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連載

ロヒンギャ難民キャンプにコロナ蔓延の兆し

第18回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

 その地を知るものであれば、誰もが恐れていた事態が起こった。祖国ミャンマーから、バングラデシュに逃れていたロヒンギャ難民たちのキャンプに、新型コロナウイルスが入り込んだ。WHO(国際保健機関)が5月14日に最初の感染者が出たことを発表したのである。そこから2週間でさらに26人が感染していることが判明した。

クトゥパロンキャンプ(2019年)

 約85万人が暮らすコックスバザール(バングラデシュ南部の都市)郊外のメガキャンプは、「3密」どころではない。山地を切り開いて急遽作り上げられたシェルターの群れの中では、ソーシャルディスタンスなどキープしようがなく、家の外も内も人が折り重なって生活している状態である。あの地域にウイルスが入ればどうなるのか想像を絶するが、感染爆発を抑えるために、一時、外部からの救助アプローチは遠ざかった。難民支援を続けていた国連やNGOも現在活動が制限されており、キャンプに入れないという状況に陥った。(現在はさらに深刻な”critical phase”として、難民支援を続けていた国連やNGOも現在活動が制限されている。ただ、医療保健支援は必須のものとして継続強化されている)。
 今後の感染拡大の見通しについて、米国のジョンズ・ホプキンス大学が、メガキャンプにおける様々な蓄積データからロヒンギャの感染のシミュレーションを公表している。それによれば、このまま何もしなければ最悪の場合、12カ月で約60万人が感染するという。実に85万人のうちの7割近くが罹患することになる。
 父祖の土地に暮らしながら、市民権をミャンマー政府によって強奪され、国外へと追い出された民族のメガキャンプは、そのまま巨大な隔離施設とされてしまうのか。ここではコロナ以前から現在に至るまでの、彼の地の医療体制を見つめ直す必要があるだろう。
 人道的な医師であり、米国のイラク統治を批判する政治家としても知られたベルナール・クシュネルが設立した国際NGO「世界の医療団」(MDM、Medecins du Monde)は早い段階から、バングラデシュのロヒンギャ難民支援に乗り出していた。京都出身の看護師である木田晶子は、このMDMのメディカルコーディネーターとして支援プロジェクトに参加し、2017年の12月からキャンプに入っていた。感染が起きる直前まで、2年以上に渡って現地の医療支援に従事していた木田に話を聞いた。

――木田さんがキャンプに入ったのは、2017年の12月ですね。ロヒンギャの人々に対するミャンマー政府による「民族浄化」、が始まり、難民の大規模な流入が始まったのが、同年8月25日からですから、何万人という単位でキャンプの人口が増えていた頃ですね。
木田 私たちはクトゥパロンキャンプ(コックスバザール郊外のロヒンギャ難民キャンプの一つ)の入り口のところ、「キャンプ1E」というエリアを拠点にしていました。だから、難民の人たちが入って来るのを目の当たりにしていました。そのときは毎日100人以上の流入が続いていたので、見る見るうちに狭いスペースに人が溢れて行くという印象でした。

2017年12月のクトゥパロンキャンプ

キャンプの衛生状態は?

――当時のクトゥパロンにおける医療施設はどのようなものだったのでしょうか?
木田 急造でしたので、すべての施設が竹材とビニールシートで作られていました。素材は国連の機関から配られていたもので、難民はそういう簡易のシェルターに身を寄せていました。医療施設も同様の作りです。しかし、さすがにサイクロンの季節になると、そのようなぜい弱な作りでは崩壊しやすいので、同じ竹材でも幅の広いものに変えたり、建物の周りに砂のうや土のうを敷いて強化しました。
 難民の方々が利用できる医療施設には何種類かあって、まず体調を壊したときに、一番に最初にアクセスするのが「ヘルスポスト」というところです。基本的には1つのヘルスポストに、医者とアシスタントと助産師と薬剤師の4人がいることになっています。
 ヘルスポストで対応できない重症な疾患は、次のレベル、「プライマリーヘルスセンター」に送られます。さらにそこでも対応が難しい場合は、キャンプを出て、ウパジラ(郡にあたる行政単位)の「ヘルスコンプレックス」、さらにそこで難しい場合は最終的にコックスバザールの市内の病院に運ばれるという流れになっていました。

――医療施設の一番小さな単位がヘルスポストですね。公衆衛生的にはどうだったのでしょう。
木田 その観点で言うと、2017年12月は、まだトイレの数が人口に対して全く足りていませんでした。ロヒンギャの場合、ジェンダーギャップの問題もあります。トイレが完成するとまず男性が使うんです。男性が使うと女性は入れないので、結局、屋外で排泄せざるを得ない。でも人目をさえぎる茂みさえないので、彼女たちは日中は飲む水の量を減らしてしのぎ、夜になってから排泄するようにコントロールしていました。徐々にジェンダー問題に取り組むワーキンググループが入って整備されて、ようやく女性用のトイレができました。ただし、いまだに障害のある方や高齢者など1人でトイレに行けない人は、やはり屋内の台所に穴を掘って排泄したりしています。キャンプには汚水や排泄物のにおいが充満していました。

コロナの前に、コレラや麻疹が流行した

――ミャンマー国軍や警察に撃たれて外傷を負った難民も多かったと思いますが、それ以外の疾病に関しては、新型コロナウイルスが感染する前はどのような患者さんが多かったのでしょうか。
木田 季節性の病気です。もともと悪い衛生状態が、雨季になるとさらに悪化するのです。急性水様性の下痢(AWD、Acute Water Diarrhea)が増える。あとは蚊が発生してくることで、デング熱が増えてきました。マラリアはあまり聞きませんでしたが。去年(19年)は首都のダッカでデング熱がすごく流行って、キャンプ内でも懸念されていました。そして乾季になると、今度は空気が乾燥してウイルスも活性化するので、急性呼吸器感染症(ARI、Acute Respiratory Infections)が流行ります。
 去年は二種類、大規模な予防接種が行われました。一つはコレラ。テクナフという地域で、9月に大発生したのです。原因究明のためにあとで調査に入ったら、川の水を飲料水として使っていたんです。この地域はいくら井戸を掘っても水が出てこないので川の水を飲むしかない。ところが、その川の上流にはトイレがあったんです。汚水が川に流れ、それを生活用水として使った下流の人々がコレラになってしまいました。もうひとつは麻疹です。これも子どもを中心に感染例が増えて、予防接種をしました。

患者は1日400人! 忙しすぎる医療現場

――当時、ひとつのヘルスポストには1日どのくらいの数の外来患者が来ていたのでしょう。
木田 私が入った直後の2017年12月は1日約400人の外来がありました。スペースは10畳くらい。一応、妊婦の方とかが来られたときに横になる診療用のベッドが1台だけありました。そういう場所に400人ですから、診察に時間をかけられず、薬を渡すのが精いっぱいでした。例えば、日本だったらまず問診。「いつからどういう痛みですか」そのあと触診に入って、聴診器で胸の音を聞いて必要なら検査を追加して、最終的にドクターが診断して処方するという一連の流れがあるんですが、キャンプ内では、一応血圧は測るんですが、あとは患者さんが下痢をしていると言ったら、「では、この薬を」というような状態でした。ただそこから外来数が徐々に減り、2年が経過したころは70~80人ぐらいで推移していたと思います。

医療施設では男性と女性にわかれ長蛇の列

――今、木田さんが、一番心配していらっしゃることはどういうことでしょうか?
木田 コロナの感染拡大が心配です。キャンプ内では感染症などへの対処のフェーズ(段階)があるんですが、5月に10例以上の感染例が出たことで、フェーズがそれまでの『エッセンシャル』から『クリティカル』へと変わり、より緊急性が増しました。
 それまでは13歳から18歳くらいの若者をボランティアとして、出身コミュニティの人たちに啓発メッセージを伝えてもらっていたのですが、やはり人を集めたり移動させたりすると感染のリスクも高まってしまうので、やめたんです。あのキャンプでは3密を避けることは無理です。
 最近共有された資料を読んでいてもう一つ心配になったのは、コロナの影響で、患者さんの受診が逆に遠のいていることです。5月3日の時点で50%くらいに減っています。高齢者は、1回受診するとヘルスセンターのスタッフによって、隔離施設に連れて行かれると思っているんですね。

受診率が下がり、慢性疾患が進行する可能性

――なるほど。迫害されたロヒンギャ難民は隔離に対して深いトラウマがありますからね。
木田 そうです。高齢者も、自分たちはぜい弱で感染リスクが高いという認識があるんですよ。だからこそ1回受診してコロナだと判断されようものなら、隔離されると思ってしまうんですね。今、私たちは60歳以上の高齢者を対象に保健啓発を行っているんですが、皆さん、慢性疾患として高血圧、糖尿病、ぜん息などを患っているんです。そういう方たちがクリニックにアクセスするのをやめてしまう。つまり薬がもらえていない状態で、じわじわ慢性疾患が進行し、悪化していく。もしそういう方がコロナになったら、本当に致死率が上がってしまいます。

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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