、コソボ紛争も、イスラム(アルバニア人)対東方正教(セルビア人)の宗教対立というよりは、自治権はく奪に対する反発が最初にあり、言語教育や土地に対する執着に起因するものであった。

 だから、本来イスラム原理主義から「ISが集結するシリアへ向かい、IS戦闘員としてジハード(聖戦)に参加するべきだ」という誘いがあったにしても、それだけでは首を縦には振るとは思えない。(実際に、宗教対立ならばボスニア紛争時に、反セルビアの姿勢からコソボから同じムスリム勢力に加勢しにサラエボに向かったアルバニア人民兵部隊がいてもおかしくはないが、そんな事例は無い)。しかし、現在は貧困がこの行動を後押ししている。まさに傭兵としての参加である。

 コソボ出身でひときわ有名なISの幹部兵士、ラブデリム・マハジェリという人物がいる。マハジェリは、プリシュティナから約55キロの距離にあるカチャニック市の郊外ドゥシュカイ村の出身で、2014年、シリアで自らがイラク兵の人質の首を鉈で切り落とすシーンをフェイスブックに投稿して、世界を震撼させた。その後、マハジェリは2017年6月の戦闘において米軍によるドローン攻撃で戦死した。死亡が確認されるとドゥシュカイ村の実家では、追悼のための記帳所が設けられた。このマハジェリもISのリクルーターによってシリアに渡っていたのであるが、以前、コソボにいた頃はボンドスティールの米軍基地で働いていたという。米軍に奉職していた人間が、一転、ISに向かって戦闘に参加していたという事実が興味深い。やはり、彼らをテロ組織に向かわせているのは、宗教やイデオロギーではなく、ビジネスなのか。

貧困と傭兵

 カンベーリ市長への取材の翌日は、プリシュティナ市内にある日刊紙「ゼーリ」の編集部を訪れた。ゼーリにはISに渡る人々の問題を追っている女性記者がいるのだ。記者の名はエミーラ・スキラーチャといった。若い。1995年生まれの24歳である。出身と両親の仕事を尋ねると、「私はシュトゥデームという村の出身です。父はいません。『ラチャクの虐殺』で犠牲になったのです」と答えた。

「ラチャクの虐殺」とは、1999年1月、プリシュティナ郊外ラチャク村でアルバニア系住民約40人がセルビア兵によって殺された事件である。私は当時、遺体が放置された現場に入って取材をしていたが、その遺族に会うのは初めてである。あのときの情景が思わず脳裏に浮かんだ。寒気が襲うジャミア(イスラム寺院)の床に老若男女、45体の躯(むくろ)が並んでいた。あらためて20年の月日の経過を思い知らされた。そのときの犠牲者の娘が、今、目の前にいるのだ。

コソボで新聞記者として働くエミーラ・スキラーチャさん。

「父親がラチャクで殺されたのは、私が3歳のときですね。ですから父の記憶はおぼろげです。その後に空爆が始まり、母親とマケドニアのゴスティバルに避難していました」

 空爆が終わり、セルビア治安部隊がコソボから撤退した後、故郷に戻り、ジャーナリストを志して新聞学を専攻し、現在はゼーリ紙で仕事をしている。あなたが追っている、コソボからISへ多くのアルバニア人が流出している現象について伺いたい、と問うた。

 意志をもって記者を選んだだけあって、エミーラの取材と報告は緻密だった。

「2019年4月、コソボ政府の法務大臣から、たくさんの人がシリアから戻ってくると言う発表がありました。それはつまりISにいた人たちです。32人の女性、74人の子ども、4人の戦闘員が帰国したのです」

 意表を突かれた。兵士だけではなく、家族ごとISに移住をしていたとは。それは皆、マハジェリの故郷、カチャニックの出身者なのだろうかと訊くと否定された。コソボ全土おいてISのリクルーターが活動しているのだという。

「ISへ渡るプロセスは2通りあります。一つは、イマーム(指導者)を名乗るリクルーターがコソボに入り込み、モスクで『ISの闘いは我々にとってのジハード(聖戦)だ』と洗脳し、戦闘員にするというものです。現地への入り方? まずコソボのパスポートがあればノービザで行けるトルコに入り、イスタンブール経由でシリアに入国するというルートです。この洗脳型リクルートが最も激しかったのが、2015年から2016年でした。それ以降はコソボ当局も取締りを厳しくしたのです。

 これとは別に、自分たちの意思でシリアに渡った家族もいるのです。理由は教育の不足と貧困です。コソボ全体の平均月収が400ユーロ(約4万8000円、1ユーロ≒120円)。失業率は3割。彼らはもう、ジハード以前にお金をもらえるということでシリアに向かうのです。マハジェリもどちらかと言えばこのタイプでした」

 なるほど、ならば、マハジェリにとってはボンドスティール基地で働くことも、おそらくはそこから飛び立って来た米軍機に向けて、ISの戦闘員として迫撃砲で攻撃をしかけることも何ら矛盾はしていない。要は稼ぐためである。エミーラは続ける。「しかし、当然ながら全員がマハジェリではありません。それぞれ現地に着いてから、これはテロに加担することになると知って帰国を望み、逃げ出した人々もいます」

ISから逃れる人々

 エミーラの取材によれば、それは厳しい逃避行であった。

「シリアを脱出するために陸路でトルコに向かうのですが、途中で捕まって鞭打ちの刑になった女性もいます。4月に帰ってきた女性も、多くが肩に鞭の傷を負っていました。コソボ政府はアメリカの手前、戦闘員の4人を帰国させるとすぐに逮捕して刑務所に入れました。懲役9年です。子どもたちは裁きの対象にならず、女性は外出禁止令を出されています。彼らをシリアに送り込んだイマームはほとんどが逮捕されました。逮捕者は約200人。これだけのリクルーターが入り込んでいたというのは驚くべきことです」

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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