チョーディンを継ぐ誇り高きラカイン民族の二世。サッカー日本代表を目指すカウンゼンマラの挑戦
木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)
それから片道1時間半かけてよみうりランドに6年間通った。結果としてこれがマラに合っていた。
「ビルドアップ(攻撃の組み立て)を細かくやるという、それまで知らなかった全く新しいサッカーがありました。特にユースになってからは永井秀樹さんが指導に来られて、立ち位置から、ボールの持ち方まで、本当に1メートル単位で細かく指示を頂きました。毎日新しいものに触れることができて、その上、育成からトップまで同じ環境でプレーしていて、自分にプロという場所を強く意識させてくれました」
ヴェルディはもともと、ブラジリアンを中心としたラテンの香りが漂う多民族、多国籍のチームであった。選手も指導者もみんなが気持ちよくマラを迎え入れてくれた。ルーツを外国に持つ選手は特に珍しくもなく、現在横浜Fマリノスに在籍する藤田譲瑠(ジョエル)チマはひとつ上の先輩だった。Jリーガーになることを見据えて高校卒業後の進学先に産業能率大学を選んだ理由は「フルピッチのグラウンドが2面あるという施設の充実。それから各カテゴリーにコーチとトレーナーがいるという環境で、毎日キーパーコーチと一緒に練習できる点です。自分を成長させてくれる場所だし機会だと思って、それが一番大きな決め手でした」と言う。
日本代表を目指す真意
ここでマラに再び問うた。現在のマラの法的地位は認定難民であり、国民健康保険や年金の制度を利用することもでき、難民旅行証明書で海外渡航も可能だが、無国籍の状態である。協会に所属していればその国の代表になれるというラグビーのWR(ワールドラグビー)やバレーのFIVB(国際バレーボール連盟)と異なり、FIFA(国際サッカー連盟)はパスポート主義を貫いている。国家代表になるには、主体的な国籍取得が必要となる。日本代表を目指すと宣言したときに、ミャンマー代表だったミャットゥはどんな反応を示したのか。
「自分は日本で生まれ育ったので日本への思いがすごく強くて、対してお父さんはミャンマーを背負ってきた選手です。でもお父さんは、自分が日本を選ぶと伝えても反対せず、高いレベルでプレーしたほうがいいと言ってくれました。これから日本国籍を取得したとしても、ミャンマーがルーツであることは変わりません。だから、サッカー選手として成長する道を選択しながら、それをミャンマーの人たちに伝えて、希望を与えたいんです」
ミャットゥも同じ気持ちでいた。
「私が日本にいるのは、お金のためではありません。日本で恩返しをして、(祖国の)民主化を支援して、そしてミャンマーの地位を上げたい。息子や娘は親である私を超えて、レベルの高い日本代表になってほしい。それはミャンマー代表の自分を超えることになるからです。ミャンマー人の親から生まれた子でも日本代表にもなれるのだ、という希望を示せる。これは自分だけの問題ではなく、今とても厳しい状況の中で苦しんでいるミャンマー国民全体に見せたいのです」
マラにあらためて伝えたい。
古くはレアル・マドリードの黄金時代を築いたハンガリー人のプスカシュも、レッドスターでトヨタカップを制したベロデディッチも難民であった。そしてズラタン・イブラヒモビッチもまた両親が母国ユーゴスラビアから逃れてきたボスニア人である。
マラの母親はよくこう言ったという。
「学校でも町の中でもサッカーのチームの中でも、何を言われても変わりなく、いつも毅然と誇りをもって生きなさい」
自分たち家族は、何か特別視されるような存在ではない。ただスポーツをやりたいという子どもがいて、それを支える家族がいるだけだ。
マラとマラの家族の目標が、制度も含めて自然に受け入れられて達成されるとき、それは常に問われる日本社会の不寛容さが改善され、スポーツの意義がさらに高まることを意味するだろう。ヨーロッパに遅れること数十年、本来サッカーを包む寛容と多文化のオマージュをここから見ていきたい。
